10年以上司法試験を受け続けた伏見さん
伏見さんとは仕事の関係で、翻訳者・通訳者を探していた時に友人の紹介で出会った。
国立大を出て、非常に優秀な翻訳家・通訳者であるとのことだった。
年齢は30代の後半、独身
確かに非常に優秀な翻訳者・通訳者だった。
特に法律関係に詳しく、契約書など、法的な要素のある翻訳などをお願いすると、いつもきまって意気揚々と、「この翻訳、弁護士事務所に頼んだら10万円以上しますよ」と言って持って来るのだった。
しかし、法律にも詳しく、優秀な翻訳者・通訳者なら国際弁護士事務所では喉から手が出るほど欲しい人材に違いない。
「なぜ、法律事務所に就職なさらないのですか?」と伺うとこんな答えが返ってきた。
「実は、僕、以前弁護士事務所に勤めていたことがあるのですよ。
その時に、どうしても、弁護士になって、自分の手でジョイントベンチャーとか、
技術提携とかやりたいと思ったんですよ。
それで、弁護士事務所をやめて、受験勉強に打ち込むことにしたのです。」
だから、僕、試験の前の2か月は仕事をしないことにしてるのです。
試験勉強に集中するために。」
とのことだった。
確かに、伏見さんは、司法試験の2か月前くらいからは仕事を受けなくなっていた。
いつも彼がやりたいと言っていた外国へ出張しての通訳も今は都合が悪いからと断ってくる。
「2か月もお仕事を休んでしまうと、経済的に苦しくなりません?」
「いや、ですから、年中、ピーピー言ってます。
でも、弁護士になったら、大いに贅沢もできますよ。
それまでの辛抱です。」
と笑っていた。
それから間もなく、私は職を変え、伏見さんと会うこともなくなってしまった。
その後、彼が胃潰瘍を患い急逝したことを人づてに聞いた。
生前の彼を知っていた人たちは、
一様に彼のことを不幸せな人、可哀想な人という。
確かにそうかもしれない。
弁護士になりたいという夢を実現できなかったのだから、その意味では不幸だったと言えるのかもしれない。
しかし、弁護士になるのだと、すべての仕事を断って、勉強に熱中した2か月間の伏見さんはどうだったのだろう?
おそらく、普通では感じられない高揚感に突き動かされ、正にゾーンと言われる環境に没入していたのではないだろうか?
そんな時間を生きることができた伏見さんはことによると限りなく幸福だったのかもしれない。
一体、試験とは何なのだろう?
* * *
開演5分前のベルが鳴った。
私は現実に引き戻される。
客席にも静かな緊張感がみなぎってくる。
私の頭の中で、歓喜の歌の旋律が奏でられ始める。
さあ、聞こう!
歓喜の歌を!
生きる喜びを!
そして、今、
生きている歓びを感じよう!
深く、深く、深く・・・。