17 ケラスィアの記憶 7
エアロンがペルカに着くとベルが午睡の為の子守唄を唄っていた。
ベルは、ここにいる子供の中でもレイと同じくらいの歳の少女で、最近までは精神を病んでいてまともに話せる状態では無かった。
キトリがここを浄化した事で、彷徨っていた魂がベルを脅かさなくなったのか「見えなくなった」と言って元気になった。
因みに、ここのリーダーはレイで、副リーダーがベルになっており、当然彼女にも相当の収入が入る事になっている。
ただ、レイの様に字が書けたり計算が出来ないので、どちらかと言うと子供達の面倒と躾、ペルカ内の清潔保持を担当していた。
性格は至って穏やか。
レイが言うには、全くそう言う人柄だと分からないほど話ができない状態だったと言う。
ベルが唄いながらエアロンを見た後、やんわり会釈をしたので、頷いて逃げる様に奥に進む事にした。
(泣き叫ぶ子供ほどどうしていいか分からないものはない)
自分はそれをした記憶がない。
奥に行けばレイがいる場所になる。
今は布ではなく、木で作った仕切りを置いて区切りをつけていた。
一応コンコンと仕切りを叩いて訪問を知らせると、椅子を引く音がして間もなくレイが仕切りから顔を出した。
「こんにちは、エアロンさん」
「わざわざ出迎えてくれなくてもいいのに」
教えてもらう立場なのにそんな訳にはいかないと言う。
「そうか」と言うと、レイの頭を撫でて見た。
「多分大丈夫だと思うんですけど」
レイはやっておく様に言っていた帳簿を見せるとまだ途中だと言った。
「ここと後ここの計算が間違ってるな」
「この場合はこういう風に計算した方が……分かって来ました」
残りの計算をして帳簿を完成させると、次はこれから必要になるものを紙へ表記すると、それが意外に穴が多く、途中からベルも呼んで作成に協力してもらった。
やはり、男と女では思う所が違う。
「ベルが居てくれて、助かったな」
人の役に立てる事が嬉しいのかベルがエアロンの事を「優しい人で良かった」と言った。
そんな事を言われてこなかったので返事に困りぎこちなく笑っておいた。
色々やって3の刻にペルカを出ると、そこから歩いてネモスフィロへ向かった。
夕飯にもちょうど良い。
(そうだ、子供達の食事の調達もう少し煮詰めないとな)
帰る前に話していた内容を思い出すと考えながら歩いて行く。
結局、結論に辿り着かないままネモスフィロについてしまったので花の絵が書いてある青い扉を開ける。
「あぁ、いらっしゃい。エアロン、ご友人も来ているよ」
エイティが「あっちだよ」よとジェディディアのいるテーブルに顔を向けた。
「遅かったな」
その第一声にエアロンは苦笑いする。
「待ち合わせしていた様に言うなよ」
今し方歌い始めたノイの歌に合わせピアノを弾いているかの様にテーブルを律動的に指で叩いている。
本当に音楽が好きなんだなと思うと同時に「此奴がイシュタルの使いを探しているやつ」と一枚絡んでいるなんて思えなかった。
こう言う時でなければピアノ弾けば?と言ってやりたい所。
「何れ伴奏できる時が来るから……」
薄らジェディディアの黄色い瞳が開く。
前にタラッサでサファに借りた魔石の色に似ていた。
「……残念だ」
修学院時代、いつも肩までだった若葉色の髪は今はだいぶ伸びて後ろで無造作に結ばれている。
「明日は3の刻には来い。遅れないでくれ」
目を細めて笑うジェディディアがとても珍しくて何となく「うん」と言う。
安心した様にまた目をつぶって唄を聴くジェディディアはもう食事は済ませているらしい。
「激辛ラタトゥイユくれる? あと、ピーナツバターとナッツビヤー」
注文をした物が来て、ラタトゥイユにピーナツバターを混ぜているとジェディディアが何か言いたそうにジッとエアロンを見た。
「なんだよ」
「そんな辛いの食べたら唄えなくなる」
トラヴギマギアで唄っていたのは過去の話だ。
「今はもう必要ない」
ジェディディアは何も言わずにエアロンを見た後また目を閉じ、指でトントンテーブルを叩いていた。
今日も無事に仕事が終わりお店の掃除を済ませた後二階に上がる。
ネモスの部屋に入ろうとする所でウェンに呼び止められた。
「ノイ」
振り向くと理由も言わずに「ついて来い」と言い、夫妻の部屋に招かれた。
エイティはいない。
「…………」
何だろうと思ってしばらく黙っていると、ウェンが話し始めた。
「お前はイシュタルの使いなのか?」
多分エアロンらが話していた内容が聞こえたのかもしれない。
誰かが勝手に呼んでいるだけで私にはその自覚はない。
「…………」
視線をゆっくりそらして困った様に笑う。
「そうか……」
少しだけ悲しそうにウェンが言う。
「部屋に戻っていい」
ウェンは手紙を差し出した後、エイティが戻って来るからと言って私は部屋から追い出されたのでネモスの部屋まで戻って来ると、中に入ろうとしてまた呼び止められた。
「寝るのかい?」
今度はエイティだった。
「そうかい、おやすみ」
コクッと頷くと、抱きしめて頬にキスをした。
「おやすみなさい」
ふわっと笑い返しエイティが行ってしまうのを眺めてから暗い部屋の中入り、月明かりが差し込む出窓を開ける。
