夜の巣
二人は路地の間に身を隠す。廃墟は目の前、間近に迫っていた。
「ホテルか?」
「みたいですね、名残程度にしか思えませんが」
目の前の建物は老朽化が激しかった。高さは五階建て位か。掠れて見える看板にはかろうじて読み取れるホテルの文字。割れた窓に、塗装の剥げた外壁。上方を見上げれば錆びて崩れた非常階段。中には人ひとり居なさそうではあるが。
「また一人入ったか」
「ええ」
先程から人がそのホテルへと入っていく。ホテルの玄関に人が近づく度にゆっくりと扉が開き迎え入れている。まるで食虫植物のようなそれは不気味でしかなかった。
「どうします?」
「行くっきゃないだろ。……最悪逃げるけどさ」
ギルは最初から自分だけで問題を解決出来るとは思っていなかった。危険な事には手を出さない。彼の基本となる考えであった。とりあえず様子を見て替える。それが第一だ。
「どこから入ります?」
「正面しか開いてなさそうだ」
「行きましょう」
「おう」
意を決してホテルへと踏込もうとする。ゆっくりと路地からホテルの玄関へと歩く。目の前で扉が開いた。
「これ、もう気付かれてるよな」
「……恐らくは」
「だ、大丈夫だよな。よ、よし、行こう」
ギルは少し気圧されながらもホテルの中へと足を踏み入れた。アリサは周囲を見渡しつつギルの後ろへついた。
外壁の様子から想像していたが、中も相当廃れていた。ロビーの椅子や机も当然のように欠けて崩れ落ち、中身の木目が虫に喰われ露出している。天井の硝子細工のシャンデリアはいくつか床に落下している。カーペットはズタボロに裂かれている。恐らくはシャンデリアの硝子片が切り裂いたのであろう。
「まぁ酷いな、こんな所に人なんかいるのかよ」
「なんか音がしません?」
ロビーは明るさが皆無であったが、その奥の扉からは紫色の光が漏れ出ている。そこから少し物音が聞こえる。ギルはアリサに目配せすると、その光る扉の先を覗こうと近づいた。
「のわっ!?」
「きゃっ!?」
突如二人を襲ったのは背後からの衝撃であった。押し出されるように扉をぶち破る。
「な、なんだよ!?」
「魔法の類ですかね……」
ギルは悪態をつきつつ顔を上げた。
「さ、酒場か?バー?」
目の前には妙に高い丸椅子。端には酒樽が置いてある。酒樽は一部テーブルのように使われ、そこでは男性達が酒を飲み交わしている。それなりに数は多い。その中には先程見かけた灰色のスーツの男も交じっていた。
「ふふふ」
「っ!?」
二人は跳ね起きる。目の前からした女性の声に身を固くする。それは、バーカウンターの向こう側に居た。
「何者ですか、貴女」
「ようこそ、アタシの店へ。安くしておくよ?」
「……断る」
「あら、つれない人。話だけでもしてかない?」
掴み所の無さそうな言葉で話す女性は栗色の長髪を揺らして微笑んだ。その容貌は美しく、この世のものではない程綺麗であった。バーテンダーらしくカマーベストを着用した彼女のバストは少し苦しそうだ。背も女性にしては高め、カウンターで見えないが、脚も恐らくスラリと伸びているだろう。それでいて、親しみやすそうな雰囲気を醸し出している。魔性、とは彼女のような女性を指すのだろうか。
「……男性客を呼び寄せているのはアンタか?」
「んー、彼等は好きで来ていると思うんだけどな。大部分は」
ヘラヘラとギルの問い掛けに彼女は笑った。
「……アンタ、淫魔とかじゃないよな」
「……」
笑っていた彼女は黙った。少しして、溜息を一つ。
「リアーヌっしょ?なんとなく、想像はつく」
「……そうですね」
アリサは隠しても意味は無いと思いながら答えた。
「悪いけど、帰ってくれない?貴方達には関係無いし」
「こっちも商売でね。引くに引けないんだよ」
「そう、じゃあ」
目の前の女は右腕を振り上げた。彼女が指を鳴らすと、先程まで酒を飲み交わしていた男達が一斉にギル達に視線を向けた。敵意を含んだそれに、ギルは恐れを抱く。
