暴れ牛と夜明けの唄 28『帰るところ』
話はこれで終わりらしい。
サファは小さく、ふぅっと息を吐いた。
すぐにでも連れて行かれるのかと思っていたから、正直、拍子抜けしていた。
相変わらず抱っこしたフィリズが「ふわふわ〜」とサファに頬ずりしている。それをじっと見ていたアシェルは、何かを思い出したように彼女を呼んだ。
「ちょっと……抱きしめさせて貰ってもいいか?」
「「えっ?!」」
「アシェル、何を言い出すんだ!」
みんなぎょっとする。特にアレクシスはとんでもない、と首を振った。
何故か彼にはそういう事を言われても、イヤじゃない。用事でもあるのだろうか、とサファは首を傾げて、ぽよっとした腕を広げる。
「どうぞ」
「えっ?」
「え……?」
「サファ!!」
エミュリエールが止めようとした。
言った本人すら驚いていおり、サファは眉を顰める。
「2人とも、小さな子供じゃないんだぞ!」
「うるさい、アレクシス。それに、エミュリエールもだ。友達との挨拶みたいなもんだろ。そんなに口うるさいと、サファに嫌われるぞ」
「む……」
押し切られているのがおかしくて、ふふっと笑い声が飛び出した。アシェル殿下がわたしの前に立ち、ふわりと腕を回す。日向ぼっこをしてるみたいで……温かい。
「ありがとな」
「……これ」
首にかけてくれたのは、ずっと無くしたと思っていた、紅い魔石のペンダント。
「大事なものだろう?」
「可笑しいですよね、顔も覚えてないのに」
これをくれた人は、どこで何をしているのか。生きているかすらも分からない、わたしのお父さんと、お母さん。
彼らから見捨てられたかもしれないのに、暴走を起こした時の怒りは、確かにこれによるものだった。
「自分の知らないうちに、大きな存在となっているものはよくある事だ」
アシェルは自分に言い聞かせるように目を閉じた。
短くなってしまったのが惜しい。頬を擽る髪の、ふわふわした感触。それだけでも幸福感をくれる。何か匂いがするわけでもないのに、落ち着いた。
これが、適合者か。
それと、あの精神空間で見た、鎖に繋がれたサファの姿が脳裏に浮かぶ。あれは、おそらく、
契約魔術、だろう。なぜ、彼女が?
「鎖……」
口からこぼれ落ちていた。
「え?」
「いや。もし、困ったことがあれば、エミュリエールを通してでいい。言いに来い。力になる」
何のことか、それだけで気づく。彼は見たのだろう。わたしがいつも鎖に繋がれている気持ちでいるという事を。
なんて、優しいのだろう。それに、火が灯ったようにジワリ。嬉しさと、切なさが広がる。
言えたら楽になるのかな。
だけど。わたしには傷つけると分かっていて、その上で誰かに告げる勇気はまだない。
見あげた彼の目には、ほんのり微笑む自分の姿が映る。
「ありがとうございます」
そう言うと、彼は一回だけ強くうなずいて、わたしから体を離していった。
「そいじゃ、今日も執務でもしにいくかぁ」
「そうだねぇ」
アレクシスが立ち上がると、エリュシオンが相槌をうった。討伐のお陰で、彼らも忙しい日々を送っているようだ。
みんなが動き始める中、エミュリエールが徐に窓を開ける。
「私たちも帰ろうか」
「外まで行かないんですか?」
「面倒だろう?」
エミュリエールは、ぶっきらぼうに、そう言った。
「…………」
理由なんてなかった。というか、エミュリエール様、そんなキャラでしたっけ?
「ここのところ、心配であまり眠れてなかったみたいだよ」
「えっ?!」
そう思っていると、ハーミット様がコソっと教えてくれる。
「余計なことを言うんじゃない!」
「……エミュリエール様」
「サファもそういう顔をするんじゃない。ほら、行くぞ」
抱っこされるついでだもの。
サファは少しモジっとして、エミュリエールに抱きついた。そこは、いつだって私を受けていれてくれる場所。
ペガサスが飛び上がる。みるみる遠ざかっていく薬室の、窓から見える彼らに手をふり返し、サファは手を翳した。
今日もいい天気だ。
こんなに暑いのに、どことなくオレンジ色が混ざっているのは気のせいじゃない。夏も終わりが近づいている。
今はとにかく暑いから、少しは涼しくなってくれるといいな。
7日ぶりの景色に、トクンと、心が音を立てる。石造の白い大きな建物。
孤児院をおおう木々が、だいぶ鬱蒼としている。休んでいた鳥たちが、獣の気配に気付いて一斉に飛び立った。それは、ここで過ごす孤児のよう。そして、わたしもそのひとり。
来年の春、エリュシオン様の養子になることが決まっている。だけど、それまでもうしばらく、ここがわたしの帰るところでいてくれる。
随分と柔らかくなった風が、剥き出しになった首筋に当たり、隙間の空いた窓みたいにスースーとした。
前は、同じ毎日だと思っていた。去る時になっても感情が揺さぶられる事なんてないと思っていた。だけど、こうやって眺めることは最後かも、と思うと寂しい。
存在を許されなかった野営地で思った恋しさは。
『自分の知らないうちに、大きな存在となっているものはよくある事だ』
その通りだ。
サファはエミュリエールの胸に顔を擦り寄せた。
いろんな感情を知っていくことは、自分が弱くなっていくみたいで怖い。
だから、素直に喜んだりできなかった。だけど、これが、成長というものなのかもしれない。それなら、
頑張ってみよう、と思うくらいはいい、かな?
サファは自分に問いかけて、前を向く。そして、近づいてくる孤児院を眺めると、フワリ、と笑い、愛おしそうに目を細めていた。
暴れ牛と夜明けの唄 ー完ー