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【第4話】

 どうしてあの女の声が、再び自分の留守電に入っているのか、千子ゆきこは理解できなかった。

 直ぐに消去ボタンを押して息をつき、コンビ二弁当を半分だけ食べて風呂に入った。

 閉鎖されたクリーム色の空間に、シャワーの湯しぶきが飛ぶ。

 目を閉じて髪を洗う。

 シャンプーを泡立てて、長い髪の毛を丹念に揉み解す。

 シャワーの音に、さっきの女の声が耳の奥で蘇える。

 慌ててシャワーで髪を流して、顔を手で拭って目を開ける。

 クリーム色の閉鎖された空間……いつもの浴室だ。

 シャワーカーテンの向こうで人の気配がする気がした。

「だれかいる?」

 思わず声が出たが、だれもいるはずはない。

 シャワーの音だけが、湯気に染み渡る。

 そっとカーテンを、少しだけ開けてみる。

 やっぱりだれもいない。

 感じた気配はバスルームの扉の向こうへスッと逃げたような気もするが、そんなはずは無いのだ。


 落ち着かなくて、湯船から急いで出るとバスタオルで身体を拭いた。

 寝巻きのスエットを着てベッドに腰掛ける。

 テーブルの下には電話機が佇んでいる。

 ――また、夜中に電話が来るだろうか?

 千子は電話機を見つめる。

 留守録機能は解除したままだった。

 時計は11時を過ぎたところだった。

 千子は点けっ放しにしているテレビのリモコンを手に取り、ボリュームを少しだけ上げた。



 深夜の空気は思った以上に静けさに満ちていた。

 カーテンを少し開けて窓の外を見る。

 ぼんやりと浮かんでいた三日月は、見えない位置へ動いていた。

 夜の闇だけが、窓の外を満たしている。

 普段は聴こえるはずの大通りの車の音も聞こえない。

 まるで世界が死に絶えたような闇。

 千子はシャッとカーテンを閉めなおし、クッションを枕にベッドに寝転ぶ。

 テレビの上の時計が、もう直ぐ1時になる。

 千子は眠気と戦いながら、かかる電話を待っていた。

 もしまたかかってきたら、直接とって、文句をいってやろう。

 そんなちょっぴり強気な気持ちもあったが、そもそも千子の繋いだ電話にどうして電話がかけられるのか。

 それも問いただしたい。

 しかし、睡魔は威力を増して、そこそこに仕事場で頑張る千子を包み込んでいた。

 湯船に浮いたまま闇の底にゆっくりと引き込まれるような、火照った浮遊感が千子を飲み込む。

 闇の底は、心地よかった。



 アラームの音が、部屋を満たす。

 小さな音だったそれは、ふと意識が覚醒した途端にけたたましく響いていた。

 千子は細長い腕を伸ばしてデジタルの小さな目覚し時計に手を伸ばす。

 ベッドサイドにある小さな小物入れの上に無造作に置いてある時計を、手探りで掴むと胸の前に引き寄せてボタンを押して回す。

 目覚まし時計のアラームを止めるには、ボタンを押した状態で少し廻さなければならないのだ。

 カーテン越しに、朝の陽射しを浴びる。

 千子は薄目を開けて、ゆるい朝の光に満ちた部屋を見渡しながら、身体を起こす。

 朝の6時……髪の毛の寝癖を直して化粧をしなくては。

 千子はのろのろとベッドから起き上がって、ヘアーブラシと寝癖直しのミストを手に取る。

 少し寝不足だ。

 ――なんで寝不足なんだっけ……。

 千子はボーっと天井を見て、それからテレビを点けた。

 外からは、既に朝の喧騒が聞こえる。

 車の走る音、鳥の鳴き声、学生が歩きながら喋るやたら響く声。

 深夜の死に絶えたような世界が、再び息吹いている。

 千子は小さな鏡台を覗き込みながら、髪をとかす。

 今日はそれほど、寝癖は酷くないな。と思いながら立ち上がってカーテンを開けた。

 部屋が白い光に包まれた。

 梅雨の中休みが続く晴れ間。

 蒼い空には、瑞々しい白い雲がぽっかりと浮かんでいる。

 千子は思わず腕を天井に向けて大きな伸びをした。

 しかし何かが背中でチラついていた。

 朝の光を浴びた部屋の置物全ての中で、それだけが光を受け付けないかのように黒々と静まっている。

「ん?」

 千子はゆっくりと、静かに振り返る。

 小さなテーブルの下にある黒い電話機。

 小キズがあって、艶はない。

 まるでそこだけが、小さな闇に包まれている。

 遠い昔から置き去りにされて、時間が止まっているようだ。

 それとも死に絶えた闇の一部分が、そこにだけ残像を残しているのだろうか。

 時を刻まないほの暗く包まれた領域で、留守電ランプの赤い光が、ゆっくりと点滅していた。






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