紗妃が、始まる。
時々、自分が、遠い過去の記憶をもっている事に、疑問を感じる事が、真理には、あった。白く続く砂浜が、愛おしくも、哀しく感じる事もある。風に髪が、戯れている時、どこか、別の自分に変って行くような気さえ起きる。真理の体には、あちこち、いろんな記憶が、刻まれていた。
「魂はね、幾世代も、繰り返しているんだ・・・。」
悠が、儚げに笑った。
「だけどさ・・・。思い出したくない事もあるんだよね」
真理に、語りかける。
「忘れよう。忘れろ・・・。と、自分に暗示かけたでしょ・・・。自分では、どうしようもない事があった時、人間は、忘れる事が、出来るのよね・・。」
「あたしは、何かを忘れてるの?」
覚えてるほうが、どうかしている。
「覚えていなきゃ、いけないの。あなたは、特別だから・・・。」
語りかけていた悠の意識は、真理から、離れ、辺りは、辺鄙な野原へと、姿を変えていた。紗妃の前には、見渡す限りのススキ野原が、広がっていた。金色の月夜である。一面の、野原に、優しい光が、差し込み金色の海原を、作り上げていた。
「何処に、いるの?燕樹・・・。」
「ここに居ります。」
すっと、影が重なり、現れたのは、髪の長い女性・・。否、男性とも、女性とも付かないいでたちの、水干を、羽織った若い人影であったが、現れかたからして、人間とは、思えなかった。背中までの、長い髪は、一つに、束ね、背中で一つにしてあった。
「本当に、できるの?」
「はい。おそらく、都はずれの、お寺に救うという悪鬼を、払う事ができれば、宮廷召抱えにすると、いう話を聞きました。」
「そう・・・。」
紗妃には、小さい頃から、友達が、少なかった。物心つく頃から、人には、見えない物がみえ、会話が出来た。心を通じ合える事が、出来た。ある、夏の日に、紗妃は、裏の森で、行方不明になり、その時、一緒にいたというのが、この燕樹だった。その時の記憶が、紗妃には、ない。少年の姿をした燕樹は、今も、その時の姿のままだ。
「燕樹も、手伝ってくれるわね。」
紗妃は、樹朗汰に、手柄をとらせ、自分と釣り合う身分にしようと、考えていた。が、普通の人間の、樹朗汰に、できる訳もなく、紗妃が、こっそり、裏から、手助けするつもりであった。
「勿論。紗妃様は、私の命の恩人ですから・。」
「その話なんだけど・・。」
紗妃は、首をかしげた。
「本当に、覚えてないんだけど・・・。」
燕樹は、にっと、わらった。色の白い顔に、紅い唇が、異様に怖かった。
「覚えてないんですか・・・。」
着ている黒い水干が、風に、はためいていた。そう、こうして、見ていると、まるで、ツバメのようだった。ツバメ・・・。燕樹は、季節はずれの、ツバメのシキガミとも、いえた。
「あなたは、本当に、覚えてないおられないんですね。お亡くなりになったお婆様が、残念がっておられる・・。」
何処からともなく、風が、吹いていた。目を細め、ボンヤリとした月を見上げた。紫色の雲が、細く重なり、金色の野原と、なんともいえないコントラストを奏でていた。
「お婆様ね・・。」
自分が、一番、似ていると、いった祖母は、紗妃が、生まれて、間もなく失踪したという。逢いたがったが、両親は、何も話そうとしなかった。紗妃の、奇妙な力は、その、祖母のせいだと、両親は、思い込み、いたる所に、お払いやら、お参りを、行ったが、紗妃の力は、変らなかった。そのうち、妙な噂が、たつので、住む所を買え、紗妃は、友を作らなくなった。ある梅雨の時期に、軒先で、ツバメの雛を、拾った。弱っている雛は、幾日も、持たずとして、この世を去ったが、紗妃は、骸となったツバメを離そうとしなかった。親と引き離されたツバメが、自分に似てるように、思えたのだ。見るに見兼ねた両親が、取り上げたが、紗妃の思いは、強かった。その後、裏山で、失踪し、一緒に、現れたのが、燕樹だった。燕樹は、紗妃以外にも、みえる。
「どんな方だったのか、お逢いしたかった。」
広い野原に、重なる雲が、影をおとして行った。