暴れ牛と夜明けの唄 1『エリュシオンが借りてきたもの』
季節は4の月(8月)
日差しが特に強くなる時期である。
今日もまた、始まるのか。
ここは、フェガロフォト国。アクティナ領にある、王城『アルトプラス』
まだ、午前中だというのに、アシェルは騎士団の執務室で、暑さと、忙しさに潰れていた。
扉が開く。入ってきた人物は、突っ伏しているアシェルの前で足を止めた。
「おい! だらしないぞ。アシェル=フェガロフォト王子殿下」
アレクシスが、腰に手をあてて、見下ろしていた。
「忙しすぎるだろ……」
俺は修学院に通っている。今は夏休みだ。だが、遊んで過ごすという時間なんて、俺にはない。
休みに入った途端、国王が決めた国務と、机仕事が、待っていたとばかりに、なだれ込んでいた。
それと、いつ来てもおかしくない、魔獣の討伐。あの問題はまだ……解決していなかった。
「システィーナは、まだダメだったのか?」
アレクシスが聞く。
祈念式のあと、出現した魔獣は、倒すのに苦労はなく、難を逃れていた。それでも、やっぱりトラヴギマギアは必要で、他のトラヴィティス(唄い手)に頼んでいたのだが……
どいつも、1度は引き受けてくれるものの、自分には無理だ、と言って、2度目はなかった。
それで、困った俺は、ここに来る前に、国王陛下のところに寄り、なんとか、システィーナの保護を解いてもらえないかと、掛け合う事にした。
修学院で、魔術や剣術を学ぶのは、討伐に参加するためだというのに。まったく……
「まだ事件が解決してないから、ダメなんだと」
「困ったなぁ」
アレクシスが、笑いながら机の上の書類を取っていく。
「お前、本当にそう思ってるのか?」
「こう見えても、ちゃんと思ってるぞ? それに、騎士団からもエクシューロス病が出たしな」
ああ……その事もあったな。ほんと、踏んだり蹴ったりじゃないか。
『エクシューロス病』とは、段々と魔力量が少なくなる不治の病。
人によって進行具合は違うものの、最後はみな、水涸れで死んでいく。『死神の宣告』という名前でも呼ばれている
アシェルは顔を横にし、アレクシスの方を向いた。
コイツは俺の側近の1人。アレクシス=ヘイワード。刈り上げた赤い髪を、逆毛にし、ツンツンした頭を自分で触っている。
しかし、いつ見てもコイツはデケェな……
その逞しい腕に填められた、やや不釣り合いな腕輪に目をやる。
コイツが使うのは、体と同じくらい大きな大剣。その、がっしりとした体から落される一撃は、爆発した、とよく間違えられるほど重かった。
ん? そんな剣どうやって持ち運ぶのかって? 確かに、肩に担ぐのも邪魔だろうな。だから、普段は、あの腕輪にしまわれているんだ。
歳はたしか、27だったか? 司祭のエミュリエール、薬室のエーヴリルとは同級生で、今も親交は続いているらしい。
「誰か良いやつ居ないのか?」
「なんだ? 婚約者の話か?」
「ふざけんな」
アシェルは、そこにあった、丸めた紙くずをアレクシスに投げつけた。
「そりゃ、お前。いたら頼んでるに決まってるだろ? わはは」
アレクシスは豪快に笑い、自分の席に座った。
「クソぉ」
身体を起こして頬杖をつくと、アシェルは口を尖らせた。
「全く。笑い事じゃないんだぞ?」
「それくらい、俺だって分かってるさ。だがなぁ」
彼は、手元にある紙に、目を通し始めた。仕方なくアシェルも、書類を手に取っていると、エリュシオンが扉から顔を覗かせた。
「あれー? システィーナ、またダメだったの?」
「いきなりだな、おい。抉ってくるなよ……」
コイツはエリュシオン=R=バウスフィールド。もう1人の側近だ。男の俺から見ても、かなりの美形で、俺と歳も近い。
ずいぶん軽い口調で、ふざけたヤツかと思うだろ?
だけど、最年少で魔術の使い手の称号をもらってるほど、スゲェ頭のいいヤツなんだ。
たまに、エリュシオンが、魔法陣を改造しているところを見かけると、それが、本当なんだな、とつくづく思ってしまう。
水をひと口飲み、アシェルは頭を搔いた。
「そろそろ不味いよねえ、次行くの、決まってないんでしょ?」
「もう断れない仕組みにすればいいのに……あー暑いな!」
「それは、難しいだろ?」
「そうだね、我が国では、トラヴィティスは貴重だからねぇ」
そう、貴重なのだ。
だから、国も彼らを失わないよう、トラヴィティス達にはそれなりの待遇がされている。
その一つが、『二遍拒否』という権利で、2回目からのトラヴギマギアの要請は、1年間、拒むことができる、というものである。
今の時期は、休暇に入る者も多い。討伐に当たる人数が少なければ、怪我や死ぬ可能性だって高くなる。
参ったな……
「どこかに、落ちてないか? トラヴィティス」
「やだ……とうとう、アシェルがおかしな事、言い始めたよ。どうしよ、アレクシス」
「だが、実際そう思いたいよな。不安要素は多いのに、どれも解決が出来ないからな」
アレクシスは、うんうん、と頷いた。
ただでさえ切歯扼腕しているのに、ベタベタして、ムワッとする気候が苛立ちを増長させる。
アシェルは窓辺に立ち、訓練している騎士を眺め、腕を組んだ。
少な……選ぶ余裕もないだろ。あれじゃ
「だいぶ、休暇に入ってるね」
エリュシオンが横に来て、同じように外を見ていた。
「次の討伐は……無しで行くか、誰かをムリやりにでも連れて来るかだな」
「このまま、魔獣が出ないことを願うばかりだな。ひと月乗り切れば、状況も少し変わるだろ?」
本当にその通りだ。しばらくは魔獣も夏休みでいいだろ。
窓枠に肘をつくと、熱風で夜闇の髪が揺れる。アシェルは、そう、思って、青月のような目を細めた。
だが、その願いは、呆気なく砕かれる事になった。
魔獣討伐の要請が入る。それは、その日の夕暮れ時のことだった。
アシェルは装備を身につけ、アレクシスと執務室にいた。だが、エリュシオンは討伐要請が来てすぐ、指の背で唇を撫でたあと、部屋を出て行ってしまった。
「エリュシオンはどこ行ったんだよ!」
「いつもの事だろ、行く頃には来るさ」
声を荒げたアレクシスを宥め、アシェルは淡々と準備を続けていた。
「遅くなってごめんー」
ほら、帰ってきただろ?
アシェルは声のした方に顔を向け、驚きのあまり、動きを硬直させた。
「……ちょ、おま。その子どうした?」
「困るなぁ、と思って、少し借りてきた」
借りてきたって……
アシェルは口を押さえた。
エリュシオンは少女を抱えていた。しかも……
「エリュシオン、その子、孤児じゃないか」
アレクシスも気づいたらしい。灰色のワンピースには、見覚えがある。エリュシオンが、少女を降ろすと、彼女は少し前に出て頭をさげた。
もこもこした長い灰色の髪が、肩から落ちる。俯いた顔には、眼鏡がかけられ、伏せている睫からのぞく瞳は、澄んだ蒼をしている。
これが、孤児?
流れるような彼女の動作に、アシェル達は、しばらく口を開けたまま、言葉をなくしていた。