猫になってしまったのにゃ
『みゃー、みゃー。』
寅之介はお腹を空かせた仔猫たちの鳴き声で目が覚めた。
(そっか、昨日仔猫たちを連れてきたのは夢じゃなかったんだよな。それにしても変な夢だった。死んだ親猫が自分と同化して自分が猫になっちゃうなんて。)
前夜、寅之介は車で猫を轢き殺してしまったのだが、その猫には産まれたばかりの4匹の仔猫たちがいたのだ。
寅之介は死んだ親猫を弔い、親猫の代わりに仔猫たちを育てる事にしたが、その晩親猫が夢に出てきて寅之介の身体に入り込み、寅之介の身体は半分猫の姿になってしまったのである。
『みゃー、みゃー。』
仔猫たちは激しく催促する。
『ごめんにゃ。今おっぱいあげるからにゃ。』
(え?この喋り方なに?おっぱいって?)
寅之介が自分の手を見ると、人間ではなく肉球が付いた猫の手になっていた。
慌てて姿見で自分の身体を見ると、そこには猫になっている寅之介の姿があるではないか。
『本当に猫になったのにゃ!夢にゃないのにゃ!』
寅之介は気が動転した。
話は前夜に戻る。
『寅さん、買い物お願い出来る?』
三宅寅之介は叔母でありバイトをしている喫茶店[風車]のオーナーでもある村上里沙からお使いを頼まれた。
『は~い、行ってきます。』
里沙から寅さんと呼ばれ、実の子の様に可愛がられている寅之介だが、かなりのお人好しで、単に里沙が良いようにこき使っている様にも思える。
寅之介も里沙も生まれは静岡県だが、里沙は東京で結婚をした後離婚をし、東京郊外で中古2階建ての店舗付きアパートを購入、[風車]とアパートを経営していた。
寅之介は東京の大学に合格して上京した時から里沙のアパートの一室に住み、同時に風車でアルバイトをしているが、大学は卒業したものの、コロナ禍の為企業への就職が叶わないまま卒業後もバイトを続けている。
『えー?これからお使い?里沙さん、あんまり寅之介くんを苛めないでよ。』
カウンターでコーヒーを飲んでいた大学時代の同級生・佐藤深雪が寅之介の代わりに歯向かった。
深雪は大学時代、寅之介と共にずっと風車でバイトをしていたが、就職を果たした今も土日だけ店を手伝っていて、金曜日の夜はこうしてコーヒーを飲みに来ている。
その理由は勿論、寅之介の存在だ。
お互い、両想いなのは深雪自身も里沙も分かってはいるが、お人好しで奥手な寅之介は卒業してからもずっと告白出来ずにいる。
過去には里沙が仕組んでデートをしたり、深雪の方からアピールをしたりした事もあったが、いつも空回りでほとんど進展はしていない。
『深雪も行きたいんでしょ?行ってきな。今日のコーヒーはサービスするから。』
『里沙さん、一人で大丈夫ですよ。』
寅之介自身はいつまで経ってもこの調子なのである。
『良いから2人で行ってきな。朝まで帰って来なくて良いから。』
『なんだかなあ。』
寅之介は頭を掻きつつ、里沙に従う。
[なんだかなあ。]は、寅之介が困った時の口ぐせで、決まって頭を掻きながら呟いていた。
『里沙さん、いつもありがと。』
寅之介が車を出している間に深雪は里沙に感謝した。
買い物自体はさほど重要なものではないが、里沙は寅之介と深雪を2人だけにしたいという理由で買い物に行かせたのである。
買い物を終えた帰り道、寅之介は黙って車を走らせていたが、深雪が寅之介に問いかけた。
『ねぇ寅之介くん、このまま就職しないで大丈夫の?』
コロナ禍で不安定な世の中とはいえ、せっかく大学を卒業したのに就職しないのは理解出来ない。
『大丈夫な訳じゃないけど、里沙さんの店も大変だし。それに俺、コーヒー好きだから。』
寅之介は風車でバイトをし始めてからいろいろな銘柄のコーヒーを飲んで研究し、卒業論文のテーマにするほどコーヒーが好きになった。
