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【第7話】

 また留守電が入っていた。

 電源を切っても、留守電は入り続ける。

 千子は留守電の女性が呼ぶ男の名前をようやく知る事ができた。

『…ゆう…いち、いるんでしょ。そっちに行くからね。今から行くから! いるの判ってるんだから』

 昨晩の留守電だ。

 ノイズで聞き取り難かったが、4回繰り返して聞いてようやくわかった。

 それにしてもまさか……ここの場所がわかるのだろうか?

 電話番号がわかるくらいだから、場所も知っているのだろうか。

 でも全ては間違いなのに……。

 千子は暗たんとして消去ボタンを押す。

 もう会社からの電話なんて考えていなかった。

 この留守電には何時まで伝言が入り続けるのだろう。

 床に置いた電話機は、今日もくすんだ闇のように黒々としている。



 会社は七時に終わった。

 最近はだいたいこの時間に終わる。

 電車に乗って人混みにもまれながら何時もの乗降駅で降りる。

 小雨が降っていた。

 千子は小走りに商店街を駆け抜けると、ぼんやりと街路灯が浮かぶ路地を足早に急いだ。

 途中のコンビ二で小さなお弁当とカロリーオフのコーラを買う。

 コンビ二を出ると小雨は上がっていたが、湿度が増したのか景色は薄靄に包まれていた。

 街路灯の明かりが、煙った闇に溶け出すように路地を照らす。

 千子は小さな靴音をたてて、やはり足早に歩いた。角を曲がって直ぐにマンションが在る。

 何気なく集合ポストが目にはいって、階段の手前で彼女は唐突に足を止めた。

 集合ポストの半分はプレートに名前はない。

 千子のポストには、苗字だけをローマ字でMORISATOとだけ書いてある。

 その下の、つまり千子の真下のあの部屋。あの男のポスト。

 そこには、YUICHI TERADA。そう書いてあった。

「テダラユウイチ?」

 思わず声が出た。

 あの気味の悪い青年が留守電の『ゆういち』かもしれない。

 千子は咄嗟にそう考えるしかなかった。

 路地に身を乗り出してマンションを見上げる。

 薄靄に聳える、僅か三階建てのマンションが闇に佇む。

 二階の一番端の部屋に明かりは点いていた。

 あの男はいる。

 千子は足早に階段を上って三階の自室へ入ると、荷物を置いてベッドに腰掛けた。

 少しだけ考えて、立ち上がると外へ出た。

 二階へ階段を下り、突き当りの部屋の前まで足早に歩く。

 湿った風に、靴音が流されてゆく。

 自分の部屋と変わらないドアの前に、千子は立った。

 自分の部屋とまったく同じドア、外壁。

 玄関ドアに表札プレートは無かった。

 チャイムに指を伸ばし、ゆっくりとそれを押した。

 ドアの向こうで3回、ぼんやりとしたチャイムの音が響く。



 少しして、ドアの鍵を内側から開ける音が聞こえる。

 また少して、カチャリとドアが少し開いた。

「あの……」千子が声を出す。

「な、なんですか?」

 ゆっくりと顔の見える角度までドアが開いた。

 俯いた視線は相変わらずで、千子の視線を避けるように彼女の足元を見ている。

「あの……突然ですけど……黒い電話機を少し前に捨てませんでしたか?」

 彼の顔が少し横に動いた。

 視線が泳ぐような仕草だが、俯いた顔の上半分は前髪で隠れているから千子にはよく判らない。

「なんでですか?」

 少し顔の角度が変わって、視線の位置が変わった。

 千子は丁度、自分の股間辺りを見られているような気がして、半歩後ろに下がる。

「いえ、何でっていうほどではないのですが……」

「黒い電話機がどうかしたんですか?」

「い、いえ……」

 どう説明すればよいのだろう。

「ショウコちゃんから電話来た?」

 男は俯いたまま言った。

 口角が微かに上がるのが判った。

「えっ?」

「電話機、拾ったんだろ。キミ」

 知っている。この男は知ってるのだ。

「ショウコちゃんて?」

「ふふ……」

 風が吹いたような笑い声をだす。

「ショウコちゃんは、ショウコちゃんさ」

「誰? どうしてあたしの電話番号を知ってるの?」

「さぁ……彼女は何でも知ってるから」

 冷房の風だろうか……部屋の中から冷気が漂って外に漏れ出してくるようだ。

 千子は半袖のブラウスから出た腕を、両腕を交差させて摩った。

 男は再び「ふふふ」っと笑う。

 背中に続く通路の空間が闇に飲み込まれ、やけに心細くて、千子はその場に居たたまれなくなった。

「もういいです」

 彼女は後ろ向きに歩いて男の部屋のドアから離れた。

 この場所に居てはいけないような気がした。

「彼女は何でも知ってるから……」

 最後に顎を上げてこちらを見た男の顔は、やけに青白くて、通路の常夜灯にぼんやりと溶け込むように浮かんでいた。




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