「……!!」
一人の男性客が目の前の酒瓶の口を握り込んだ。テーブルに叩きつけ、鋭利になった酒瓶でギルの喉元を突き刺しにかかった。
「危ねえ!!」
ギルは酒瓶が割れる瞬間、恐れを吹き飛ばし動いていた。魔法障壁は間に合い、男性客の攻撃をいなした。
「せいっ!!」
男性客に出来た隙をアリサは逃さなかった。ガラ空きの腹部に掌底を放ち昏倒させる。
「やるじゃない。でも、これならどう?」
周りの男性客達がギルとアリサに襲いかかる。
「アリサ!!逃げんぞ!!」
「ええ、わかってます!!」
狭い酒場内では囲まれれば圧倒的に不利、それを二人は理解していた。二人は一度ロビーへと駆け出す。広いロビーであれば囲まれる可能性は低い。
「頼むぜ、新兵器!!」
逃げる為に踏み出した脚を止めた。ぐるりと振り向きガントレットを男達へ向ける。一瞬の溜めの後。
「ボルトッ!!」
蒼色の電流が空中を走った。ガントレットから放たれたそれは男達の間を縫い、連鎖する。痺れを伴う電流は動きを鈍らせた。
「ガントレット、パンチ!!」
しかし、決定打には至らない。ガントレットでガチガチに保護された拳を振るう。顎を殴り抜き、ノックアウトする。確実に一人ずつ、決めていく。
「お待たせしました!!」
残りの男達もアリサが蹴り飛ばす。アリサは既に何人かしばいて来たようだ。ロビーには男達があちこちに寝転がっている。そして、バーの扉から女が姿を見せる。彼女は周囲を眺め、嘲るように笑った。
「あらら、同じ人間なのに。操られてるのよ?いいの?」
「んなもん知らんわ!!」
「私、自動人形ですし」
「……なんて奴ら」
淫魔と思しき女性は目の前に立ちはだかった彼らの異質さに少し怯んだ。
「なら、とっておき」
バーの奥から二人組の男が姿を現した。二人の姿は対照的であった。一人は小太りで背が低い、赤い短髪の男である。両手にはバーの厨房にあったものであろうか、フライパンと菜切り包丁を握っている。もう一人の男は痩せ型で背が高い、得物はデッキブラシ。ぐるぐると回し、ギル達にその先を向けた。揺れる青い長髪の先の眼光は淀んでいる。
「ギル……気を付けてください。彼ら、強いですよ……」
「あ?そうなの?」
ギルの目には先程の男達と何変わらぬようにしか見えなかった。
「あら流石、自動人形と言えど女のコなのね。男の身体を知ってるの?」
「うるさいですね、隣の奴の観察眼が無いだけですよ」
「今、俺の事バカにした?したよね?」
アリサは目の前の二人の力量を見定めた。彼等は肉体を鍛え上げている。小太りの男も、その太り方は脂肪だけではないと見抜いた。痩せ型の男も体幹が出来上がっている立ち姿をしている。恐らくは職業柄のもの。軍か、それとも。
「そう、彼等は騎士団の出身者らしいの。今までのとは比べ物にならないよ」
その言葉が言い終わる前に、小太りの男が突進する。速い。フライパンを横に薙ぐ。
「おわっ!?」
ギルはかろうじて魔法障壁で受け止める。しかし、奇襲を貰って体勢が崩れた。横腹は守ったが、正面はガラ空き。小太りの男は包丁の二撃目を喰らわそうと縦に振り下ろした。
「ひいっ!!」
身を捩り、なんとか危機を脱する。しかし、小太りの男の追撃は終わらない。
「ギルっ!!……っ!!」
助けに入ろうとするアリサの目の前にデッキブラシが突き出される。痩せ型の男はアリサに狙いを定めた。アリサは苦しそうに舌打ちをする。
「ギル!!少し待っててください!!」
「待てって言われてもよぅ!!」
フライパンと包丁の波状攻撃に防戦一方。このままでは押し切られる。恐らく、気絶させるまで彼は攻撃を止めないだろう。小太りの男は両手の得物で同時に力強い一撃を放つ。
「くっ……」
魔法障壁を張り、防ごうと試みる。しかし、一瞬小太りの男の方が速かった。