深雪もバイトを通してコーヒー好きにはなっているが、寅之介には到底敵わない。
『ばか……。』
いつまで経っても自分の気持ちに気付かないお人好しで鈍感な寅之介に小声で呟いた。
『え、何?』
寅之介が深雪の呟きに一瞬気を取られた瞬間、目の前を横切る小さな物体に気付けなかった。
『ね、猫!!』
その小さな物体が猫だと思ったその時にはもう遅く、寅之介は急ブレーキを掛けたが、猫は左前輪の下敷きとなってしまった。
『ああ!やっちゃったあ!』
気の優しい寅之介は急いで車を安全な場所に停め、猫の元に駆け寄るが既に血だらけの猫の息はない。
『ごめん……ごめんよ。』
気の優しい寅之介は、自分の手や服が血で汚れるのも厭わず猫を抱いて泣いている。
『寅之介くん……。ごめん、私が変な事言ったから。』
『深雪ちゃん、そんな事ないよ。気付かない俺が悪いんだ。』
寅之介の判断が遅れたのは自分のせいだと深雪は思ったが、寅之介は否定した。
『深雪ちゃん。悪いんだけど、店に行ってシャベルかスコップ借りてきて。』
もう風車までは歩いても直ぐの場所であり、深雪は寅之介の指示に従い、里沙の待つ店に向かった。
深雪が風車に着いた時には既に里沙は閉店作業を終えていて2人を待っていたが、深雪の話を聞き、シャベルを持って急いで寅之介の元に戻る。
『茶白トビだね……。』
『里沙さん、猫の柄分かるの?』
日本で生息する猫には24種類の柄があるというが、茶白トビは全体は白く、耳周りだけ茶トラ地の猫は茶白トビと呼ばれる。
『まあね。今の店、猫カフェにしようと考えていた時もあったし。』
里沙が猫好きだというのは寅之介も知らなかった。
寅之介は猫が轢かれた場所の脇にある空き地にシャベルで穴を掘り、茶白トビの猫をそっと置いて埋めた。
『ごめんね。』
寅之介が涙ながらに呟き、3人は手を合わせる。
その時、空き地の片隅からか細い猫の声が聞こえた。
『みゃー。』
『仔猫?』
3人が声のする方へ向かうと、産まれたばかりと思われる小さな小さな仔猫が4匹、母親の帰りを待つかの様に鳴いている。
『この子たち、さっきの猫の子なんじゃない?』
4匹はみんな違う柄であるが、一匹だけ死んだ猫と同じ茶白トビである。
『そっか……、仔猫が待っていたから急いで戻ろうとしていたのかもね。』
『里沙さん、この子たち、ウチで飼っても良い?』
寅之介のアパートは特に動物を飼ってはいけないというルールはないが、それは里沙自身が動物好きだからであった。
『ダメって言っても寅さんの事だから、隠しても飼うつもりしょ?もしこの子たちの親が死んだ猫なら、飼わなきゃ3日も持たないだろうからね。』
里沙の了解を得て、寅之介は産まれたばかりの仔猫たちを育てる決意である。
『ありがとう。ごめんよ、君たちのお母さんを轢き殺してしまったんだ。代わりに大きくなるまでちゃんと育てるからね。』
仔猫たちはまだ目が見えないが、寅之介の言葉を理解して反応している様だった。
久しぶりの小説投稿になります。
憑依する茶白トビの猫は妻が結婚する前からずっと飼っていた猫[トラ]がモデルです。
20年くらい生きたおばあちゃん猫で、結婚後は実家に残してきたものの、たまたま最期を妻が看取る事になり、最初で一番可愛がってくれた飼い主をずっと覚えていてくれたんだなと思いました。
また、登場する他の猫も過去に家にいた猫や野良だけどよく家に遊びに来ていた猫たちです。
今は自宅に5匹猫がいますが、知り合いからもらった猫が既に妊娠していて、結局産まれた4匹も家で飼う事になり、猫屋敷化してしまいました。
今回はそんな猫たちの事を思い浮かべながら書いていきたいと思っています。