【第1話】
久しぶりのホラー小説の投稿です。
そう複雑なお話ではないので、暇つぶし気分でお読みいただければ幸いです(^^
短期連載の予定です。
駅を降りると、空は夕焼けに紅く染まっていた。商店街の入り口にある大時計がオレンジ色に陽射しを跳ね返している。
千子は目を細めて大時計の時間を見ると、自分の腕時計があっているか確認した。
不景気の最中、やっと就職の面接に受かり、雇用契約書の手続きの為、会社へ行って来た。
池袋の裏通りに在る雑居ビルの一角に狭いオフィスを構えた輸入販売の会社だ。
インターネット販売を専門としている為、オフィスは小さくていいのだというが、すぐ隣に借りる別室の倉庫には在庫の山が眠っており、そのスペースはオフィスの倍はある。
配管がむき出しの通路は狭く、十二階あるビルのテナントは半分しか埋まっていない。
それでも千子は諦めの中に、それなりの安堵を感じていた。
短大に入ったものの、去年からの大不況で全く就職活動はままならなかった。
卒業までには何処かへ入れるだろうと思っているうちに、肌寒い春の卒業式はあっと言う間にやって来た。
就職浪人する学生は多く、千子の友人も何人かはまだ正規の職にありついてはいなかった。
友達といっても、そう親しい友人はいないのだが……。
千子は極端な人見知りで内向的だった。
大学でもときどきランチを一緒する仲間はできたが、何処かへ遊びに行くような事はほとんどなかった。
度々誘われはしたが、必ず他の大学の男性が一緒だったりして、どうにも気乗りできる物ではなかった。
千子がようやく面接に受かった会社では、ひとつだけ成約があった。
それは家デンを持っている事。
家デンとは、自宅の電話の事だ。
最近は携帯電話さえあれば事足りるし、何かの手続きの際でも携帯番号で充分に対応できる。
親兄弟のいる実家ならいざ知らず、独身者なら今更、新たに家に電話回線をひく者など皆無に近いだろう。
それでも会社では未だに家に電話回線を持っている事が、何故か必須とされるらしい。
千子は茨城から東京の短大へ通うために上京してきた。
もちろん、就職も東京で。と言うのが最初からの目論見だったが、この不況で両親は実家に帰って来いと煩かった。
「田舎に帰ったって、ますます働き口なんてないよ」
千子は母親から電話が来るたびに、そう言って帰郷を避け続けた。
千子はふらふらと人波に飲まれながら商店街を歩いた。
ネット回線をひいているから、IP電話がつながるはずだ。しかし、電話機をどうするか考えていた。
最近家電売り場で売っている凝ったFAX電話機は、意外といい値段が付いている。
アルバイトはしていたものの、生活は楽ではなかった。
千子の容姿は一見ナチュラルで可愛らしい。
卵の先のような顎のラインやキュッと上がった二重の目尻。
しかし性格が少々暗い……。
いや、決して暗いわけではないのだが、ノリが悪い。
ノリが悪いわけではないのけれど、人見知りするからアルバイト先でも人に馴染むのに時間がかかった。
時間がかかっているうちに、先方の彼女の容姿を重視した大きな期待は瓦解してクビになる事もあった。
容姿で採用するような仕事はたいがいそうだ。
携帯電話会社のキャンペーンやビール会社のイベント。
時給のよい仕事は、容姿を重視するものが多く、千子も手っ取り早くそれらに応募する事が多い。
短期間で通常の一月分の収入になるのは、やっぱり魅力だ。
しかし受かるのは簡単なのだが、たいがい途中で解雇されてしまうから、結局たいした収入に繋がらない。
ハキが無い……暗い……元気がない……あたま悪そう……。
だから千子はお金に困っていた。
仕送りは家賃と光熱費と学費の分しか貰っていないから、食費とその他の出費は自分で何とかしなくてはならなかった。
