Episode15 双星、乖離の杯④
「―――どこまでも、私を……コケにして……! それならば、まだ良い。だが、師匠サマまで侮辱するようならば!」
―――本気で殺るぞ。皆まで言わず、文末からはその言葉が読み取れた。しかし、そんな無垢美を嘲るかのように、ウボ=サスラは言う。
「あら、その手足が鎖に繋がれたまるで奴隷のような惨めな姿で私と戦うですって? あっははははは! 笑わせないでくださいまし? そんな状態で私に勝てるならば、今頃人類は“世界”を屈服させていますわ!」
そう。今の無垢美の状態は『天からの懲罰は鎖』に繋がれて全ての力を制御されている状態なのである。『天からの懲罰は鎖』は、この“世界”を守る鎖であり、そのためにはいかなる手段を用いても“世界”を害する者―――及び“世界の守護者”を殺害しようとする者を無力化するという能力を持つ。今回の場合、まだ“世界の守護者”として認識されている天遥の肉体を操っているウボ=サスラを殺害しようとしたため、『天からの懲罰は鎖』は介入してきたのである。
そして、ウボ=サスラは砕いたラヴクラフトの頭を足で踏みにじり、その血の付いた足を汚らわしいというのか、そんな目で一瞥すると、驚くべき行動に出る。
―――その足で、『天からの懲罰は鎖』によって無力化され、地に伏している無垢美の顔を、勢いよく蹴ったのである。そして、その状況にウボ=サスラは、恍惚の表情を浮かべ、重ねてこう言った。
「やっぱり、貴女自身には何の力もなかったのですわ! 無謀にも神に立ちふさがった。それまでは良いでしょう。しかし! 貴女は身の程をわきまえていなかった。自分の、本当の強さを知らなかった! もしかして神殺しにでもなろうとしたつもりですか? はははは! 夢、夢! 夢! 夢! 全ては貴女の妄想でしかないのですよ! 夢を見るのは大いに結構。存分に見なさい。ですがね、それと同じことを現実でもやれると思ったら、それは大間違いです。現実は、そんなに甘くないんですよ!
―――さあ、これで現実の重さを思い知りましたか?」
罵詈雑言の嵐。それは、無垢美にとっては数億―――否、数京―――否、どんなに、たとえ不可説不可説転を超える回数を殺したとしてもなお有り余るほどの侮辱であった。許せない―――。ギリッと、彼女は奥歯を噛み締めて―――決意した。必ず、奴を殺す、と。
その踏みにじられた自尊心と、許せないという強い感情が原因だろうか。大きな精神的な化学反応を起こした。
―――ココロの奥底に眠る、何かが熱い。
その何かとは、自らを知るための力。
―――何かが絶対に許せない。
それは、魔なる神々の王が故の識と、師の無様な死を受け入れられない傲慢さ。
気がつけば、彼女は宮殿にいた。古代ギリシャ建築でも最高峰の礼式を以て作られた、最高神のみが居住を許されるであろう神殿である。そこには、横たわる老人が一人。その目は完全に無垢美を見つめており、全てを見抜くような、貫くような視線を向けている。
そして、老人は言った。
―――君は、勝ちたいか。
答えた。勝ちたいと。
―――ならば、良かろう。我が力を貸そう。
そう言って老人は手を差し出した。無垢美はその手を掴むと、老人は消えてなくなっていた。だが、彼が身に着けていた王冠や衣服は無垢美に受け継がれ、圧倒的な力を、彼女は手に入れた。その時、彼女は気づいた。もしかして、彼は私の“想像力”なのでは―――と。
(ありがとう、“想像力”―――いや、アザトース。邪神の王。偉大なる魔皇帝よ)
またしても気がつけば、現実へ戻っていた。衣服は、あの魔皇帝の衣装へと移り変わっている。それに、ウボ=サスラも驚嘆の表情を浮かべている。それもそのはずである。彼女にとってみれば、片割れの力が、他者に渡ったということである。
そしてこの戦いは、激動―――そして終章を迎えることとなるのだった。