トラは化け猫にゃないにゃ
翌日、去勢手術を終えたハチをふれあいペットクリニックに迎えに行き、ついでに発情を抑える薬の話を聞く事にした。
病院に着くと、いつになく元気がないハチが診察台の上で待っている。
「ハチ、大丈夫?おとなしくしてた?」
「痛いよ~。もうイヤだ~!」
麻酔が切れたのか、寅之介に声を掛けられるとハチは泣き始めた。
『先生、ありがとうございます。』
『次は明後日の午後、タロくんの去勢だね。』
さらに1日おいてシロの避妊手術も控えている。
カフェの開店も間近となり、コトラ以外は早急に手術をしなければならないのだ。
『先生、発情を抑える薬の話を聞きたいのにゃ。』
里沙に任せず、寅之介は自分から篠原医師に尋ねた。
『避妊はしたくないけれど、妊娠は望んでいない訳だね。』
『はい。身体に大きにゃ変きゃが起きたら、人間に戻れにゃいかもって聞いたのにゃ。』
篠原が夢の話をどこまで信じてくれるかは分からないが、寅之介はありのままを話した。
『プロリゲストンという成分の薬なんだけどね、日本ではワンちゃんは認可されているんだけど、ねこちゃんは認められてはいない薬なんです。』
それは里沙からも聞いていた。
『薬の影響で子宮の病気が発生しやすくなるというリスクがあるんです。ただ、例外があって小さい頃から重い病気の子で手術が出来ない時とかはこの薬を使う事もあります。』
『寅さんみたいな場合も例外になりませんか?』
里沙も出来るだけ詳しく知りたがった。
『寅ちゃんに関しては医学的に見ても分からない事が多いので、なんとも言えません。リスクを承知でというなら投与致しますが。』
リスクも何も、これからどうなるか全く分からない状態なのでモルモット扱いは仕方ない。
『お願いするにゃ。』
化けねこカフェは、お客様の飼い猫もワクチンや手術済みという条件付で入店可となる予定だが、肝心の寅之介が妊娠出来る身体のままというのはおかしい話なので、即刻プロリゲストンの注射をしてもらった。
いよいよ、店の改装も終わり、化けねこカフェ開店を翌週に控えた金曜日、里沙は店に寅之介と子どもたちを集めた。
『これからミーティングを始めます。寅さん、みんなに通訳してね。』
『はいにゃ。』
通訳といっても、子どもたちにはある程度好き勝手にして構わないとは言い付けてあり、お客様とトラブルにならない様に簡単な注意事項を説明するだけだ。
『里沙さん、寅は前みたいにお手伝いは出来ないけど、一人で大丈夫きゃにゃ?』
『まあね、寅さんは前に言った通り、お客様の案内とオーダー取りはお願いね。……それと……。』
寅之介はちゃんと給料が出る契約になっている。
三宅寅之介としての戸籍は残っているから住民税などの支払い義務はあるし、病院や食事代などの必要経費も掛かる。
それらを差し引いた分は人間に戻った時に備えて貯金に回しているのだ。
ただ、働く以上少しでも役に立たなきゃ給料泥棒になってしまうという気持ちが寅之介にはあり、少ない仕事で給料をもらうには気が引ける。
『明日明後日、駅前でビラ配りをしてもらいます。』
『駅前で?人前に出てやるにょきゃ?』
駅前の人の多い場所でこんな姿をさらけ出したらすぐにSNSで炎上しそうだ。
『悪い事していないんだから堂々とって言ったよね?』
『でも、この手じゃビラ配れにゃいんだけど。』
『まさか、寅さん一人でやらせないわよ。』
その時、店の扉が開いた。
『遅くなってごめんなさい、退職の手続きが長引いちゃって……。』
店に入ってきたのは深雪だった。
『深雪ちゃん!退職って、仕事辞めたのきゃ?!』
『うん、コロナで会社の業績悪かったし、里沙さんにも頼まれたからね。』
深雪はあっけらかんと答えた。
(ホントは寅之介くんのそばに居たいからなんだよ。カフェでちやほやされるのは目に見えているし。)
夢でトラに指摘されたにも関わらず、深雪の思いは相変わらず寅之介には届いていない様だが、これで強力なスタッフが加わった。
『明日明後日は2人でビラ配り、宜しくね。』
『はい、分かりました。』
里沙には一杯喰わされた感じだ。
『にゃんだかにゃあ。』
寅之介は頭を掻いた。
『それから、寅さんにはもうひとつお仕事があるんだけど。』
まだあるのと寅之介は思ったが、仕事量を考えると、全然足りていないので仕方がない。
『寅さんには通訳兼カウンセラーになって欲しいんだけど。』
『カウンセラー……ってにゃに?』
また訳の分からない役職を押し付けられそうだ。
『寅さんは人と猫の両方の言葉も気持ちも分かるんだから、それぞれの悩みを聞いて、答えられると思うの。うってつけでしょ?』
『にゃんだかにゃあ……。』
もう、頭を掻くしかない。
『配るビラをよく見てね。』
ビラには大きく化けねこカフェオープンと書いてあり、寅之介の写真と紹介文、それに[寅さんのお悩み相談]と書いてある。
『えーと、[人と猫の言葉が分かる化け猫寅さんがあなたと猫ちゃんの仲を取り持ち、悩みを解決します!]だって。里沙さん、化け猫に拘り過ぎてない?』
『化け猫って言った方がいちいち細かい説明しなくて済むから良いのよ。』
あくまで化け猫に拘る里沙と寅之介を思う深雪との間には深い隔たりがある。
『にゃんだかにゃあ……。』
間に入った寅之介は頭を掻く手が止まらなかった。