三次試験
三次試験は一次試験と同様、内幸町にあったNHK本館で行われた。
一次も二次もおしゃれをしてくる人など一人もいなかった。
三次試験は音声テストだというからには、また、一次試験と同じような個室で原稿を読む試験なのだろう、と、私はかってに思い込んでいた。
そして、今回は一人、今まで一緒だった郁子はいない。
まあ、清水の舞台から飛び降りるつもりで原稿を読んできましょう。
と、三次試験に出かけた。
受験生の待合室へ通されると、そこにはびっくり仰天の現実が待ち構えていた。
え? これが、一次や二次試験に来ていた人たちなの?
まさか!
そんなことありえないとしか考えられないほどの変容ぶりだった。
もう、すぐに「アナウンサーでございます」と挨拶をしても少しもおかしくはない。
全く別人としか見えない変容ぶりなのだ。
それも、私をのぞく全員が。
なに? この人たちは?
何で、ここにいるの?
そう思ったが、全員、三次試験の受験者であることに間違いはなかった。
一枚の写真が手渡され、三次試験の具体的な試験内容が説明された。
写真は、当時人気抜群だった横綱若乃花が赤い羽根募金をしているところだった。
「順番が来たら、そこのドアから出て、マイクロフォンの前で
写真を見ながら、実況中継風に5分ほど話してください、」というのです。
(これじゃ、話が違う、三次試験は音声テストだと聞いていたのに・・・。
原稿もないの?
この写真を見ただけで、5分も話しなさいっていうの?
突然そんなこと言われたって・・・)
私は完全にパニック状態になってしまった。
しかし、パニック状態になっていたのは私一人だけだったようだ。
皆さん、落ち着いて、メイクを直したりしている。
嫌だ、いやだ、私なんて、もともとメイクもしていないのだから直しようもないし、
着ているものだって、通学に着用している普段着だ。
しかし、試験は粛々と進んで行く。
そして、私の番が来てしまった。
番号を呼び出す声に背中を押されるようにドアを開けた私の目に飛び込んできたものは・・・
眼を射抜かれるかと思われるほどのまぶしい照明が
目の前に広がるステージを照らしている。
誰もいないステージの中央には大きなマイクロフォンがついたスタンドが1本。
ステージの向こう側のガラス張りのモニタールームには偉そうなおじさまが20人近くこちらを凝視している。
舞台の前にもかなりの数の人がかたずをのむように舞台を見つめている。
私が開いたのはステージドアだったのだ。
その舞台中央にあるマイクの前に行って、写真を見ながら5分間実況中継風に話す?
そんなこと、狂気の沙汰だ。
しかし、ステージに一歩踏み出してしまった以上、やるしかない。
ステージは滑るような気がしたが、どうやら転倒することもなく
マイクの前にたち、何かを語り始めた。
直径が25センチ位あると思われる黒いマイクにはぼつぼつと穴らしきものが開いていて、どう見ても、これはヒマワリの種だとしか思えなかった。
何をしゃべったのか、どうやって、ステージの中央まで歩いたのか、全く記憶がない。
それでも、途中で転倒することもなく、また、ステージドアまで、歩き、こちらの世界へ戻ってくることができた。
私にとってそれは正に奇跡だった。
もちろん、そんな状況で試験に受かるはずはない。
私は三次試験の結果を見に行かなかった。
その数日後、学内で、久しぶりに郁子に会うことができた。
「やっぱり、三次試験、ダメだった」
郁子は
「そう、残念だったね。」と言ってくれたけれど、そのまなざしには、ほっとしたような気配もうかがわれた。
やはり、受からなくてよかった。そう思った。