確かにカノジョはできたけど、お義父さんへの報告はちょっと……
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今日の放課後、17時。校舎裏の桜の木の下でお待ちしています。
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ラブレターかどうかは分からない。
悪戯かどうかも分からない。
そんな手紙が下駄箱の中に入っていた。
その手紙は喜びや期待よりも戸惑いを俺に与えた。
「誰なんだ?」
「どうして俺なんだ?」
心当たりがなかった。
俺は仲のいい友人を除けばあまり人と関わりたがらない性格だ。ましてや女の友達なんて誰もいない。
一目惚れ?
いや、あまり自分でも認めたくはないが、顔がいいと思ったことなどない。
そんな俺のところにラブレターとか……。
裏があると疑ってしまう。
正直顔を出すのが怖い。
だが、本当にラブレターとなれば逃げるわけにもいかない。
不安混じりに放課後まで待ち、夕暮れの中、俺は校舎裏の桜の木の下へと向かった。
※ ※ ※
待ち合わせ場所に辿り着くと、短髪の少女が背を向けて立っていた。夕暮れの逆光で輪郭しか分からず、髪の色もよく分からなかった。けれども、その姿にどこか見覚えがある気がした。
「……待ってたよ」
そしてその声にも聞き覚えがある気がした。
夕陽を背に少女はゆっくりと振り返った。夕陽のまぶしさで目を瞑ってしまうが、顔の一部が影で隠れながらも、その容貌は記憶の中にあるものと一致した。
市川水樹。
隣のクラスの生徒。入学してから一度も同じクラスになったことはないが、成績優秀才色兼備スポーツ万能と、まるで小説の登場人物のようなとってつけた長所ばかりを持っている、学年一の美少女にして学年一の人気者。
彼女に興味を持つ者はかなり多く、よく告白されているとの噂を耳に入れてる。
最近では三年の生徒会長や同学年のサッカー部のキャプテンからも告白をされ、断ったとか。
なんで水樹がここに? と俺は固まってしまった。
「来てくれなかったらどうしようって思ってた」
苦笑を交えながら、どこかホッとしているかのような声を出している。
その仕草がどこか可愛らしく、他の男どもが浮足立つ気持ちもよく分かる。
「ええっと……。どうして私がここに居るのか、まだ分からない?」
聞かれる問いにそのまま頷くと、水樹は小さく溜息を吐いてどこかムッとした表情を見せた。
「あの手紙、出したの、私だよ?」
その言葉に「え?」と声を漏らす。戸惑いを隠せない。
「悪戯じゃないよ?話したいことがあるから呼んだの。それも真面目な話……」
水樹はピンと背筋を伸ばし、凛とした姿を見せながら、ゆっくりと俺の傍へと寄ってきた。
「ずいぶん昔のことに感じちゃう。初めて会ったときのこと、憶えてる?」
優しそうな、それでいてはきはきとした言葉に、俺の心臓はドキリと跳ねあがった。
「まだ人見知りの私は誰彼構わず、よく泣いてたよね。大人たちはそんな私を見て面倒くさそうにしてた。でも文人くんだけは違った。いつだって私に気を遣ってくれた。泣かなくても大丈夫だよって、まだ背の低かった私の目線に合わせてにっこりとほほ笑んでくれた。無理に私の手を取ることなく、無理に私の頭を撫でることなく、私が怯えないようにいつも距離をとって、私が落ち着くような言葉を投げかけてくれた」
今この場面で出てくる水樹の言葉の意味。そのあとにつづられる言葉の意味。輪郭が俺の中で形作られていく。
「同じ教室で、同じ時間を過ごすことはなかったけど、それでも私は文人くんとの学校生活が好きだった。今隣の教室で、今あの壁の向こうで、文人くんが何をしているのか想像するのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。放課後になって教室から出てくる文人くんの顔を見たいって、きっと友達と話しながら現れるだろうからそのときの笑顔の文人くんを見たいっていつも思ってた」
彼女の言葉に逃げることはせず、じっと耳を傾け、理解しようと努める俺がいる。
「ねえ、聞いて文人くん」
そしてその言葉に再び心臓が跳ね上がった。
「初めて会ったときから好きでした。私に優しくしてくれる文人くんが好きでした。ずっと文人くんと一緒に居たいって思ってました。一時の感情じゃない。子供の頃からずっと同じ気持ちを抱いてる。だから……」
彼女は凛々しい表情でまっすぐに、微笑みを壊すことなく、俺に向かって精一杯の言葉を放った。
「これからも私の傍に居てください。妹としてではなく、カノジョとして」
この日、俺は血のつながらない妹から告白された。
※ ※ ※
さて。俺の返事はどうだったか?
