さらわれ少女の消えた理由 15『さらわれ少女⑨落ちてきたピース』
急激に流れていく闇に、段々と白いものが混じり、寒さが研がれていく。赤くなった鼻をすすり、吐き出した白い不安をその場において、アシェル達は先を急いでいた。
アクティナでは降らない雪。
それが、タラッサはもうすぐだ、ということを教えてくれる。だが、俺達は目的地について、言葉を無くすことになった。
黒い霧で霞んで見える。タラッサの郊外にはもう既に、瘴気が漏れ出ていた。
「遅かったか」
「いや、あの子が取り込まれていたらこんなもんじゃ済まないはずだよ」
エリュシオンが横で止まり、同じようにその光景を眺める。
サファの魔力の量は、エリュシオン達よりも多く、この国でも、敵う人間がいるかどうかも怪しいらしい。
そんな彼女が、すでに生け贄となっていたら、瘴気はすぐにでもタラッサの街を、どっぷり、と沈めているはずだとエリュシオンは言った。
前を飛んでいたアレクシスが堪らず引き返してくる。
「これじゃ、さすがに俺たちだけじゃどうにもならないぞ!」
「分かった、城に応援を要請しよう!!」
「アシェル王子殿下?!」
振り向くと、肩ほどまでの、金髪に近い茶色の髪を後ろに束ね、50代という年齢を感じさせない童顔の男が、天狐に乗りこっちに向かってきた。
タラッサが領主、ラフェーエル=イースデイル公だ。
「これは一体どういうことですか?」
「詳しいことはまだ分からない。だが、ここで良からぬ事をしている輩がいる、ということが、ある事件を追っていて分かってな」
「なんと……!」
ラフェーエルが暖かそうなオレンジ色の目を見開いた。後ろには、一緒に連れてきた、この領の兵士達が並んでいる。
「手が足りない。悪いが、協力を得られるか?」
「もちろんですとも!」
ラフェーエルの快諾に、アシェルは笑みを返す。
「おい! のんきに話している場合じゃないらしいぞ!!」
アレクシスが叫んだ。
夜中が近づき吹雪という悪天候。黒霧と雪の入り混った中から、グリフォンに乗った黒いフードの敵が現れた!
「あぁ、歓迎はしてくれなさそうだ」
そいつらは、片手に剣を光らせ俺達に向かって飛んで来る。
酷い殺気だ。
寒さに身を縮めることさえ忘れ、緊張が走り、服の中がじっとりと湿度をあげた。
「ピストスを手に入れるくらいだもん。そこそこの権力者《貴族》だろうね」
そいつが雇っているなら、それなりに腕の立つ相手に違いない。
「1、3、4隊は迎撃してくれ!! 第2隊のエリュシオンは待機! エミュリエール、騎士に守護を頼めるか? 以後、連絡は魔道具に切り替えるぞ!」
『了解!!』
各隊が一斉に動き出した。息を吸い込んだ時に入った雪に、瘴気が含まれ、口の中を酸味と苦さで不快にさせる。
「私たちも行きます」
「頼む!」
ラフェーエル達も参戦すると、暗い視界に火花が散りはじめる。どうやら交戦は始まったようだ。
瘴気を浴びれば、体に不調を引きおこす。守護魔術はそれを防ぐ為であり欠かせない。エミュリエールが騎士の軌道を先読みして魔術を展開していく。
人数が多い時に使う範囲型のそれは、使うのも簡単じゃない。エミュリエールがいなければ、使うのはエリュシオンになっていただろう。だが、彼には他にやってもらいたい事があった。
この場に、国の『守り神』と称されるバウスフィールド家の2人がいる事は、不幸中の幸いだ、と俺は少し口元を緩める。
『ほらっ! フィリズ、あの黒い奴らが、サファをさらった悪いやつだよ』
『なんですと──!!!! もう、許しませ────ん!!』
ゴオオォォォォォォォォ!!
振り下ろしたフィリズの剣先から、怒涛のように火柱が突き出る。前方で剣を交えていたアレクシス達が慌て避けると、敵に直撃して燃え落ちていくのが見えた。
人を焦す匂いが、一瞬であたりに広がる。
「ふざけんな、この爆進放火娘──!! 味方まで燃やす気か!!」
アレクシスが、燃えた外套を払い、ギロリ、と彼女に抗議の目を向けた。
その時。
ドカアァァァァ────ンン!!!!
