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OL、壺を割る

ガッシャーーーーン!!


絶望的な音がした。私はこの世の終わりのような視線を足元に向ける。そこには、以前は壺の形をしていた高級そうな破片が散らばっている。


これは……夢かな。そうだよ、普通の会社で働くごくごく普通の社会人の私が、こんな高級そうな壺が置いてある場所に行くわけがないもの。きっと夢だ!

……いや現実だよ!!


私はすぐさま目の前に立つ男性スタッフに頭を下げた。


「すいません!!鞄が、あたってしまいまして!!」


私の腰には少し硬めの高級なバッグ。勿論私物じゃない。この業界で仕事をする妹に仕立てて貰った。


「お姉、なにやってんの……」


ソファの向こうから妹がありえないという視線を向けている。


「困るね、君。それ社長のお気に入りなんだよ」


向こうからタキシードを着た男性がやってきた。ボーイって言われる人だ。


「ちょっと裏に来てくれる?」


棚町九架(きゅうか)、26歳社会人。キャバ嬢の妹に連れてきてもらったホストクラブで高級な壺を割るという、人生最悪の粗相をしでかした女である。


『お姉、そろそろ男を知った方が良いよ』


『私の行きつけのホストクラブ、案内しようか?』


うるさい、処女で何が悪い。そもそも男を知るためにホストって根本的に間違ってるでしょ。

とはいえ私もあの時はビール片手にベロンベロンで、「いいよお~いくぅ、七歌とならどこまでも~」とか言っちゃったのがバカだった。こんなことになるなら「無理!私は一生処女でいる!」とでも言っておけばよかったんだ。


ボーイさんは関係者専用のドアを開け、私を案内する。妹曰く、ここは数あるホストの中でもトップ3に入るほど大規模なお店で、店内は6階まであり、ビルの最上階に社長がいるんだとか。

あの壺、社長のお気に入りとかいってたな。最悪じゃないか。私は90%社長室に連れて行かれるというわけだ。

暗い廊下を歩き、エレベーターに乗る。ボーイさんは最上階であろう「10」というボタンを押した。

エレベーターが開くと、いかにもきらびやかな部屋が目に入った。高級そうな銅像、インテリア、服や鞄……。これだけあるんだったら壺の一つや二ついいじゃない。というか、大事なものを何で店内になんて置いたのよ。


「東堂さん、この女が、3階の壺を割りました」


……なんてストレート!!いや、まごうことなき事実だけどさ!


東堂さん……おそらく社長は、よくある「社長椅子」なるものに座り、私たちに背を向けながら

「あんだって?」と言った。図体の大きさといい、低くてドスのきいた声質からすると40代前半くらいだろうか。


社長はくるりと椅子の向きを変え、私たちの方に身体を向ける。

その瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。


――――これは絶対、ヤのつく人だ。


「まぁじか。やっちゃったねェ」


社長は髭ヅラにサングラス、葉巻に髑髏のネックレス、ゴツゴツしたメタルの指輪という、それはもう最悪な格好をしていた。


私は悟る。

――――殺られる。


「アンタ、何歳」

「に、26です……」

「職業は」

「会社員です……」

「ほうかァ、なら難しいな」


難しいとは、なんのことだろう。


「いやあ、あの壺3000万するんだよ」


……。

……さ、

3000万!?


「そ、そんなのとっても、年収でも払いきれないです!」


いや年収を全額投資したところで何年になるんだろう。10年いくかいかないかくらい?


「だろうな。高級な壺を割っちゃうドジっ子な面を見ると、そう金持ちでもなさそうだからな」

「ドジっ子、ハハッ」

「笑いごとじゃねえんだよ」


ビクッ。社長の声質が急に変わった。やっぱ駄目だ、この人怖い。気抜くと泣きそう、私。


「お嬢ちゃん、ホストとかキャバクラってのはなあ。こーいう人たちが裏にいる場合が多いわけよ。知ってる?」

「あ、いえ……。すいません、私ホスト来たのは初めてなんです……」

「じゃあおじさん親切だから教えてやるよ。店になんかしでかしたら、アンタのとこにこわーい

お兄さんたちがボッコボコにしに来るわけ」

「つまり、これからこわーいお兄さんたちが来て、私はズッタズタのボッコボコにされると」

「ま、場合によってはな」


社長はふ、と笑う。


「だが、一個だけ救済する措置を与えてやってもいい」

「救済、といいますと」

「アンタ、ゼロから店を経営する気はないか」


……。

……はい?


「ウチの系列で空いてるビルが一個あってな。以前新しいホストを建てようとしたんだが、関係者が人殺して逃げちまってよ」

「ひ、人殺し?!」


やっぱりこの世界とんでもない!!


