初めてのお出かけにゃ
喫茶店[風車]は一旦閉店し、改装工事を経て化け猫カフェとして再オープンする事が決定した。
その間にもともと実家暮らしだった深雪は親を説得し、寅之介の部屋に同居する事になった。
猫の姿のままで買い物すら儘ならない寅之介をサポートするためであり、決して同棲という甘い生活ではない。
『よく食べるわね。寅ちゃん、美味しいの?』
『美味しいにゃ。』
寅之介はすっかりキャットフードに慣れた様だ。
『ごちそうさまにゃ。』
食べ方は猫そのものだが、ちゃんと食前食後の挨拶は欠かさないし、仔猫たちにもその様に教えている。
だから皿が置かれても犬の様にステイが出来るのだ。
『ウチの子はみんにゃ優秀にゃ。これにゃら猫カフェがオープンしても大丈夫にゃね?』
『へぇー、凄いね。』
身体が少し大きくなった仔猫たちの性別も分かる様になってきた。
トラ譲りの茶白トビのコトラと、全身真っ白なシロは雌で、ハチとタロは雄猫である。
今は部屋の中で飼っているので問題はないが、猫カフェオープンまでに感染症などを防ぐためのワクチン接種や去勢・避妊手術はしなければならない。
『子どもたちの前に、寅さんも病院で診てもらうからね。』
里沙が寅之介に通告した。
『え?寅も病院に行くのかにゃ?』
最近、寅之介の自分の事を[寅]と言う様になっている。
『当たり前でしょ?寅さんが病気になったらこの子たちの面倒は誰が見るのよ?』
しつけも出来ているし、乳離れをしてしまえば親猫の役目は終わるのだが、寅之介にはトラとの約束を果たす義務があると里沙は主張する。
『言っとくけど寅さん、動物病院は保険効かないんだからバカみたいに高いのよ。それでも万一の事があったら姉貴に申し訳ないし、やる事はちゃんとやるから。』
もう既に万一の事は起きていると突っ込みたかったが、ここまで親代わりとして甘えを許してくれている里沙には逆らえない。
『早速だけど病院行くよ。』
『今からにゃ?』
里沙は猫化してしまった寅之介の事を既に動物病院の先生に相談していて、他に患者のいない時間帯の予約をしていたのだった。
『目立たない様にこれを着なさいね。』
里沙は寅之介のサイズに合った服を何着も知り合いに頼んで作っていて、外出をする時のために用意していた。
服は前にボタンの付いたワンピースで、寅之介の毛色に近い無地の色である。
腰の部分は尻尾を隠せる様にゆったりした作りになっているが、その部分にはボタンホールの様な穴があり、尻尾は出す事も出来る。
靴は履けないので足は隠せないものの、あまり目立つ事はない。
帽子も用意してあったが、敢えて耳の部分だけ開いていて隠してはいない。
『耳出して良いのにゃ?』
『無理に隠すのはかえって不自然でしょ?』
確かに、耳を隠すとなると帽子ではなく大きなヴェールの様なものにしなければならず、かえって注目を浴びる事になる。
『にゃんだかにゃあ。』
『寅さん、外に出て変に隠すより、ありのままに近い方が良いと思うの。ばれて騒がれるかもしれないけど、寅さんは何も悪い事している訳じゃないんだから堂々としていなさい。』
正論である。
人目に触れない様に生きていければそれはそれでありだが、人と接する以上、こそこそしていたらかえって不審に思われるのだ。
『似合うかにゃ?』
今までは部屋暮らしだったため、ずっとTシャツ1枚で過ごしてきた。
人間としての羞恥心は残っているので、裸で生活は出来ないのだが、初めて[自分の服]を着る事が出来て嬉しい。
『だからといって勝手にどこにでも行けとは言わないけどね。出かける時は車で一緒に行くから。』
駐車場は建物に隣接しているので人目に触れる事は少ないが、もし近所の住人に会ったら、普通に挨拶をすれば良い。
寅之介はトラを轢いた日から初めて外に出た。
車はその時の軽バンだが、免許は返納してはいないもののもう運転は出来ないので、助手席に座り、シートベルトは里沙にしてもらう。
『何かと不便だけど、まあ仕方ないわね。』
車で10分程走ると、[ふれあいペットクリニック]に到着した。
『こんにちは。』
『やあ、いらっしゃい。』
出迎えた医師は篠原佑樹と名乗り、如何にも動物好きな優しい感じだった。
『最初電話で里沙さんから聴いた時は冗談だと思ったけど、これは驚いたね。』
篠原は里沙とはかなり以前からの付き合いがある様で、信頼出来そうだ。
『今日はいろいろ調べるからちょっと大変だけど、我慢してね。』
『ふにゃ!』
その言葉に多少不安を覚えたが、既にまな板の鯉ならぬ診察台の猫である。
血液を採取されたり、レントゲンやエコー検査で身体の隅々まで調べられた。
『さて、これからの事ですが、避妊手術はしますか?』
猫にとって避妊手術は子どもが出来なくなるという以外に、子宮の病気や乳ガンを防ぐ事が出来る。
また発情期の発情は起きなくなり、一般的に避妊をしない猫より長生きをする傾向がある。
『手術!?……なんか、怖いにゃ。』
病気にもなっていないのに手術をするのは抵抗があるが、大抵の飼い猫は避妊・去勢の手術はしている。
むやみに子どもを増やさないのも飼い主の義務であろう。
『先生。寅さんに関しては保留にして戴けますか?まだウチに4匹仔猫がいるので先にその子たちの手術をしてもらいたいのですが。』
里沙の助け船で取り敢えず手術は回避出来たが、自分自身は手術を拒否して子どもたちに受けさせるのがなんか恥ずかしい気がした。