暴れ牛と夜明けの唄 11『暴れ牛②』
鋭く突き出された角をアレクシスが躱す。
「にゃろっ!!」
ちょうど体の横に据えた、ファクナスの大きな頭を、剣で思い切りぶっ叩いた。
ドゴォォォォッ!!!!
やべぇ。
『ちょ……』
おかしいまでの殴打音。地面にできたボコボコとしたヒビ割れが、街壁にまでおよび、悲惨な音を立てて破壊されていった。
『アレクシス、街、壊すなよ』
通信器からアシェルの、ため息まじりの声が聞こえてくる。
『ほっほっ、アレクシス殿。奇矯は、防御する時だけですぞ』
『スマン……つい』
戦闘中だというのに、アレクシスは照れ臭そうに、頭を掻いていた。
『奇矯』というのは、魔術や剣術とはまた別に、集中力をつかって発動できる特異体質みたいなものだ。誰もがある訳じゃなく、たまに持っている程度。騎士の中にも、保有しているヤツは何人かいる。
『なあ』
色々な種類があり、その取得方法も、生まれつきだったり、ある日突然授かったりと様々。アレクシスはその『奇矯』というやつの【豪腕】という能力を持っている。
『なんだ?』
そんな力があるなら、投げ飛ばせばいい、と思うだろ?
「ブモオォォォォ────!!!!」
黒々とした巨体が、前足を高々とあげて、今まさに、アレクシスにのしかかろうとしていた。
『コイツ美味いと思うか?』
何言ってんだ? お前、美味い肉食えない訳じゃないだろ。
『…………』
こんな時にも関わらず、アレクシスはそう言って、振り落とされた足を両腕で掴んだ。
「グオォォォォ!!!! うりゃっ!!」
ゴズズゥゥ────ッッ!!
引きずる音。振り回した相手の体が少しだけ浮く。だが、さすがに、重量級のファクナスは投げ飛ばせないらしい。
『アレクシス、エリュシオンの魔術が出来上がるまで極力ダメージを与えるのは抑えてくれ! それと、ソイツは多分、食っても美味くない』
『ほほ、硬くて食べられたもんじゃないようですぞ』
『なんだとぉ!!!! このぉぉぉヤロォォォォ!!』
ズン!!!!
「ブルルルルルッ!」
ファクナスが荒く鼻息を吹き出し、白く土埃を浴びる。アレクシスは叫びながら、ファクナスの繰り出した頭突きを、大剣で受け止めた。
『うわっ、くっせえ!!!! こりゃ、確かに食えねぇ!』
まったく。年上だから、あまり言っちゃいけないと思ってたが、お前、バカだな……
だが、その単純さが見ていて気持ちいい。アシェルはニッ、と口角を引きあげた。
「ん……ぅぅ……」
呻き声がして、視線を手元におとした。眠っていた人物も、さすがにこの煩さでは、目も覚めるらしい。閉じられていた瞼がゆっくりと開かれる。
「…………」
目が合って、サファが体を起こした。彼女はきょろきょろと辺りを見回したあと、不機嫌そうに目を半分にする。
コイツ、本当に孤児なのか?
そう思ったのは、態度にではなく、その瞳が磨かれた宝石のように、あまりにも美しかったからだった。
※
ドゴーン……
ズォーン……!!
遠くで、重いものが落ちるような音がする。下から蹴りあげられるような振動で体が揺れた。
もう……人が気持ちよく寝ているっていうのに。
うるさい。
布を抱き寄せる。だけど、断続的にやってくる衝撃で、頭は冴え、仕方なくわたしは目を開けることにした。
一体なに?
眉を寄せて、周りを見まわす。遠くに見える街の壁が崩れている。でも、その前に、見たこともない大きな生き物が目に入った。
2本の角に短い首。大きな体に対して小さい頭、短い4つの足は、体重を支えるために太くなっている。
見たことがある動物。これは……
「ファルス(牛)ですか?」
「そうだ。ファクナスはファルス型の魔獣。魔術を使うことはないが、咆哮と体当たりとかの被害が大きくてな。それと、魔術も効きにくい」
「あれは、アレクシス様?」
ファクナスの鼻先にいる人物に目が止まった。大きな剣で受け止めているみたい。ずるずると、足が後ろに摺っている。
「今、戦ってる最中ですか?」
「いや」
アシェル殿下が指差した方を見ると、薄紫色の光が見える。急に凝縮されている魔力を感じて、髪の一本一本が逆立つ。キーン……と耳鳴りがして、耳を押さえた。
あれは、エリュシオン様?
「時間稼ぎだ」
エリュシオン様はケリュネイアに乗って、ファクナスの後方に控えていた。どうも、魔術を使うみたいだ。
あれ?
「魔術は効かないんじゃ?」
「あぁ、だから、挑発するくらいになるだろう。上手くいけばいいがな」
あんな大きいの、大丈夫なんだろうか?
「お前。寝起き悪いのな」
う……
「それは……すみません」
むうっ、とサファが口を引き結んだ。
わたし達は、戦場となる場所から、だいぶ離れている上空にいる。そこからでも分かるほど、彼は、膨大な量の魔力を練っていた。
「あれは、なんの魔術なのでしょうか?」
「さあ? アイツの使うやつは、自分で改造してるから分からない」
アシェルは肩を竦めた。
小さくて、紫色の淡い光が、色素の薄い彼の髪と、白い服に映り、力の流れにあわせて旗めいている。
すごく、きれい……
魔術が、隙なく、無駄がなく、とても、とても丁寧に、精巧に作られていく。
光は強くなり、紫色から真っ赤な色に変わっていき、エリュシオン様は唇を横に伸ばし、軽く口を開けていた。
笑っている?
「なんだか分からないが、耳だけは塞いでおいた方がいいかもしれないな」
「え? どう言う……!!」
と、言いかけて、ぎょっとした。張りつめていた空気が放出される。さっきまで小さかった魔力の玉が、一気に膨れあがり、それは、まるで、天災かのように、大空を紅く焦がし始めた。
えぇ……!
『もっと距離を取れ!!』
アシェル殿下が叫んでいる。でも、そんな事をいう前に、危険だと思った周りの人がにげてっている。
燃えてる……紅で、染まる!
一瞬だけ何かが脳をよぎり、ズキリ、と神経を突き刺した。手で押さえた時にはもう、痛みはなく、この状況で、何が浮かんだのかもすぐ忘れていた。
わたしは、炎の塊で、目に蠢く赤を映しながら、彼の『兄上が本気でキレたら、アクティナが滅ぶよ……』という言葉を思い出して、開けた口が塞がらずにいた。