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メスになのに女の子の気持ちは分からないにゃ

『にゃんだかにゃあ。』


病院からの帰り道、寅之介は頭を掻きながら考え込んでいた。


猫になって2ヶ月の間、人間と猫の立場からそれぞれ勉強をしながら子育てをしていたのだが、妊娠から出産、子どもが乳離れするまでが母猫の役目とすると、もうすぐその役目は終わる事になる。


もっとも寅之介は最初の部分がない訳だが、大変ながら有意義で楽しい毎日を過ごしてきたと思う。


出来ればもう一度最初から子育てをしてみたいという思いも沸き起こっている。


しかし、避妊手術をしてしまえばもう二度と子どもは作る事は出来ない。


子育てに全く無縁の雄猫はともかく、雌猫に産まれたならば、一度は子どもを産んでみたいという思いがあるのではないか?


確かに手術をすれば病気に罹りにくくなり、長生きをするかもしれないが、人間の勝手で猫の幸せを奪っても良いものか……。


手術をする前に一度コトラとシロとは話をしてみたいと思った。



その晩、眠りに着いた寅之介は久しぶりに夢の中でトラに出会った。


『あれ?人間に戻っている。』


夢の中では、トラは寅之介の身体から出て別の個体となれる様だ。


『寅之介さん、こんにちは。』


『もう同化は止めたの?』


もしかしたら、このまま夢から醒めると元の姿に戻れるかもしれないと寅之介は思った。


『ごめんなさい。この場所でしか、お互いの元の姿に戻れないのです。お話が終わりましたらまた同化させて戴きます。』


『ここは[トラの間]っていう訳か。』


夢の中に現れる不思議な空間を寅之介はトラの間と名付けた。


トラの間でしか元に戻れないのは少し残念だが、猫の生活に少し慣れつつあり、最初の様な驚きはない。


『なんで私が寅之介さんに同化出来たかをお話したいと思います。実は私、猫又の末裔なのです。』


『猫又?……猫の妖怪なの?』


『はい、私のご先祖様は飼い猫として、100年くらい生きてきたと聞いております。』


トラは淡々と説明する。


『昔から人と猫は深い関係にあるのですが、その中で普通の寿命よりはるかに長生きをすると猫又になると言われてきました。私もその血筋を受け継ぎ、子どもたちを育てようとしたのですが、残念ながらその役目を果たす事が出来なくなったのです。』


寅之介はトラを殺してしまった事を改めて悔やむ。


『幸い、4匹の子どもたちは元気に育っているようですが、もしこのまま手術をしてしまうとその血筋は途絶えてしまい、私はご先祖様に合わせる顔がないのです。』


猫又の血筋だから特別なのかもしれないが、猫もやはり子どもを産んで子孫を残したいのだ。


『勝手なお願いですが、少なくとも寅之介さんか、コトラとシロのうちいずれかは今一度子どもを産める身体でいて欲しいのです。』


勝手なのは人間の方だ。


育てられないからとトラの様に棄てられたり、これ以上飼えないから避妊や去勢をしたりするけれど、猫の幸せなどこれっぽっちも考えていない。


『子どもを産めない身体で長生きするのと、子どもをたくさん産んで早く死んでしまうのはどちらが幸せなんだろう?』


『それは猫それぞれの事情があるので答えはないと思います。でも、人間は猫ではなく自分自身の都合を優先するのです。』


寅之介は子どもたちとは会話が出来るが、普通に飼い主と猫が会話出来れば良いのにと思った。


『実は、自分も子どもを作ってみたい気もするんだけど。』


『いつも一緒にいるので、寅之介さんの考えている事は分かっていますよ。ただ、だいぶ子どもたちも話が分かる様になってきましたので、もう少し会話をして子どもたちの気持ちを聞いた方が良いと思っています。』


確かに、このところ子どもたちにはしつけを優先して会話が成立していない気がする。


『ただひとつ、私自身はっきり分からないのですが……。』


トラが少し神妙な顔になった。


『寅之介さんが再び妊娠をして出産をしたり、避妊手術を受けたりして身体に大きな変化があった場合、その後どうなってしまうかは予測不可能なのです。』


『何それ?どういう事?』


『昔、私の様に同化したご先祖様がいたのですが、妊娠した後に元に戻る事が出来なくなったと聞いております。私は役目が終わって寅之介さんがご所望であれば、元の姿に戻って欲しいとは思っていますが、戻れずに一生このままかもしれないのです。』


もともと人生の目標はなかったし、猫として生きるのも悪くないと思った矢先に当のトラから人間に戻って欲しいと言われるとは思わなかった。


『なんでまた戻って欲しいだなんて言うんだよ?正直、諦めていたのに。』


『寅之介さんと同化する事で、寅之介さんにも人としての大きな未練を残している事が分かりました。私自身、未練があったので同化しましたから、寅之介さんの未練を断ち切るのは本意ではありません。私は目的を果たしたら寅之介さんとはお別れします。』


今さら未練と言われても実感がない。


『未練なんてそんなものないよ。折角一緒になったんだから、ずっと居て良いんだよ。』


寅之介は誰かを傷付ける事が出来ない性分なのだ。


『嘘です。寅之介さんは自分に嘘を付いているのです。』


トラは自信を持って言い放った。


『自分に嘘……ってよく分からないよ。トラと離れたくないよ。』


『私はたまたま猫又の末裔として産まれましたが、普通の猫は飼い主より寿命が短いのです。猫又は飼い主を悲しませない為に生き永らえて妖怪になりましたが、寅之介さんには私が居なくなっても共に生きていく伴侶がいるでしょう?』


『伴侶って結婚相手の事?そんな相手いる訳ないよ。』


伴侶と言われても、ここまで結婚どころか恋人もいなかったのにあり得ない話だと寅之介は思う。


『まだ分からないのですか?寅之介さんを強く慕っている方がいて、寅之介さんもその方をとても好いている筈なのに。寅之介さんは誰も傷付けたくないと言うくせに、一番身近な方を傷付けていませんか?』


寅之介はトラの指摘で気付いたが、すぐにあり得ないと打ち消す。


『それって深雪ちゃんの事?確かに、深雪ちゃんの事は大好きだよ。でも深雪ちゃん自身はただの友だちとしか思っていない筈だよ。まして、猫になった自分なんか、哀れみで居てくれているだけなんだから。』


自分の事を卑下する寅之介に、いよいよトラの堪忍袋の緒が切れた。


『寅之介さんって本当に鈍感ですね!女の子の気持ちなんか全然分かっていない!せっかく女の子になったのに。』


怒ったトラはまた徐々に寅之介の身体に溶け込んでいき、寅之介はまた猫の姿になってトラの間から現実に戻った。


寅之介は大きなソファーの上で目覚めると、隣のベッドではまだ深雪が寝息を立てている。


『鈍感か……にゃんだかにゃ。』


寅之介は頭を掻いた。

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