今度は何事かと目を向けると、セドオアが建物もろとも無言で敵を叩き斬り、狂戦士と化していた。
・・・・・・
ラフェーエルがあっけに取られている。
いや、ホント、すまん。
「いやー、あっちは楽しそうでいいねぇ」
「お前。焚き付けるなよ」
笑い声をあげながら、その様子を見ているエリュシオンに、横目を向ける。
「まぁ、そう気負わないでさ。僕もひとつ仕事してくるよ」
エリュシオンは、隊員にその場をまかせ、瘴気の及んでない居住区に動き始めた。
俺がアイツをここに残した理由は、固有魔術《イストリアの嗎》のためだ。あれを使えば、応援が来るまでの間、瘴気から街を守る事ができる。
よく分かってるな、と思い彼を目で追っていると、こっちを振り返った。
『アシェル。唄い手の要請もしておいてね』
『そうだったな。分かった』
最終的に、この瘴気を取り払うには『浄化』の音術が必要になる。俺はもう一度、手紙を飛ばした。
『でも。国一の浄化持ちは、あの中なんだけどね』
と、エリュシオンがひと言付け加えた。
げっ、そうだった!
アイヴァンは『浄化』の優れた唄い手。
だけど、浄化の音術は使う頻度も少ないため、トラヴィティスとしてではなく、騎士として戦力になることが多かったのだ。
父《国王陛下》に要請すれば、誰か手配はしてもらえるだろうが、その力はあまり期待できないかもしれない。
さっきよりも黒い霧は濃くなり、明らかに広がっている。思ったより、汚染が早い。このままでは、タラッサの居住区は守れても、その外に流れた瘴気で魔獣が暴走する危険だって出てきてしまう。
クソッ、何かいい方法は!
拳を握りしめ、俺は黒く染まっていく街を睨みつけた。
「アシェル、物事とは、もっと先を見据えて考えるものだ。必要なのは見えない情報を掬いあげることなんだよ」
こんな時なのに、いつだったか、父とスカキ(チェス)をしていた時に言われた言葉を思い出す。
”見えない情報”か。その後なんて言っていたんだっけ?
目の前の黒い街の中心をじっと見つめた。
そうか……あの中。あの中だ! もっとよく考えろ。
サファが本気になれば、助けもなくていいほど強い。むしろ、暴れていないのが不思議なくらいだ。
それに、召喚の儀式が完成していないのは、恐らく、彼女が抵抗をしているから。周りには、同じように囚われた子供たちもいるのかもしれない。
いいぞ。
少しずつ見えなかったものがイメージとなる。アシェルはさらに思考を走らせた。
ということは、サファは魔術を使いたくても、出来ない状況、という事になる。それはたぶん……暴走が起きてしまうかもしれないと思っているからだろう。
ファクナスの討伐の後、俺たちは彼女に、それが周りに大きな被害を及ぼす危険なもの、だと言っている。
そうだ、俺もこの事件を聞いて捜査を始める時、そう考えたじゃないか!
追い詰められていた一手に、新たな道が生まれる。不明なピースが降りてきて、それは、サファという駒に変わり、手の中に落ちた。
思い出した。
「無いと嘆くより、今あるものを信じて、生かしてやりなさい」
父は、そう、言っていた。
アシェルは手を握りしめ、顔をあげた。
『エリュシオン! 予定変更だ!!』
『え、なに? どうしたの?!』
『こっちに結界を張ってほしい!』
アシェルは郊外を指差した。
『でも、そんなことしたら……結界内に瘴気が充満しちゃうよ。もしかしてあの子を見捨てるの?』
『……そうじゃない』
これなら、瘴気を一箇所に留めることができるし、サファの魔力が爆発しても、被害を限局できる。
『頼む。今は説明している間も惜しいんだ』
『分かった……何か考えがあるんだね』
エリュシオンが戻ってくると、アシェルを素通りして、郊外の建物が集まる場所のうえで止まる。そして、光の玉を作り上げると、掲げて下に放った。
粘液がそこにあった玉を包んでいくように。じんわりと薄い膜を張っていく。
相変わらず柔らかい。その優しい光景に、サファの後ろ姿が浮かんだ。
サファは必死に抵抗して、もしかしたら今頃、アイヴァンの胸ぐらを掴んでいるかもしれない。アイツは勇ましいからな。
思い出すと、俺は笑いが込みあげた。
『エミュリエール、俺を信じて守護をかけてくれるか?』
彼は何言わずに頷いた。守護をもらったアシェルは、結界の中に入っていく。
『アレクシス、少しの間だけ、守ってくれ』
『おいアシェル!! 何してんだ! 戻れ!!』
ここには闘っているやつがもう1人いて、そいつは、今ごろきっと迷っている。なら、俺がすべきことは、思いっきりぶちかませ、と背中を押してやることだ。
魔力は多くても、俺には使える魔術は少ない。だけど、その中に誂え向きのやつがある。
アシェルは手のひらを前に突き出し、魔力を集中させた。
頼むから、気づいてくれよ。
『何するの?!』
『合図を送る。お前達じゃないぞ? アイツにだ』
そう答えた俺はなぜか笑っていた。
暴走でも、水涸れでもなんでも。
来い!!!!
アシェルの手から眩い光が発射される。それは、瘴気をぶち抜き、ポッカリ、と開けた口のような風穴を作っていた。