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【最終話】

 月末の燃やせないゴミの日。

 千子はビニール袋に入れて黒い電話機を処分した。

 毎日同じ時間に鳴らない電話機への留守電は続いた。

 日を増して、部屋に不快な気配が増え始めて千子は我慢できなくなったのだ。


 奇妙な気配は千子の部屋をうろつきまわる頻度を増した。

 気のせいじゃない。

 何かがこの部屋をうろついている。

 あのうろつく気配が何者なのか、もうどうでもいい。

 電話機を部屋に置いてから、奇妙な事が続くようになった。

 おそらく原因は黒い電話機に在るような気がした……理由はそれで充分だった。


 朝、ゴミの集積所に無造作にゴミ袋を捨てた。

 これでいい。

 振り返り集合ポストの横を通り過ぎる。

 ふと見ると、自分の真下の部屋のポストには名前が無い。

 この前はあったはずの『YUICHI TERADA』の表札だ。

 確かにあったはずなのに、そのポストには真っ白なプレートが掲げられている。

 引越しでもしたのだろうか?

 あの晩会ったあの男が引っ越したのなら、いい事じゃない。そう思った。

 間近で見るとまるで生気を感じなかった。

 時々階段ですれ違う時も、そうだったかもしれない。

 もう不快な思いをしなくていい。


 もう会いたくはない人間だ。

 


 ◆ ◆ ◆



 その日は定時に仕事が終わった。

 電車を降りて改札を抜けた時、なんとなく見覚えのある女性と目があった。

「あっ」

 小さく声をだして、むこうが笑顔で会釈する。

 千子もつられるように会釈しながら、誰だったか考えた。

 同じマンションに住む、二階の住人だ。

 名前までは知らないが、千子があのマンションに越してきた時には既に住んでいた。

 少し派手な洋服をまとって化粧も濃い。どんな仕事をしているのかも知らない。

「ねぇ、あそこの部屋やっと入居したんだって」

「えっ?」

 千子には何の話か判らない。

 この女性と話しをするのも初めての事だ。

「201号室よ」

「ああ、もう他の人決まったんですか」

「もうって、なに? あそこは2年間以上ずっと空きっぱなしよ」

 千子は一瞬、眩暈がするほどの悪寒を感じた。

 商店街にあるゲームセンターの自動ドアが開いた瞬間、電子的な喧騒が流れ出してきた。

「えっ?」

「あぁ、あなた、あの事件の後に入ったんだね」

「事件?」

「まぁ、新しい入居者が入ったって事は、もう時効よね」

 女は話題に似合わない、妙に色っぽい笑みを零す。

 薄闇を照らす商店街のぼんやりとした明かりに包まれて、彼女の笑みだけが明朗に浮かぶ。

 千子は目の前の女の唇をぼんやりと眺めた。

 紅いグロスがテラテラと艶やかだ。



 201号室の男は二年前に亡くなっていた。

 男女交際でのトラブルで、女性が部屋に乗り込んで来て彼をめった刺しにしたらしい。

 そして女もまた、自分を刺して命を絶ったのだ。

 千子が上京する少し前の話しだという。



 千子は翌日、マンションを管理している池袋の不動産屋に足を運んだ。

 事件の事についてはほとんど話しは聞けなかったが、マンションの地下倉庫にしまってあった粗大ごみを、少し前に少々処分したという話しを聞いた。

 あの時千子が見た粗大ゴミだろう。

 管理会社がマンションの倉庫にしまっていたモノを、ゴミ捨て場に処分したところ、千子は電話機だけを拾ったのだ。

 そしてあの電話機は、201号室で亡くなったあの男。テラダ ユウイチのモノなのだろうか。

 千子の部屋を徘徊した気配は、ユウイチなのか、それともショウコなのか。


 引っ越したい……。

 千子の本心はこのマンションから出たかった。

 しかし引越しにはまとまった金が必要になる。

 敷金が戻ってきても、引越しする為に必要な金額には及ばない。

 あの事件の後住人はほぼ入れ替わったのに、未だに住んでいるあの女性もおそらくは同じ理由かもしれない。


 それでもその後の日々は平穏だった。

 普通に仕事をして、家に帰ってテレビを観ながら夕飯を食べて。

 バスルームでシャワーを浴びていても、扉の外には何の気配も感じない。

 安堵の日々。

 残業は相変わらずあったけれど、何度か仕事帰りに同僚と酒を飲みに行ったりもした。

 留守録ランプの怪しい光を発する電話機も、もうない。



 さらに時間は過ぎてゆく。

 夏空が上空に広がり、ビルの向こうに入道雲が見えた。

 ミラーガラスの景色は、陽光をギラギラと撒き散らす。

 会社帰り、児童公園の木々でジジジジ……と蝉が鳴いている。

 千子は相変わらず通勤時もOLルックのままだった。さすがにこの蒸し暑さでは、ブラウスだけのラフな格好だけれど。

 蝉の声にふと立ち止まった千子は、カバンの中で光る物を目にした。

 携帯電話に留守録伝言が入っている事を示すランプが、チカチカと点滅していた。

 電車に乗っている間に、誰かから電話がきたのだろうか……?

 千子はその場で携帯電話を手にすると、開いた画面を見る。

 確かに留守録が入っていた。

 留守録再生のショートカットボタンを押す。

 親指の爪に塗られた透明なマニュキアが街路灯に照らされてテラテラと光った。


 再生が始まる。

 スピーカーからガサガサッと何かを擦る音が聞こえて彼女は耳をすました。


 児童公園の蝉の声がうるさくて、少し歩いた。

 月のない闇に、街路灯の明かりだけが煌々と立ち並んでいる。

 微かにザザザ……とノイズが聞こえる。

 音声が小さくて、さらに耳をすました。



『……いち、いるんでしょ。わかってるんだからね。いるのわかってんだから……』





  ――END――


お読み頂き有難う御座いました。

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