これで、終ろう。
鷺宮の頭上から、いくつもの水滴が落ちてきていた。額に堕ちる冷たさで、ようやく目を覚ました。
「ずいぶん・・。眠るのだな・・。」
小さな声だった。
「誰?」
静かに身を起こすと、そこには、小さな影があった。
「お前は?」
「お前とは、随分、失礼だな。」
相手は子供だった。
「もう、忘れたのか?お前に力を与えた主の顔を・・。」
そうっと、顔を合わせてみると、見覚えがあった。
「お前・・。」
遠い記憶の彼方に追いやられた記憶が、少しずつ蘇ってきた。
「思い出すには、年をとりすぎたか・・。」
少年は、笑った。葵剣を取り返され、術の解けた鷺宮の顔は、老いを重ねた老婆に変っていた。
「としか・・。」
水面に映った自分の顔は、悲しいくらいに、年を老いてた。自分は、もう、この世に存在する事すら叶わない位の年である。形あるだけ、不思議であった。
「ここに、存在するだけ、不思議じゃ・・。」
鷺宮は、笑った。もう、昔のように、美しくはない。こんなに、醜く老いを晒すのであれば、死んでしまった方がましである。
「死んだほうがましと、思っているな。」
「そうじゃ・・。」
鷺宮は、着物の襟をあわせた。もう、存在していても仕方がない。
「お前が、望んだのだ。生きてあり続けたいと・・。」
そうだった。記憶が、周り始めた。自分の身を捧げた龍神の持つ宝が、欲しかった。力が欲しかった。永遠の力もほしかった。そして、何よりも、龍神の心を、独り占めしたかった。だが、全ては、龍神の心代わりで終った。白妃が、現れ、全てを失った。若く力のある白妃が、子まで、なしてしまった。
「憎かっただろう・・。」
少年は、笑い続けていた。
「何もかも、得ようとするから、何もかも無くしてしまうのだ・・。」
「お前が、そそのかした・・。」
「手伝ったまでだ。」
鷺宮は、水面に移った顔から、目を離せないで居た。
「こんな姿になるまで、生きていたくはなかった。」
「もう少しで、門が開く、まだ、葵剣が手に渡ったにすぎぬ。」
「もう、終わりにしたい。」
「まだ、終らぬのだ。鷺宮。全て、揃えば、お前の欲しいものが手に入る。」
「私の欲しかったもの?」
今度は、鷺宮が、笑った。
「もう、年を取りすぎてしまったようだ・・。欲しいものなどない。」
おう、あの人の心は、自分にない。自分が、若ければ・・。力があれば・・。色々考えた。だが、それだけが、理由でもなさそうだ。
「私の欲しい物は、利用されるにすぎない。」
少年は、鷺宮にそっと、触れた。
「門があけば、あちらから、私の仲間が、やってくる。お前の思い道りになる日もくる。」
「あなたは・・・。そう言って、私の前に現れた。あなたは、葵剣に触れる事が出来ない。だから・・。私を使った。」
その葵剣で、憎い白妃を切り倒した。念願だった。が・・。彼の心は、変る事がなかった。
「当たり前だった・・。」
少年の触れている部分から、力が消えていった。命のエナジーが、消失していくのが、わかった。
「もう・・。終れという事ですね。」
砂が風に舞うように、鷺宮の体が、散り始めていった。
「これで・・。終れるんですね。」
嬉しかった。こんな醜い姿で、生きていくのが、嫌だった。大切な人の心を得る事も出来ないまま、あり続けるのが嫌だった。
「普通の時間に戻りましょう・・。」
一瞬、鷺宮の時間が戻ったかに見えた。
「後は・・。もう、一人の傀儡を待つのみか・・。」
少年が、呟くと、鷺宮の姿は、もう、空に消えて無くなっていた。後には、地底に輝く湖面が、輝いているだけだった。