「今は廃墟同然の代物で、大規模な店を抱えてる身としてはイタイわけよ」

「はあ」

「んで、お前に建て直してもらって、壺の資金を集めてほしいってわけ」


……つまり。

壺の弁償代を、店を経営して集めろと。


「む、無理ですよ!!今は廃墟なんでしょ?!改善工事にだってお金かかるし、人件費だってかかりますよね!そもそもスタッフさえ集まるかわかんないし!あと机とか椅子とか、材料費とか……ムぐッ」


社長は私の口を押えた。


「ごちゃごちゃいってんじゃねえ。やんのか、やらねえのか?後者を選択すりゃあアンタに命はないぜ?」

「はいすいません、やります」

「なら契約成立だな。加藤、書類持ってこい」

「かしこまりました」


加藤と呼ばれたボーイさんは背後にある引き出しに手をかける。


「契約ついでに、イイコトを教えてやるよ」

「な、なんですか」

「資金ゼロの廃墟で、人様の高ぇ壺割るバカな女がどうやって店を経営すると思う」


それがわからないから、反論したまでですが。


「そりゃあな、人情だよ、ドジっ子」


人情。人情ってあの人情ですか?もっと物理的な答えをお願いしたかったけど、これじゃ道徳の授業ですよ、先生。


「例えばだ。救いようもねぇきったねぇ店があるとするだろ。でも、お前はそこで働いている男に恋をしている。それだったら衛生環境なんて関係なく、そこに通うと思わねえか」


……そうかもしれないけど。それじゃまるで、そのお店はホストじゃないか。


「なんで目が点なんだよ。わかりやすい例えだと思うがな」

「それは、あなたの経営してる店がホストだからでしょう」

「何言ってんだ。お前がこれから経営するビルはもともとホストだっつったろ。どうしたらそのプランが変わるなんていう発想になる」


……。

え、私、ホスト経営するんですか?!


「期待してるぞオーナー」

「無理無理、無理ですッ!!ホストだったら猶更きらびやかな店内にするために資金がかかるじゃないですか!どうやって男の子雇うのとも思うし!!」

「うるせえなぁさっき言ったろ?汚くても愛がありゃあ客は来んだよ。雇う男はてめえがなんとかしろ」

「そんな無茶な……」

「あン?お前処女か?色落としでも褒めちぎってでもいいから上手くやんだよ。まあアンタの容姿で色落としは厳しいか」


おじさんははっはっと笑う。ビストルでも持ってたら撃ち殺してる、たぶん。


「ま、こーいう店のシステムとかわかんねえだろうから、そこは加藤に聞け」

「ええ、私ですか」

「お前はたまに状況見てこい。あとは、集金だな」

「しゅうきん」

「壺と店の売上。月500万」

「……売上もですか」

「ッたりめぇだろ。誰がタダで働かせるなんて言った」


加藤さんが一枚の紙を持ってくる。おそらくこれ、さっきの「書類」とかいうやつだ。


「ホレ、名前書け。あ、偽名とかやめろよ。ばれたらお前殺られんぞ」


私は書類との距離を縮めていく。これまた高そうな万年筆を手にとり、空欄を凝視する。

これに名前を書けば、私はホストクラブをゼロから経営することになる。

書かなければ、私は怖い人たちに連れ去られてメッタメタにされることだろう。まじで死ぬかもしれない。

……だったら、書くしかないじゃあん!!

私は心の中でわめきながら契約書にサインをした。


社長の名前は東堂というらしい。契約書に書いてあった。そういえば、最初加藤さんがそう呼んでたっけ。

〈無事〉契約を終えた私は、これから働く店の地図と加藤さんの連絡先を渡され、やっと解放されたのである。


……人生って、ほんと予想不可能。


こうして、壺を割った哀れな社会人OLは廃墟ホストクラブを経営することになったのだ。


――――――――


「なんであんな女に店の経営を任せたんですか」


加藤は不機嫌そうな面で東堂に言った。


「どのみちあんな店誰も貰っちゃくれねえよ。だったら未来の無い女に放り投げたほうがマシだろ」

「ですけど……。一応うちの系列なわけですし、下手な商売をされれば恥ですよ」

「大丈夫だ、どうせ上手くはいかんだろ」


東堂は灰皿に煙草を擦りつける。


「アイツが月500万を払えなかった時点でゲームオーバー。そこらの風俗に売り飛ばしてやる。臓器を売らせるのもアリだな。それまで、アイツがどうこの状況をクリアすんのか、ゲーム感覚で見て行こうぜ、加藤ちゃん」

「……納得いきません。あんなガキ、ソープでも行かせて3000万稼いでもらえばよかったじゃないですか……。アレと関わるのは俺ですし、ゲームなんて軽い気持ちで受け止められないのですが…」


「あー、お前には言っとくか。あの壺だけどな」


東堂はニヤリと笑う。


「5000円のパチモンだ」


加藤は目を丸くした。


「そりゃあ貴方、おふざけが過ぎませんか……」

「そんなに高ぇモンだったら店になんか置くかよ」

「でも以前気に入ってると……」

「冗談だ。加藤、パチモンとお宝の区別くらいできるようになれ」


加藤は溜息をついた。


「よくここを出入りしてるような女どもだったら種明かしして解放しようとも思ったがな。バレそうだし。いや、それこそお前の言うように騙したまま働かせるか」

「……あの女が特別とでも?パッとしないOLなんてこの世にごまんといますよ」


東堂は煙を吐く。


「あの女、泣かなかったろ」

「……はい?」


「普通ヤクザに睨まれりゃ腰が抜けるか、泣きわめくか、許しを請う無様な姿を見せるだろうがよ。それどころかあの女は俺と対等に話をしやがった。こりゃ伝説の始まりだと思わねえか?」


東堂はニタニタと笑う。


「……貴方には、泣かずに文句を言う人間が勇者に見えるんですか」

「どんな状況でも芯を持つっつーのも大事な要素なんだよ。ま、ダメだったらダメで売りとばしゃいいじゃねえか」

「……なら俺は絶対にこの状況を受け入れませんけどね」


加藤は懐に手を入れる。そこには黒く艶やかなボディがひっそりと眠っている。


「はは、加藤。殺しちゃダメだぞ」

「……しませんよ」


加藤は再び溜息をついた。

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