Episode15 双星、乖離の杯⑥
「―――この宇宙は、無、無限、無限と無の真理より開闢される。智慧を築きし霊長は、ただ自らの繁栄を望む! この霊長の意を聞き届け給え、聖なる“世界”よ! 我が力と我が生命を贄に捧げる。どうか、この“世界”を救い給え! ―――心象風景『夢幻の万魔殿』!」
開かれた世界は、全てがなく、全てある。矛盾と混沌が共存しているこの空間。天地さえ乖離していないこの空間は、つまり大地と天空が未だ別れていない―――原初の宇宙たる―――表現するなれば『 』ということだ。それを、この心象風景の主はこう語る。
「奇妙な空間だろう。全てあり、全てなく。あらゆるモノが内包されているのに関わらず、全てのものが、それを良しとしない。―――この私の心象風景の、本気を出した姿だ。先程までの戦闘では少々油断があった。なるほど、負けるのも当然のことだと言えよう。だが―――今回は容赦はしない。私の全身全霊―――その言葉の通り、命さえもかけて相手をしてやる!」
そう言って、無垢美はパチンと指を鳴らす。すると、現れるのはウボ=サスラが全ての事象において、最大限の警戒をしていた―――黒い、陽炎のような時空の歪み。『虚無転送』の構えである。しかし、そこからは何も出てこない。
(いや……どうせアザトースのことです。何か指先の小細工を仕掛けてくるに違いありませんわ! 警戒しときませんと……)
と、いう風に警戒をしていた―――次の瞬間であった。複数の時空の歪みが一つになり、巨大な歪みが生じる。ウボ=サスラとしては予想外の出来事であったため、少々あっけにとられたが、すぐに警戒態勢を敷き直す。そして、いまかいまかと待っていると―――遂に出る。全ての“虚無”をかき分け、外宇宙から姿を表した―――外宇宙よりの“虚無”の剣。それは単なる棒のようにも、派手な装飾を施された祭祀用の剣にも、クワのようにも、斧のようにも見える。
それを、無垢美は軽々と―――大きな力と、自らのこれまでの人生の歩み全てを乗せて、今、振り下ろす―――!
「全てを灼き斬れ、“虚無”の剣よ―――! “虚数妄想超越剣”其れは、数多の“虚”よりの魔の帝王なり―――!」
“虚数妄想超越剣”其れは、数多の“虚”よりの魔の帝王なり―――それは、このあらゆる“虚無”が充満している特異な空間である無垢美の心象風景『夢幻の万魔殿』でのみ召喚が可能な、全てを焼き尽くす、圧倒的な力―――エネルギーを伴う一閃。そのカラクリは、実に単純で―――実に恐ろしい。この『夢幻の万魔殿』に充満している無銘のエネルギーに、この宇宙で一番大きなエネルギーを誇る概念―――『核融合のエネルギー』という指向性を持たせ、それを“虚数妄想超越剣”其れは、数多の“虚”よりの魔の帝王なりの一閃とともに放出する。―――そんな、恐ろしくも誰でも思いつきそうなカラクリである。
だがしかし、この“虚数妄想超越剣”其れは、数多の“虚”よりの魔の帝王なりにも弱点は存在する。この技を使う際は、どうしても『虚無転送』でこの剣を外宇宙から持ってくる必要が生じ、なおかつこの“虚数妄想超越剣”其れは、数多の“虚”よりの魔の帝王なりは実際問題、“世界”にただ一つとして存在してはならない代物である。それを持ってくるというのだから、多大なる空間の歪みが必要とされる。故に、隙ができやすい。―――今回の場合は、ウボ=サスラが必要以上に警戒してくれたことが行幸と言える―――。
そして、もう一つ。致命的な欠点がある。それは―――その多大なるエネルギーは、自分にさえ牙を剥く、ということだ。“虚数妄想超越剣”其れは、数多の“虚”よりの魔の帝王なりを顕現させ、発動したとしても、自分は絶対に焼き切れる。その膨大なエネルギーに当てられ、跡形もなく消滅、この“世界”に何一つ残すことなく蒸発するだろう。だからこう、彼女は言ったのだ。―――全てを灼き斬れ、“虚無”の剣よ―――、と。そして、こう表現したのだ。自らのこれまでの人生の歩み全てを乗せて、今、振り下ろす―――、と。
「はあああああああああああああああああああ!!!!!」
痛みに耐えながら彼女は叫ぶ。もう、喉もガラガラで声の出しようもないのに―――それでもなお叫ぶ。それは、未来へ向かう雄叫び。それは―――この“世界”へ一時でも長く留まるための存在証明。
「うっぐああああああああああああ!」
ウボ=サスラも同様に叫ぶ。だがしかし―――ウボ=サスラは、別の策を有していた。
「ッ―――! “想像力”『邪神・祖無限』―――」
―――無限五式『絶対無限・全てより大きいもの』
瞬間、『夢幻の万魔殿』が内面から破壊される。パキンッ、とガラスが割れるような音を立てて、雪のように崩れ去る。辺りを埋め尽くしていた無銘のエネルギーは消え、それと同時に、それを存在の核としていた“虚数妄想超越剣”其れは、数多の“虚”よりの魔の帝王なりも消失する。無垢美の手には、何も残されておらず、あるのは“虚無”をその手に掴み取った証である傷だけ。
『夢幻の万魔殿』が破壊された直後、別の心象風景が顕現される。それは―――
「心象風景―――『無限の偽善院』!」
ウボ=サスラの心象風景たる『無限の偽善院』であった。その心象風景は、瞬く間に“虚無”で満たされていた空間を塗り替えていき、“世界”すらも塗り替えた。そこにあるのは、先程の『夢幻の万魔殿』と似て非なる宇宙空間が広がっていた。そして、全てが引きずり込まれた、その瞬間―――。
ギュオンッ、という激しい効果音とともに、ウボ=サスラが投げた瓦礫の残骸が―――一瞬にしてブラックホールと化した。そして、無垢美は、そのブラックホールに成すすべもなく吸い込まれていく。
ウボ=サスラは、無垢美に血まみれの顔を向けながら、言う。
「冥土の土産に教えて差し上げますわ。私の心象風景―――『無限の偽善院』は、生体反応のある物体・物質以外に無限大の負荷を付与します。負荷というのは、例えば質量の強制変化、速度の強制―――要するに、あらゆる物質のブラックホール化ですわ」
もう、無垢美には口を開く体力すらない。そして、あっ、と何か思い出したかのようにウボ=サスラは瀕死の無垢美に近づき―――
「そうだ、アザトース。貴女の腕をもらいます。腕さえあれば、十分。私は―――全てを手に入れることができます」
と言って、無垢美の右腕を切り落とし―――食らった。
死にゆく寸前、無垢美は言葉にならずとも、最期に“世界”に一つ伝えたいと。伝言を残したいと、そう願った。
(口惜しい。あまりにも口惜しい。それは、私が敗北したことではない。―――この責任を、私の後に継がせるのが、とてつもなく口惜しい。だが、そうなったときには、最早このウボ=サスラの運命は終わりだ。……何せ、私よりも強い才能の原石が、首を刈り取りに来るのだから)
その時、無垢美は、力なく笑みを浮かべていた。それは、彼女が人生で生み出してきたどの笑みよりも―――眩しいものであった。
これにて「双星、乖離の杯」は終わりました。
……無垢美、結構好きなキャラだったのに……。何故……。