悩んだ末にイエスだ。
悩んださ。ちゃんと悩んだ。これまで俺は水樹を妹として見ていたのだ。自分はいいお兄ちゃんになれてるだろうかと悩みながらも、一生懸命理想の兄を目指してきた。血のつながりがなくとも俺にとって水樹は兄として大事にしたいと思っていた妹だった。
水樹の成長を見届け、いつか連れてくるだろう彼女のカレシの訪れを待ち、そのカレシと意気投合しながら、結婚式で旅立つ妹を暖かく見送る。一人っ子の俺ではできなかったはずのそれを、水樹が妹として家に居てくれているおかげで出来るんだと期待していた。
それが根底から崩されたのだ。混乱しないわけがなかった。
けれども、俺にはもう一つ希望を抱いていた。
いつまでも一緒に水樹と家族でいれないかと。今までのように、そして死ぬまで同じ家で水樹と会話し、楽しい思いを共有することはできないかと。お互い別々の人と結婚してしまえばできなくなるであろうことを心の片隅で夢抱いていた。
同級生達にはどう言おう? 正直に言う?
世間体は問題ないだろうか? ご近所さんからとやかく言われない?
血のつながりが無ければ大丈夫なのだろうか? ここで躓いてはダメなことは明らかだ。
色々と頭を悩ませて、俺は絞り出すように「いいよ」と言った。
すると水樹はこれまでにない満面の笑みを涙と共に浮かべて俺に思いっきり抱きついてきた。
「ありがとう!文人くん!本当にありがとう!」
その声は若干くぐもっていて、心の底から本心で俺に告げたのだと分かった。
俺はちゃんと水樹の想いに真剣に向き合えたんだとホッと笑みを浮かべようとしたところで……。
「おめでとう!!!」
校舎のあちこちから、そして木陰から、男女の声が一斉に湧いて出てきた。
混乱する中、その声の主たちをよくよく見れば、俺のクラスメイト、水樹のクラスメイト達だった。一部野次馬もいる。先生とか。俺の担任の声が明らかに含まれてた気がした。
え? あんたは止める立場じゃないの?
「ふふ。みんな、歓迎してくれてるね。文人くん」
そう言うと水樹は涙を拭ってみんなに向かってピースを向けた。
「イェイ!カレシ、ゲットだぜ♪」
昔は人見知りで泣き虫だったとは思えないような言葉を吐く。その言葉に女の子たちはキャーと叫び声をあげ、男どもは指笛を慣らした。先生たちはというと、清い付き合いにとどめなさいよ、だけ。
反対の声が不思議となかった。
「……」
元々妹から告られるなんて思っても見なかったわけだから、心の準備なんて最初からなかったわけだけれども、同級生たちの想像してなかった歓迎の様子になおのこと固まって反応することができなかった。
