祭事の補佐 4『秘密の告白』
明らかに魔術の気配がした。
隣の部屋にいたレイモンドが、立ち上がる。腰に下げている剣が音をたてた。
「おい!」
扉を叩くと中から、ハーミットの間抜けた声がして、中に入った。
「どうしたんだ? これは……」
「魔術が……」
サファは床に寝そべり、気を失っているようだった。彼女の首にかかるペンダントが、キラッと光った。
「お前、魔術を使ったのか!?」
「逃げられそうになって、つい……」
ハーミットは、青い顔をして、そう言った。
レイモンドが琥珀色の髪を掻き、同じ色の瞳を険しくする。
とりあえず、このままでいるわけにはいかない。
サファをそっと仰向けにする。規則的に胸が上下しているのを確認して息を吐き出した。
軽いな。
慎重にサファを抱きあげて、彼女の部屋まで運び、ベッドに寝かせる。
「お前、覚悟しとけよ」
戻ってきて、まだ顔色の悪いハーミットの頭を、ポカリ、と叩く。
「……分かってるよ」
ハーミットが、頭を押さえ俯いていた。
今日は1日、エミュリエールは外出している。2人は、彼の帰りを無言で待つ事になった。
※
5の刻(22時)過ぎ。エミュリエールは帰ってきた。部屋に入ってすぐ、ノックが聞こえてくる。
「レイモンドです。至急お伝えしたい事があって」
少し慌てている様子だった。この時間、普段なら彼らはもう帰っているはずだった。なんとなく嫌な予感がした。
「入ってくれ」
「お疲れのところ、すみません」
「それはいい、何かあったのか?」
後ろには、まるで、怒られることを恐れる、子供の様な表情をしている、ハーミットがいた。
「……すみません、エミュリエール様、俺」
ハーミットが言ったのは、驚くべきことだった。
「なんて事を……」
急いでサファの部屋に向かう。
部屋の扉をノックをしても、返事はなく、エミュリエールは、静かに部屋の中に入っていった。
月明かりが差し込む部屋。
質素な作りの机と椅子がひと組み。その上にいつも掛けているメガネが置いてあった。
右手側にベッド。サファはまだ眠っているようだった。
「燃えろ《フローガ》」
ベッド脇のロウソクに火をつけ、オレンジ色の灯りがいつも隠れている、サファの顔を照らした。
隠す必要なんて、ないだろうに……
でも、これでは、隠したくなるのかもしれないな。
サファの素顔は、想像していたよりもずっと。
綺麗だった……
彼女の胸もとが、炎に揺られ、怪しく光っている。
ハーミットは、このペンダントから、障壁の魔術が発動されたと言っていた。
これは、自分たちも着けていた事がある。魔力で作られ、お守りとして子供が持たされる『魔石』と言われるものである。
障壁の付与がかかっていても、なんらおかしな事はない。だが、持っているのが、ここにずっといた孤児、という事になれば、話は少し複雑になるだろう。
エミュリエールが、魔石にふれようと、手を伸ばした。
「ぅん……」
長い睫毛がふるえ、サファがうっすらと目を開ける。しばらくぼんやりした後、ごろり、と背を向け身体を起こした。
うつむき加減で、ゆっくり振り返り、癖のあるの柔らかそうな髪が一束、はらり、と肩から落ちた。
「大丈夫か?」
エミュリエールが低く、静かな声で聞いた。さっきまで見えていた顔は、いつもの様に隠れていった。
サファはしばらく黙ってから、体を正面に向き直す。
「……すみません。驚きましたよね」
「驚いたのは、君の方だろう? 痛んだり、具合の悪いところはないか?」
彼女が小さくうなずくのを見て、エミュリエールは何故か、罪悪感と、後悔を覚えていた。
「もしかして、話したいと言っていた秘密は、この事だったのか?」
「……はい。それと、後、見た目の事も」
「見た目は、別におかしな所はないだろう?」
エミュリエールが首をかしげると、サファが、ふるふると首を振った。
「びっくり、しないでくださいね……?」
「魔術を使った事以上に、驚くことなんて、きっとないぞ??」
鼻で笑った。
「そうですか……」
サファが前髪を掴み、ゆっくりと手を上げていく。
「っ!!」
ロウソクの灯りに照らされ、彼女の瞳が、初めて顕になった。
深い蒼色をしていた……
でも、それだけではない。
ダイアモンドみたいに、研磨された宝石のような瞳が、ロウソクの灯に照らされて、不思議に煌めいていた。
息を呑む。驚きで言葉をなくし、やがて、落ち着かせるように、エミュリエールは息を吐き出した。
「そうか……それを、隠していたんだな」
「ほんとは、こんなことが起きる前に、話しておけばよかったのです」
エミュリエールは、吸い込まれそうな感覚さえしていた。
彼女の秘密を、知れた嬉しさはあったはずなのに。気持ちはかなり複雑だった。
「君は、貴族か何かなのか?」
「それは……分かりません」
「分からない?」
サファが眉を寄せて、目を伏せる。
「ここに来る前の記憶が、わたしにはなくて」
髪から手を離し、瞳が隠れていった。
「そうか。魔術は普段使ったりしていたのか?」
「いえ、ここで、ロウソクに火をつけるくらいです」
サファが悪いことをしたかのように、ふるふると首を振る。その様子が、なんとも、切なく思った。
サファの体を腕に抱き、背中をトントンと優しく叩く。普通より小さい体。なぜ、頑なに人を寄せ付けないのか、ずっと不思議に思っていた。
こんな事を抱えているとは……
「怖かっただろう?」
聞きたいことは色々あった。だが、それよりも、その言葉が先に出てきた。
「ハーミット様も、とても、驚いたんじゃないかと思います。だから、やっぱり、わたしは……『補佐役』なんて、するべきじゃない」
サファは、苦しそうに、絞り出した声で言う。気持ちは痛いほど分かった。
『補佐役』をする為にどうしたらいいのか? という自問にも答えも出なかった。
ジジッ……
ロウソクが燃える音がして、炎が揺れる。
エミュリエールは、それを愛おしいそうに眺め、目を閉じた。
「それでも、君を補佐から外さない。少し考える時間が欲しい」
サファが、嫌がる素振りもなく、小さく頷く。
「さあ、今日は、もう、そのまま休むといい」
横になったサファの目を、優しく覆う。エミュリエールが、おまじないを唱えると、サファの体から、気が抜けたように、力が抜けていった。
……寝息が聞こえる。
口からため息が漏れた。
役から外さない、と何故言ったのか、エミュリエールは、まだ分からなかった。
サファの前髪をかき分けて、整った寝顔を眺める。
魔石に付与されていた魔術を発動するには、所持者の魔力が必要になる。即ち、彼女に、魔力があることを意味していた。
彼女は分かっているのだろうか?
魔石を持っている、ということ自体、それなりの身分なのだという事を……
それに、あの瞳。目に焼きついて離れなかった。
表情を険しくする。
エミュリエールは、ゆっくりと立ち上がった。ロウソクの火を消してやると、彼は、音を立てないように、部屋から出て行った。