短大を卒業してからは、なんとか家賃だけは仕送りしてもらっていたが、地味な生活にもそれなりの支出がある。
就職が決まったと言っても、3ヶ月間は試用期間だ。
ここに何とか引っ掛かってしがみ付こう。
千子は、既に持っているIP回線の番号を会社に提示した。
直ぐにでも電話機を取り付けておかないと、確認の電話が入る可能性がある。
商店街を抜け出ると人波はまばらに、左右へ伸びる住宅街の路地へ散ってゆく。
連なる街路灯には灯が燈って、夕闇を照らしていた。
駅から徒歩8分。不動産会社の地図では徒歩3分と書いてあったが、千子の歩くスピードでは8分が限界だった。
一度だけ路地を曲がって直ぐ角にある三階建ての小じゃれたワンルームマンションは、月6万8千円。
階段での三階は疲れていると面倒だが、上に住人がいないのはヤッパリ静かでいい。
コンクリートの階段をコツコツとヒールの音を鳴らして歩く。
二階部分の踊場に到達した時、突然人影が現れて一瞬ギョッとした。
二階の住人の男だった。一瞬立ち止まって千子を見ると、俯くついでのような会釈をして通りすぎた。
千子は会釈を返す間も無く、通り過ぎる男をチラ見する。
何となく目つきがイヤラシイから、生理的に受け付けないタイプだと以前から思っている。
男は二階の奥の角部屋に住んでいるようだが、そこは千子の部屋の真下に当たるため尚の事気味が悪い。
会うと必ずさっきのように小さな会釈をするが、目を合わせようとはしない。
それがよけい気味が悪いのだ。
血のめぐりの悪そうな顔は半分、中途半端に伸びた髪の毛で隠れている。
彼女は足早に階段を上がった。
部屋に入った千子はフウッと息をついて、バックを床に置きベッドに腰掛ける。
一度腰掛けた腰を上げて、インターネットのルーターを確認する。
電話機を繋ぐ接続ポートを確認して、溜息を零す。
「どうしようか……」
唸るように小さく呟きながら、リクルートスーツとストッキングを脱いで部屋着を手にした。
「家デンなんてないよ」
大学でずっと一緒だった明奈が電話の向こうで言った。
彼女とだってたいしていろんな場所に遊びに行ったりはしていないし、他から見ればそれほど仲のいい友達には見えないかもしれない。
それでも大学構内ではおそらく、一番親しかったと思う。
今春、就職にあぶれたひとりでもあり、そのせいかこうして時折電話をかけてくる。
会社の雇用契約をしたこの日の夜も、彼女の方から電話をかけてきた。
「リサイクルショップでいいじゃん」
「ああ、そうか」
千子はベッドに寝転んだまま言った。
「2,3千円で買えるかなぁ?」
「それは無いんじゃないのぉ」
「うそぉ」
千子はベッドに流れ落ちた自分の髪を空いてる方の手で触った。
人差し指をクルクルと毛先に絡めてみる。
「普通の電話だよ。なぁ〜んにも付いてなくていいんだよ」
「そんな電話、今時無いから」
明奈はケラケラと笑いながら、声を上げて言う。
言われて見れば正月に帰省した時、実家の電話も何時の間にかFAX付きの電話機に変わっていた。
大きな液晶画面に着信が表示されて、選択して印刷できるやつ。
新しい物に興味を示さない両親の事だ。選択肢が他に無かったという事なのだろう。
「今月苦しくてさ」
千子がボソリとぼやく。
「あんた先月のイベントのバイトも途中でリタイヤだったもんね」
明奈はそう言ってクククっと笑うと
「それよりさ、昨日面接に行った会社のジジイがさ……」
話しは他の話題へ切り替わった。
六月の空模様は気まぐれで、朝晴れていたと思うと黒々とした雲があっという間に頭上を埋め尽くす。
この日もそうだった。
金欠の為家で大人しくしていた千子は、朝から洗濯をしていた。