だが、これだけは分かった。
Q. 同級生達にはどう言おう? 正直に言う?
A. 同級生たちは歓迎してくれているみたいです。何も言わなくてもよさそう。
問題が一つ減っていくのが分かった。
若干放心している俺は、水樹に手を引かれながら校舎裏を発つ。
「みんな!応援ありがとうね!」との水樹の声。それに反応するように同級生たちが一斉に声をあげた。
「お幸せに!」
引きずられ、家路に就く途中、今更ながらに俺はふと気が付いた。
「あれ?もしかしてみんな水樹が俺のこと好きなの気づいてた?」
むしろ気づいていなかったのは俺だけらしい……。
※ ※ ※
帰り道、水樹は俺にべったりと腕に引っ付いてた。
兄妹でそれは恥ずかしい、とは思いつつも、血のつながりなんてないから俺たち二人は似ていない。周りから見れば兄妹とは気づかれないかと思った。
けれども、自宅に近づくにつれて、だんだんと冷汗が出てくる。ご近所さんは知り合いばかりだ。普段はこんな感じでべったり引っ付かない。普段とは違う様子の水樹に違和感を覚えるに違いない。
兄妹仲がいいだけだと思ってくれるだろうか?
小学生とかであればそれで済むかもしれない。
だが、今や俺たちは高校二年生だ。この引っ付きようは明らかに奇妙だろう。
もしかすると禁断の愛に目覚めたとか思われるかもしれない。非難の嵐が飛んでくるかも。
そうびくびくしていると、近所の村田さんに見つかってしまった。
「あらぁ!市川さんとこのご兄妹じゃないの。いつになく仲がいいわねえ!」
三つのエコバックを肩から下げている村田のおばさんの言葉に、俺は顔を引き攣らせて「はは……」と乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。
「私たち、付き合い始めたの♪」
「……」
ムンクの『叫び』を知っているだろうか?
知らなかったら調べてほしい。
今、俺は水樹に向かってそんな顔を浮かべている。
「あらぁ!ついにゴールインしたのねぇ!やるわねぇ!水樹ちゃん!」
俺の表情とは裏腹に村田のおばさんは楽しそうにしていた。
「前々から好きだって言ってたもんねぇ。どっちから告白したの?お兄さん?水樹ちゃん?」
「ふふ。私だよ。ラブレター送って、高校の校舎の裏にある桜の木の下で告白したの」
「あらやだ。ロマンチックねぇ」
二人がガールズトークに花を咲かせている傍ら、俺は村田さんのあまりの理解の良さに固まって動けないでいた。
「ほら。お兄ちゃん!男でしょ!シャキッとしなきゃダメじゃないの!」
村田のおばさんは俺の肩を叩きながら叱咤する。俺はハッと我にかえり村田さんに尋ねた。
「ち、血のつながりがないからって、兄妹恋愛は問題だって思わないんですか……?」
恐る恐るそう聞き返すと……。
「何言ってるのぉ!義理の兄妹なんて苗字がたまたま一緒な幼なじみみたいなものでしょう?」
何か大事なところが間違ってる気がするんだが、村田さんの勢いに圧されて何も反論することができなかった。
Q. 世間体は問題ないだろうか? ご近所さんからとやかく言われない?
A. 村田さんの様子を見ると気にするだけ無駄だったみたいですね。
「てか、まさか、ご近所さん全員に恋愛相談してたみたいなことないよな?」
ふと思ったことを口にすると、水樹はキョトンとした表情を浮かべていた。
「え?したけど?」
外堀を埋めるってこういうことなのかぁ、と他人事のように感心する俺が居た。
※ ※ ※
家に帰っても引っ付く水樹の姿に母が「なんだか今日は仲がいいわね」と問いかける。その言葉に水樹が真っ先に「告白大成功♪」とブイピースを向けた。
「あら、よかったわね。子供のころから好きだって言ってたものね」
「ふふ。ありがとう、お母さん!私、今、一番幸せ♪」
楽しげにそういう水樹。母もなぜだか反対する様子はなかった。
なんだかポンポンと話が進む様子で、万事が解決してしまっている気がする。
このまま流されるままに水樹に付き従う兄貴兼カレシの自分にどこか情けなさを感じていた。
※ ※ ※
夕飯時、三人でテーブルを囲っているとこで、何か大事なことを忘れている気がした。