少し離れたところにあるケラスィアの花はもう満開を過ぎて雪の様に花弁を降らせていた。
(もうすぐ花が散る……)
出窓に膝を抱えて座ると窓枠を背に寄りかかりウェンから貰った手紙の封筒を眺める。
「はぁ…………」
ため息をついて手紙を持ったまま散りゆくケラスィアの花弁が降る月明かりの街並みを暫く眺めていた。
私がネモスフィロに来てから8日間が過ぎた。
ケラスィアの咲く時期は必ず雨が降る。
今日は霧の様な雨がしっとりと土地を湿らす様に降っていた。
「良いお湿りだね」
ここ最近は晴れの日が続いていたので作物などには恵みの雨になるだろうとエイティが言う。
今日は休日になるので店は5の刻半から開け何時もの閉店の時間までやるのだそうだ。
4の刻半に起きた私は朝食を食べていた。
時間を見れば時間が迫ってきているのに気がついて慌てて食べ終えると掃除に取りかかる。
「そんなに焦らなくても平気だよ、ここ最近ずっと綺麗にしてくれているだろう?」
深刻に掃除をしだした私を見てエイティが笑う。
店が開いてからは流しで陣取って皿洗いを始める。
今日は雨が吹き込んでくる為窓は少しだけしか開けていなかった。
その少しだけの隙間から雨にもかかわらず話し声が聞こえる。
「ここでいいんだな」
「シッ、あまり大きな声出すと気づかれる」
窓の外を眺める様に空いている隙間を眺めて首を傾げた。
それからはもう話し声はしなくなったので行ってしまったのだろうと思っていた。
2の刻半になるとここ毎日来ているジェディディアが来たのだとエイティの話し声で分かった。
外は随分と雨が強くなってきているらしくエイティがタオルを取りに行ったのでずぶ濡れの様だ。
それから少し経つと、お酒の入った客とジェディディアが少し言い合いをする声が聞こえた。
こういう時にエアロンが居ると止めてくれるのだろうけど。
ネモスフィロの歌姫は随分と美化されている様でジェディディアがこうあるべきだと力説し、他の客はここでこうやって聴いているのが良いとかなんとかどうでも良い内容だった。
「ちょっとアンタ!」
ドンっ
大きな物を置いた音がしてエイティが止める様にいう声が聞こえる。
聴こえてくる久しぶりの音。
(相変わらず上手……)
「…………」
そろりと振り返ってウェンを見る。
(止められたらやめようか)
だけどウェンは私を止めようとはせずに忙しそうに鍋に向かっていた。
ジェディディアが誘う様に私がここで唄っていた曲を弾き始めると何時もより少し客の少ない店内が賑やかになり、一人の客が唄い始める。
そわそわした気分になりトコトコとカウンター脇の通路に出て壁からひょっこり顔を出してみた。
「お? ちっこいのが出てきたぞ」
「可愛いなぁ、おい、こっち来て一緒に唄え!」
その声で私が出てきた事が分かったエイティがにっこり笑って「今日は特別だよ」と言う。
エイティを見上げてコクッと頷いた。
どう出したのか、店内に大きなグランドピアノが置かれており、それを弾くジェディディアの近く迄行くと軽く会釈をした。
やっと出てきたかとでも言う様に、ジェディディアが軽く頷くと「曲は?」と短く聞いた。
「五つ目の季節を」
「深いな」
ニヤッと不敵に笑うジェディディアにニコッと私も返した。
季節は四つしかない。
繰り返し来る季節を変わりながら、あるいは変わらずに春を迎え、再会することを約束する意味が含まれるこの唄は旅人うものであまり知られてはいない。
だから、その唄を知っているジェディディアの事を流石だと思った。
伴奏が始まる。
最初の楽句を唄うと今まで騒がしかった店内が静かになった事にも気づかずに、目を閉じて唄へ集中する。
今出来る最大限の唄を
唄が終わるといつの間にか来ていたエアロンがとても苦い顔をして立っていた。
店内の窓が全て開けられ、窓ガラスが割れているところもある。
「怖い顔してる」
「そりゃあそうだろ!」
「…………」
呑気に言うジェディディアにエアロンに怒鳴っていた。
「よかった」
ジェディディアが何かを言ってエアロンの肩をトンッと軽く押した。
「え、なに?」
何が良かったのか私にもエアロン分からなかったがジェディディアは安心したのか柔らかい表情をしピアノをしまう。
時計は丁度3の刻になる。
フッと音もなく突然店内の灯りが消え、客から声があがると、今度は緑色の炎があがった。
人は得体の知れないものに恐怖を感じる。
見た事のない魔術の炎に客が恐慌して逃げ惑い始めた。
店内は大混乱だ。
「エアロン、連れて行け」
ジェディディアが言うとエアロンがノイの手を握りしめて勝手口の方へ走って行った。
最近、料理にピーナツバターを入れるやつやたら流行ってますよね。私は、ピーナツバターが好きではないので未経験です。
ノイが唄っていた場面ですが、kokiaさんの「五つ目の季節」がイメージです。この場面は小説を書いた時から浮かんでいたので文章化出来て嬉しいです。
ふわっとイメージはあるもののこの先の文章化に手こずっています。
PV2000達成。
今日も読んでくれてありがとうございました。