3-3.海の向こう
携帯電話の画面に指を滑らせると、彼女は別の見知った名前に触れた。そして、鼓動が不思議と早まっているのを感じながら、耳を澄ませる。
――あ、純くん? 今、家? そっか、電話大丈夫? うん、私は大丈夫だよ……いや、メールしたじゃん、平気だって。経過は順調だし、予定日だって、まだ先なんだから。何かあったら、すぐ伝えるって。うん……純くんこそ、大丈夫そう? 必要なことがあったら連絡してよ。遠慮せずに、いつでもいいから。私の方は、心配ないよ……でも、ありがとう。うん……あ、そうそう、今日ね……あー、やっぱりいいや、ごめん。ううん、島が昔のままで良かったってだけの話だから。あ、ねえ、外見える? お月様、綺麗だよ。でしょ? そっちだと、星は見えないよね。ふふ、残念。あと、波の音が気持ちよくて……聞こえてない? 聞こえるわけないか、そうだよね、あはは……ねえ、やっぱり、私も寂しいな。思ってたより、ずっと。だから……もう、会いたくなっちゃってる。うん、でも大丈夫。とりあえず、お正月までは待つよ。そのときには、いろいろ、話し合わないといけないと思うけど……戻った後のこととか、もっと先の話とかさ。うん……でもとにかく、会えるのが楽しみだなあ……大好きな、純くんに。あはは、それじゃ、またね。明日も電話するよ。毎日してもいいけど。ていうか、する。うん、じゃあ。
見上げた先の月から目を離さないまま、彼女は携帯電話を脇に置いた。彼女には、自分が見ているものが昔から何も変わらずにそこにあり続けているという事実が、ひどく不思議に思えた。遠く離れた場所で、誰かが同じようにそれを見ているということもまた。そしてそんな共有は、空間だけでなく時間の次元にも見出だせることに気づき、彼女は気が遠くなる思いがした。
満ち欠けと運行を繰り返して、やがて同じ場所に戻ってくる。それは、いつまでも変わらないのだった。あるいは、変わらないとしか思えないほどの時間だけを自分は生きていたし、その時間の外側を知ることも、想像することもできない。
波の音が、さっきよりもずっと明瞭に聞こえているような気がした。左手では、腹から伝わってくる鼓動をはっきりと感じる。初めて気づいた時、大喜びした末に、それは自分自身のものだと医者にたしなめられたことを、彼女は思い出した。しかし今ではもうはっきりと、その向こう側にある存在を、本当に感じ取れる。
彼女はふと、波が打ち寄せるということもまたずっと変わっていないのだとしても、その波の一つ一つは同じものだと言えるのだろうかと思った。向こうからやって来ているように見えるけれど、実際に水の塊が移動しているわけではないらしいから――そんなふうに考えていくと、全く同じものが、同じことを、同じ場所で繰り返しているだけのように思える。しかしそれでも、波を作ることになる海の水は、少しずつでも入れ替わっているのかもしれない。海面の下で動き、川から流れ込み、雨を飲み込み、あるいは逆に雨にもなって。だとすれば、そうやって、構成するものは絶えず変化して違っていても、ひたすら同じように繰り返されているらしい。そして、きっとこの先もずっとそうなる。まさに自然な、きっと一番好ましい形へと収まりながら、そこに、いつまでも、そういうものとしてあり続ける。
そういうことか、と彼女は得心し、ほんの小さく頷くと、窓を閉めた。
<完>