暴れ牛と夜明けの唄 7『現地まで』
かいた汗が、風で乾き、熱も一緒に奪っていく。だけど、それが心地良いと思ったのは、少しの間だけで、生温い風が苦しくて、深く息を吸い込み、水筒のフタを開ける。
ん……冷たくて、少し甘い。
「この中入るといいよ」
ぐびくびと水を飲んでいると、エリュシオンが外套の中に入れてくれた。
「なんでこんなに冷たいのですか?」
「あぁ、服に魔術をかけあるからね」
なるほど『クリオ』っていうやつかな。
暑さがなくなり、乗り物にゆられる心地よさで、眠くなってくる。
イテ……
サファがエリュシオンに寄りかかると、彼の胸に、眼鏡があたった。
「すみません」
「もしかして、眠いの?」
「少し……」
サファは瞼を閉じていた。
「寝ててもいいよ。いつもなら寝てる時間なんでしょ?」
「そうなのですけど……わたし、たぶん、寝ると起きられなさそうです」
「肝が据わってるねぇ」
眼鏡をとり、胸元にかける。そこには、紅い魔石が揺れていた。かなり大きな作りの石。エリュシオンはじっとそれを眺めていた。
「……エリュシオン様?」
目をつぶったまま話す彼女は、今にも眠ってしまいそうだ。
「なに?」
「眼鏡……ありがとうございます。ずっとお礼を言いたくて」
「……どういたしまして」
サファの髪が風に靡き、エリュシオンの体にまとわりつくと、ミゲ(鈴蘭)の香りが鼻を掠めた。
「君は、勝手に連れてこられたのに、怖くないの?」
「怖くない訳ではない……です。でも、怖いと感じるほど、わたしは、何も知らなくて……」
「なるほど」
エリュシオンがサファの髪に手櫛をとおしてまとめた後、編みはじめた。
頭を撫でられてるみたいで気持ちいい。
「エリュシオン様……寝てしまいそうなので、やめてください」
「だから、寝てもいいって言ってるでしょ? 僕、君を起こす自信あるから」
自信って……もう……眠くてダメ
編み終わると、エリュシオンは自分の髪から青色のリボンを1つほどいて、サファの髪を縛った。
「ほら、できた」
「…………」
「あれ、ホントに寝ちゃったの?」
サファは、すでに静かな寝息を立てて、眠ってしまっていた。
「やっと、追いついた。ん、そいつ、寝てるのか?」
「いやー、こんな懐かれると、僕も戸惑うよ」
「安心しろ。懐いてるのは、お前じゃなくて、エミュリエールに、だからな。わはは」
「それくらい、分かってるよ」
べーッ、とエリュシオンが舌を出した。
兄とは性格は違うのに、適合者だからか、気配は似ているらしい。それは、アシェルが小さな時から、よく言っていた。
「エーヴリルが言ってたぞ。アイツ、随分、その子を気に入ってて、毎日同じとこで寝てるらしい」
「そうだろうね」
エリュシオンは、腕に抱く、小さくて、柔らかい物体の、内に秘める膨大な力に、恐怖すら覚え、何も言わずに前を向いていた。
それに、兄の、懐に置いておきたい、という気持ちは、何となく分かる。
「そいつ、いったい何者なんだろうな」
「さぁ、ただの孤児じゃないんじゃない?」
「珍しいな、お前なら、もっと知りたがるかと思ってた」
「知りたいに決まってるじゃん」
その気持ちはある。たぶん、これは兄も思っている事だろう。
「こんなの、むやみやたらに出すべきじゃないよ」
「なんか、その言い方だと、ちっせぇバケモンみたいだな」
「アレクシス、上手いこと言うね」
だって、この子を明るみに出すには、僕達の準備はないに等しい。それに……この子自身だって、あまりにも自覚が無さすぎる。だから、兄も放っておけないのだろう。
「おい、お前ら呑気に話してないで、前に追いついてやれよ」
横を、アシェルが通り過ぎていった。彼の後ろ姿を目で追う。エリュシオンは色々考えるのをやめた。
『秘密にしていただけるなら』
『あぁ、約束する』
エリュシオンは鼻で笑った。
あの時、2人がしていた仕草が目に浮かぶ。あの約束の前では、自分達が何をしても敵わないだろう、と思った。
やがて、獣の鳴く声が響く。鈍い音が、空気を怖がらせ、鼓膜を震わす。
なぎ倒された木々。
大きな足跡が、続いている。その先に、無惨にも瓦礫と化している街の壁が見えた。
赤い眼を煌々《こうこう》とさせ、大きくひとつ、雄叫びをあげる。すると、バリバリと、街壁に亀裂が入り、弾け飛ぶように崩れていった。
「ついたな」
「あーぁ。もう、街に突っ込んじゃってるじゃーん。やだなぁ」
エリュシオンが、額に手を翳して嫌そうな顔をした。
「また、そんな事言って。ちったぁやる気見せろ!」
アレクシスがそう言い、エリュシオンの背中を叩いた。
「はいはい、分かってますよー」
討伐の地はもう目の前。皆の緊張が高まる中、サファだけは、2人の会話を子守唄にして、気持ちよさそうに眠っていたのだった。