3.『求めていた光』
トントン、と靴が鳴り響く。
それに呼応するように、コンコン、ともうひとり分の靴が鳴り響く。
洋館の中は、真っ暗な道だった。
辛うじて彼女の姿が見えるくらいの、暗闇だった。
「――君は、3年前に結婚したって聞いたよ」
「――」
「相手は中学時代のクラスメイトらしいじゃないか」
「――」
「君は今、幸せなんだろうね」
「――」
「そういえば、タッちゃんは独立して社長だってさ」
「――」
「ゆーくんは、司法試験に合格して今予備校の先生やってる。もうすぐ弁護士バッチ貰えるって喜んでた」
「――」
「みんな、遠い存在になっちゃったな」
「――」
「あぁクソ、どうして俺は――」
「――後悔してる?」
「――ぁ、いや、後悔なんて別に」
突然話しかけられた驚きも然ることながら、その質問の内容にも面食らった。
実らなかった初恋の相手という後悔そのもののような人物が、そんな分かりきった問を投げかけてくるとは。
「――やり直したいと思う?」
「そんなこと、ないよ。俺は……僕は、確かに今の生活は惨めだし窮屈だけど、でも別に嫌なわけじゃないし、バイト先のオーナーだって……」
やめてくれ。俺は、必死に押し殺してやってきた。
惨めな気持ちも、後悔も、親への申し訳なさも、悔しさも、悲しみも。
だって、どうしようもないじゃないか。
軽い気持ちで高校をサボり始め、気付いたら後戻りが出来なくなったあの日から。
いつかきっとビッグな男になってやると啖呵を切って、実家を飛び出したあの日から。
もう、どうしようもなく手遅れなんだと気付いてしまった、あの日から。
俺はもう、終わっていたんだから。
何をどうすることも、できないのだから。
だから、俺の後悔の、自責の、自罰の、生き甲斐の、望みの、虚勢の、意地の、希望の象徴のその目で、覗きこまないでくれ。俺が心を、許せなくなる。
『赤羽っていたじゃん。あいつ今コンビニでバイトしてるらしいよ』『えー、いい歳して可哀想に』
『ごめん。あなたといても未来がないの。私たち、別れましょう』
『あいつ、中卒で家出てってこの先どうするつもりなんだ。弟は優秀なのに、育て方間違えたかなぁ』『お父さん、そんなこと言わないの。蒼だって頑張ってるのよ』
なんだ、これは。
なぜ、こんな記憶が思い浮かぶんだ――いや、違う。
俺の記憶じゃないものも、混ざっている。
「なんでこん、な……」
「――後悔してる?」
ふたたびその目で覗きこまれたその瞬間、俺の中の何かが弾けた。溜まっていた鬱憤や不甲斐なさが、感情となって爆発する。
「――あぁ! 後悔してるよ! してるに決まってる! あの時高校を辞めなければ! 親の言うことを聞いていれば! みんなと同じ、普通の人生を歩めたんだ! 結局、俺にビッグになれるような才能はない。やり遂げられるような根性もない! ならせめて! 親の敷いたレールを有難く進める程度の物分りの良さがあれば良かったんだ!」
「――」
「わかってるよ、俺がどうしようもない凡人、いやそれ以下のクズだって……だったら、どうすればいいんだ!? 後悔して、それを認めて、金になるのかよ!? 学歴が身につくのか!? 俺はもう、このくそったれな現状を受け入れて慎ましく生きるしかないんだよ! ……なぁ、教えてくれよ……どうして、俺の前に現れたんだ? 俺の人生で、一番の心のつかえだった君が、俺を苦しめにきたのか?」
「――」
「なぁ……っ」
『蒼くん、好きだよ』『赤羽、よく頑張ったな』『お前は父さんの誇りだ』『やっぱ赤羽には勝てねーわー』『僕は信じてたよ、君のことを』『本当に、ありがとう……』『すげぇな蒼! お前ならやると思ってたぜ!』『俺が間違ってた。すまない』『私、蒼くんと結婚する!』『最初はどうなることかと思ったけど……すごいね』『高校卒業、おめでとう』
「こ、れは……」
どこからともなく、聞き覚えのある声たちが、俺の耳に聞き覚えのない台詞を聞かせる。
とても心地のよい温かさだ。だけどこれは、現実じゃない。こんな過去は、俺の中には存在しない。
「――これは、有り得たかもしれない未来。違う選択をした、あなた」
「――頼むよ。悪かった。俺が悪かったんだろ? こんなクソみたいな俺に罰を与えるために、君はきたんだろ? もう、わかりました。じゅうぶん罰は受けたと思います。もう、やめてください」
「――やり直したい?」
「あぁ、やり直したい。やり直したいよ。こんな人生が待ってるってわかってたら、きっと違う選択をしてた。やり直せるなら、やり直したい」
「――今よりも辛くて、悲しくて、大変な過去が待ってても?」
「それでも、未来のためにやり直せるなら。今日を変えられるなら、俺はやり直したい」
「――顔を上げて」
「――ぇ」
気付けば俺は、情けなくその場にへたり込んでいたらしい。言われるがまま顔を上げると、そこには俺が縦に3人は入るくらい大きな扉が現れていた。
威圧感さえ感じるその扉から、一筋の暖かい光が漏れ出ているのがわかる。そして、直感的に気付いた。
――これは、俺が求めていた光だ。
「――立って。扉の向こうに、変えたい過去がある。さぁ、行って」
おぼつかない足取りで扉に近付くと、胸騒ぎがしてくる。求めていたものがあると気付くほどに、鼓動が早くなる。
「俺ってこんなにビビりだったかな……」
心からなんでも出来ると思っていたあの頃の俺が見たら、鼻で笑われてしまうな。
目を瞑り扉を軽く押してみる。意外にも扉は軽く、簡単に開いてしまいそうだ。
この先には何があるんだろう。きっと、明日を楽しみに思える日々が待ち受けてると思うと、心が踊る。
「じゃあ、行ってくるよ」
「――うん、気をつけて」
そして俺は、暖かい光に包まれた。
プロローグ完です。
次回から本編。よろしくお願いします。