「ぎっ!?」
脇腹に痛み。しかし、フライパンによる殴打の痛みではない。かと言って、包丁による裂傷でもない。ギルの脇腹に刺さったのは小太りの男の爪先であった。そう、大振りの攻撃はフェイク。脚の動きを悟られないようにするための。ギルはそのまま横に転がる。
「痛ぇ、クソっ、ああ、クソっ!!」
頭に血が上る。最初はアリサの助けを大人しく待とうとも考えた。しかし、そうもいかない。何よりも。
「やられっぱなしも面白くねぇ!!このデブ!!ぶっ飛ばす!!」
起き上がりざま、ベルトに結わえ付けたスフィアを後方の壁へ投擲する。立ち上がり、小太りの男を正面に見据えた。小太りの男は突っ込んで来る。両方の得物を使った縦振り、渾身の一撃。
「オラァ!!」
小太りの男の両手首を掴む。魔法障壁も無し。単純な力比べの姿勢。押され、負けるのは見えていた。だが、ギルは笑った。
「角度良し!!高さ良し!!覚悟良し!!いいか、しっかり気ぃ保っとけよ!!」
小太りの男を制しながらガントレットの指先のスイッチを起動する。
「喰らいやがれッ!!」
頭を下げ、姿勢を低くする。小太りの男の淀んだ瞳に映ったのはスフィアの発射口と蒼色の電流。それは一直線に男の頭に直撃する。男が仰け反った隙をガントレットが捕らえる。アッパーカット。
「そのまや眠ってろ!!おぉっ……」
無理な姿勢から放ったアッパーのせいでよろける。一方、小太りの男はドサっと倒れた。勝者が決まった。安堵からか、ギルはその場に座り込んだ。
「ギルっ!!」
「あぁ、大丈夫だよ。お前も大丈夫そうだな」
アリサがギルに駆け寄る。その後方には無残にも頭から床に突っ込んだ痩せ型の男。スープレックスでも決められたのだろうか。腰まで床に埋まっている。
「へへ、そんな顔すんな。俺も中々やるだろ?」
「……ええ」
不安そうなアリサに笑ってやる。俺としても小太りに一杯食わせてやれて満足だ。しかし、もう一人残っている。
「さて、もう流石に手はないだろ」
「……しょうがないなぁ」
二人の手駒を失った女は一歩ずつギル達に近づく。一歩毎に彼女の姿が変わっていく。バーテンダーの洋服は光沢のある黒革の生地の服へ、栗色の髪は毛先から桃色に染まっていく。そして、側頭部からは捻じくれた羊のような角が生えてくる。背中からは小さな黒い羽根が見える。黒く細い尻尾もまた、彼女が人でない事を示していた。露出の多い魔族らしきその容貌、まさしく淫魔であった。
「自己紹介いる?エリーよ、ご存知だと思うけど淫魔でーす」
「申し遅れたな、俺はギルバート。しがない雇われ労働者だ。……エリーとやら、知ってるともよ。なぁ、なんでこんな事してんだよ。いい加減教えてくれ」
エリーと名乗った淫魔に理由を聞く。
「聞きたいなら、もうちょい遊んでからにしない?」
「舐めた口を!!」
勿体ぶる口調に我慢出来なかったか、アリサは拳を構えてエリーへと向かう。エリーは余裕そうに構えている。
「そんなに焦らないで、魅了しちゃうよ!?」
薄紫色の魔法陣が浮かび、エリーは色っぽく唇を投げ掛ける。小さな桃色の光がアリサの目の前で弾け飛ぶ。
「チャーム!!」
高等魔法の一つ、魅了の術である。ギルは昔、本で読んだ事がある。人の体を操ることの出来る魔法。魔族が使えるとされる危険な術であった。
しかし、その様子を見たギルはニヤリと笑った。
「勝った!!ソイツは自動人形だ!!かかるわけ無いだろうが!!」
指差しまでして勝利を確信する。アリサの鉄の拳はエリーの身体へと向かい。
「なっ」
外れた。いや、外した。ギルは眼前の光景を信じられないとばかりに見つめていた。アリサはギルへとゆっくり振り返った。
「えーと、このコ、名前はアリサちゃんだっけ?ゲットーっ!!」
「……マジ?」
嬉しそうに笑うエリーの横で、自動人形が紅く淀んだ瞳で此方を睨みつけていた。




