祭事の補佐 5『エミュリエールの弟』
夜中6の刻(0時)過ぎ。
やれやれ、今日は遅くなっちゃったな。
一人の男が自分の邸に帰ってきた。廊下を歩けば、自動的にロウソクがつき、通り過ぎて行った後、消えた。
「お帰りなさいませ、我が主人」
「あぁ、うん」
「今日は遅かったですね。食事はお済みですか?」
「あっちで、済ませたよ。お風呂だけ……」
途中で会った執事を引き連れ、部屋まで来ると、机の上に積みあがった手紙を見て、男はため息をついた。ほとんどが、夜会の招待状と、お茶のお誘いだ。
「また……懲りもせず、よく送ってくるよ」
「ご主人様は、とても、モテますからね」
執事の言った事に、カラカラと男は笑う。
数年前まで、ここには4人の家族が暮らしていた。だか、ある事件をきっかけに、今は男だけが、この邸の主人として存在していた。
随分、寂しくなったけど、僕は、まだ誰かを妻として迎えるつもりはないんだよね。
男はそう思って、来ていた外套を外し、執事に渡していた。
「あれ?」
「大聖堂からですね」
手紙の中に、珍しいものを見つけると手にとって開いてみる。
「どうされたのでしょう?」
男は、口に手をあてて、手紙を読んでいた。
「……ごめん、ちょっと、出かけてくる」
「今からですか?」
「なんか、急ぎみたい」
「そうですか……エミュリエール様に、よろしくお伝えください」
男は、脱ぎ捨てた外套を、また羽織り、窓の外にケリュネイアと呼ばれる、鹿型の獣を召喚した。
「少し、遅くなるかも知れないから。先寝てていいよ」
「お待ちします。それが、わたくしの役目ですからね」
男はにっこり笑った。
手紙の送り主のエミュリエールは、男の兄だった。血こそ繋がってはいたが、ここ何年も話もしていない。できれば、自分を頼ることは、よほどの事が無ければしたくなかった筈だろう。
「余程のこと……ね」
澄んだ冷たい空気で、星が瞬いている。雨風よけの魔術を使う。男は、真冬の夜空の中、月明かりに照らされて、駆けていった。
※
時間は真夜中6の刻半(夜中1時)になる。
エミュリエールが、部屋で分厚い本を読み、調べ物をしていた。
ガチャリ、と突然、扉が開く。
入ってきた人物を見て、エミュリエールは、ボトッ、と手に持っていた本を落した。
「手紙は出したが……さっきだぞ? いくらなんでも早くないか? エリュシオン」
エミュリエールは苦笑いしていた。
「なんか、急ぎみたいだったからさ」
2人は双子のようによく似ている。エミュリエールと同じ金髪を、同じように三つ編みに結び、唯一違うのは、瞳が紫色をしているところだった。
「久しぶりだね、兄上」
「あぁ」
エリュシオンが目を細め、目尻が下がる。エミュリエールは、まるで、鏡を見ているかの様に思った。
「夜も遅いからさ、あまり、長く話するつもりないけど、特殊な瞳で、隠したいって話だよね?」
エミュリエールが、弟に、お茶を淹れる。ミロ(りんご)の香りが部屋に広がった。
「そうだ、それと、魔石を持っていた。出来れば、素性も分かるといいんだが」
「すごい、そんな子、孤児にいるんだ。今呼んでくることは出来ないの?」
エリュシオンは、とても、興味があるようだった。
「一刻前に、私がまじないで眠らせた」
「えぇ……残念だなぁ」
エリュシオンが、少し残念そうな表情をして、頬杖をつき、口を尖らせた。前と変わらない、弟この仕草に、エミュリエールが笑いを零す。
2人は別に仲が悪いわけではなく、ある事件のせいで、疎遠になってしまっただけだった。
「出来れば、このまま役を続けさせたいと思っているんだが……」
「うーん……瞳のことは隠しておいた方がいいと思うよ? 希少なものだと思うし 」
「隠すことさえできれば、何とかなるんだが」
「隠すことは、できると思うよ?」
エリュシオンは、こめかみあたりで、直すマネをした。
「眼鏡か」
「そう。瞳の色を変える魔道具なら、たぶん、作れると思う。でもさ」
彼は両手で顔を支えて、悪戯っぽく、にっこりとした。
「条件があるよ」
「そう来たか」
「もちろん、そんな悪いやつじゃない」
エミュリエールが額を押さえ考え込んでいた。
「あまり不利なものなら、のむわけにもいかない」
サファは、私が司祭になって、褒められたことではないが、特別気にかけており、情も沸いている。それに、弟は、とても頭が切れ、そこに絶対の利益がなければ、こんな事は言ってこない。
利用されるのではないか?
疑う気持ちを、エミュリエールは消せなかった。
「簡単だよ。僕がなんらかで命を落とすような事があれば、兄上にうちに戻っていただく。その代わり、眼鏡だけじゃなく、その子の保護と、追及は、今後も協力するよ」
「……は?」
エリュシオンは、何やら物騒な事を言い始めた。エミュリエールの口から、思わず間の抜けた声が出た。
「お前、死ぬのか?」
「やだな、勝手に殺さないでよ。病気でもないし死ぬ予定も今の所ない。こういうのはさ、建前みたいなものが必要だろうし、僕も歳をとって、色々考える事もあるわけ」
エミュリエールが訝しむように見ると、エリュシオンは、ソファの背もたれに寄りかかった。
「何を考えている?」
「そんな顔されたら心外だなぁ。何年も頼りのなかった兄上が久しぶりに手紙をくれて、しかも相談事だなんて嬉しいだけだって。そう警戒しないでよ」
エリュシオンは、いつもしていたように、カラカラと笑い、肩を竦めていた。その様子からは、弟の思惑は読み取れなかった。
いなくなる予定はない。
それなら……
「今度、彼女はシスティーナに、唄の依頼をしに行くんだ。それまでに眼鏡を準備する事はできるか?」
「交渉成立、かな? 7日ばかりあれば出来るよ。とにかく、今度その子に合わせてよ」
エリュシオンは口に人差し指をたて、顔を傾けた。
「祈念式が終わるまでは、専念させたい。あの子は随分、人見知りだからな」
「ふーん……ま、いいや。だけど、『暴走』には気をつけて」
「分かった」
『暴走』とは、彷徨の時期に、感情の起伏で起きやすい、魔力の制御不能な状態をいう。
まだ、完全には信用してないまま、エミュリエールはお茶を飲み干し、頷いた。
もう夜中も夜中。1の刻(夜中2時)を過ぎていた。とりあえず、今回はここまでで話は終わることになった。
「そうだ、兄上、その子の瞳は、何色だった?」
エリュシオンは窓枠に足を掛けて、ケリュネイアに乗ろうとしていた。
吸い込まれるような、真っ青な瞳を網膜に映す。
「瑠璃色だ」
「……了解。今度みせてね」
エリュシオンが、不思議そうにエミュリエールの顔をじっと見ていた。それは、兄が昔のように、穏やかな笑顔を浮かべていたからだった。
夜空を駆けていく。寒いはずなのに、気にならなかった。
貴族の見栄や、位を気にする横柄な人間を、相手する退屈な毎日に、うんざりしていた。
なんだか、楽しみだよ。
エリュシオンの口元が、薄らと、弧を描く。
彼は、これから起こる出来事をおもい描き、期待し、気分はすっかり高揚していた。