なんだろうと思っていたところで、玄関先からガチャリと音が響く。
「あら。お父さんが帰ってきたみたいね」
その瞬間、俺は一気に青ざめた。
「ただいま」
帰宅した父の傍に寄る母。鞄とスーツの上着を受け取り、テーブルの席へと誘導する。
父は表情がかたい人で、社交の場に出も出ない限りは中々笑顔を見せない人だが、今日はいつになく不機嫌そうな顔をしていた。
「今日は何かあったの?」
母が尋ねると「今日は気に食わん学生がおった」と吐き捨てた。
「授業の前に現行の司法制度に異を唱える奴が居てな。現状の民訴の手続きは効率性が悪いだの利便性がよくないだの言いやがった。効率性や利便性を追求して法解釈を変えたり制度を変えたりするのは司法の信頼性を揺らぐこと、見るからに明らかだ。だが、三年にもなってそれも分からず批判するとは。そんなに効率性の問題を考えたいなら法学部ではなく経済学部に行けばいいのだ。俺の授業は民事訴訟法だ!制度改革じゃない!何より、民訴手続きの現状維持を唱える論文を引っ張り出しては、時代遅れなど言いおった!その論文を書いたのは他でもない俺なのに、当の本人を前にしていい度胸だ!」
父は法学部の教授で、どうやら学生との間に何かがあったそうだが、専門的な話はよく分からないのと、今の俺に父の会話を気にするほどの精神的なゆとりがないのとで、父の言葉は右耳から左耳に流れていった。ただ……。
「その学生さんにまさかその場で土下座させたなんて言いませんよね?」
「時代が違うからな。大学院生ならともかく、学生にはやらん。ただ、名前は覚えた。単位はやらん」
ものすごい不機嫌なのはよく分かった……。
「もぉ!お父さん!こっちはご飯食べてるんだからそういう話は自分の部屋でやってよ!」
水樹の不満の声に父は「ふん」と鼻を鳴らして手に箸を持つ。
「まったく。今日はおめでたい日なんだから」
「ふん。めでたいとはなんだ」
「ふふん♪今日ね私にカレシができたんだよ♪」
ムンクの『叫び』。二度目。
父はギロリ水樹を一瞥した。何やら言いたいことがあるようだが、一度目を閉じて「清い付き合いを心がけるんだぞ」とだけ言って食事を進めた。
やめてください水樹さん。心臓に悪い。
そう心の中で念じていると。
「ちなみにね、文人くんにもカノジョができたんだよ」
ムンクの『叫び』。三度目。
なんでそこで言っちゃうの!!!?
背筋に冷たい汗が伝わるのを感じていると、父は小さく俺に微笑んだ。
「そうか。文人くんにもお付き合いする女性ができたか。おめでとう」
反射的に「ありがとうございます」と返す。
「だが文人くんはまだ高校生だ。これから大学に出て稼げる男にならねばならん。くれぐれも行き過ぎた恋愛だけはしてはいけない。自分を常に戒めて付き合いを続けなさい」
「はい」
カタカタと肩を震わせながら乾いた声で返事をする。
父はどこか嬉しそうな様子で箸をすすめた。
「文人くんのカノジョがどういう人か、機会があったら教えて欲しいものだ」
さて。ここで大事な話をしよう。
我が家には血のつながりのない兄妹が暮らしている。つまり、俺たち二人のうちどちらかがどちらかの親と血のつながりがないか、両方の親と血のつながりがないかだ。
そして父と母は再婚した夫婦だ。
じゃあ、どういう感じで血の関係が結ばれているかというと……。
俺から見て、実母と義父である。
言い換えれば、水樹から見て実父と義母である。
目の前にいる父は文字通り “お義父さん” なのであった……。
「あ、あはは……。確かにカノジョはできたけど、お義父さんへの報告はちょっと……」
乾いた笑い声を浮かべながらそう言うと「では、心の準備ができるまで待つとしようか」と返された。
乾いた笑いを出し続けていると、横に座っている水樹がウィンクを浮かべる。まるで「頑張ってね」とでもいうかのように……。
Q. 血のつながりが無ければ大丈夫なのだろうか? ここで躓いてはダメなことは明らかだ。
A. ご自分の力でどうにかしてください。
あ。Q&Aが逃げやがった。
ごめんなさい、お義父さん。心の準備、一生できないかもしれません……。