物干し一杯にTシャツやブラウスをハンギングして干した。
しかし、昼前には急に雲行きが怪しくなって雨がぱらつき始め、慌てて全部取り込んだ。
「もう、天気予報は晴れって言ってたのに……」
洗濯物を取り込んでいる最中に、雨は強さを増してベランダを激しく濡らす。
あっと言う間に外は煙るような水しぶきに包まれていた。
テレビを点けても落ち着かず、ベッドに腰掛ける。
昨日の雇用契約の際、家の電話を確認された。
来週の初出勤までには電話を用意しなくてはいけないだろう。
使いもしない電話を購入する事は、気に入らないブランドバックを無理に買うみたいであまりにも無駄な出費のような気がする。
カードで買えば簡単に済むのだけれど、そう言った考えがどうにも彼女を躊躇させていた。
それに、今月はもうカードで3万くらいは買い物をしてしまっているから、自分でももう使ってはいけないような気がしてならない。
気がしてならないのではない。もう使えない。
「あぁ……」
溜息と共に、声が零れる。
窓の外を眺めると、何時の間にか雨は小雨に変わっていた。
気分を変えようと外に出た。
ドアを開けると、少し冷やりとして湿った空気が通路に漂っている。
マンションの階段を下りると、右手に集合ポストが並び、その裏側は丁度コンクリートブロックで囲まれたゴミの集積場になっていた。
階段を下りながらふと下を見下ろした時、千子の目に飛び込んできたのは、あまりにも都合のよい物体だった。
「あっ、あれって」
小走りに階段を駆け下りた。
スニーカーを履いていたので、逸る足音は聞こえない。
集合ポストの上に来た時、階段の途中からもう一度ゴミの集積場を覗き込む。
月末にはまだ間が在るのに、粗大ゴミが幾つか捨てられていた。
このマンションの住人が誰か引っ越すのだろうか。
季節はずれの温風ヒータと古いビデオデッキ。小さな食器棚の横にはお目当ての物が確かにあった。
階段を下りきって、集合ポストの裏側に回り込む。
千子はそれを手にとって眺める。
電話機だった。
古い型で、それこそ何も付いていないただの電話機。
平らな四角い本体は、おそらく90年代頃のありふれたデザインで、ピアノブラックの表面は小キズとホコリでくすんでいた。
付属のコードが、本体にグルグルと撒きつけて在る。
本体にアンテナが付いているところをみると、子機が付属していたのだろうが、子機らしきものは何処にも見当たらなかった。
まぁ、別にいいや。と思ってそのまま電話機を片手に、今下りてきた階段を足早に上った。
午後の陽射しに、雨上がり特有のコンクリートが湿ったような匂いが窓から入り込んでくる。
千子は汚れた電話機をタオルでふき取り、電話回線を繋いだ。
電話機からは電源コンセントもひとつ出ているので、何だか解らずとりあえずそれも繋いだ。
ピピッと音がして、プッシュボタンの数字の部分が点滅した。
「なにコレ?」
無意識に適当なボタン、数字の3に指を伸ばして押すと、点滅は収まる。
受話器を持ち上げて耳にかざすと、プーーーーーという信号音が確かに鳴っている。
これで電話は使えるはずだが、千子は念のためその電話機から自分の携帯電話へコールしてみた。
トトトトトト。っという信号音の後に呼び出し音。
ブブっと、テーブルの上のケータイが震えだして着メロが鳴った。
「大丈夫だ」
千子は一人ほくそ笑んで呟く。
心配事が消えると、何だか妙に清々しい気分になった。
ベランダに出て、雨上がりの外の景色を眺める。
住宅街の路地の一本先は、建設会社の大きな社宅を挟んで目白通りがある。
車の往来する音が、静かに聴こえてきた。
お読み頂き有難う御座います。
ありきたりのお話かもしれませんが……(^^
お暇が在る方は、次回も宜しくお願いいたします。