73 氷海で唄ったオルニス 67 空中王国【グランドール】』
いくつもの、雷鳴が轟き、稲妻が落ちる。
その熱で、辺りは白く煙っている。
召喚獣と、様々な色合いの、付与魔術が飛び交い、モヤを見え隠れしながら、アサナシアの笑い声が響いた。
「なんだ?! あの怪物はこれしきの強さなのか?」
槍での攻撃と、雷に打たれ、イポヴリキオンテラスの強靭だった鱗はボロボロになっていた。
口からの冷たい息を吐いて、体をくねらせてアサナシアを捉えようとして、苛立ち、咆哮をあげた。
氷の壁は壊され、津波が押し寄せる。
だか、それは、援軍により、岸まで届く事を阻止された。
バシン、バシン! と尾を叩き散らし、氷が矢のように飛び散った。
「なんか。いい具合じゃねぇか」
氷を避けたアレクシスが、大剣を握る手に力を入れて、叩き落とすタイミングを見計らう。
”順調にいっている“、と誰もが思い、追い払うだけでよかったはずが、倒せるかもしれない、に変わっていた。
(妙だ……)
アシェルは、少し離れたところから、眺め、違和感を感じていた。
『なんか……弱っちくない?』
エリュシオンも同じ事を思ったのか、通信機から声が聞こえてきた。
講義でも出てくる、イポヴリキオンテラスでは、海の水が渦を巻き、幾つもの水の柱が描かれていた。
天まで届きそうな、巨大な体。
起こす津波は世界を飲み込んだ、と。
(杞憂であればいいが)
『アシェル殿下!! 今いいですか?』
聞き覚えのあるこの声は、確か、ルシオだ。
(さっき、サファイアを預けていたと言っていたが……)
『どうした? 俺は今、戦闘には加わってない』
他の人には聞かれない、個人的な通信になっている。
『私と、私の父も、そのイポヴリキオンテラスは、文献と比較しておかしい点があると意見が一致しました』
やはり、そう思うか。
『話してくれ』
『まず一つ、体が小さい。二つ目が、あまりにも、弱すぎるという点です』
『……俺も、思っていた。お前達の見解は?』
早くしないと、取り返しのつかない事になるかも知れない。
アシェルは段々と、顔に焦りを浮かべた。
「ちょっと、聞かせて!」
エリュシオンが、アシェルの付けている通信機に耳を近づけてきた。
『可能性としては、あれは、イポヴリキオンテラスではないという事です』
それなら話は簡単だ。
倒せばいい。
『しかし、もう一つの可能性として、あれは変態をする前の姿だと言うことです。それなら、話は簡単ではありません』
考えないようにしていた、不安で身体中がざわざわと落ち着かなくなる。
「それって、キャラパティアみたいに、一定の攻撃を加えると強くなる感じ?」
『エリュシオンか、そうだ、一度体勢を整えた方がいいかも知れない』
既に、相当なダメージを食らっている。変態するとすれば、もう、いつなってもおかしくはないのかも知れない。
全体通信に切り替え、アシェルは急いだ。
『攻撃を止めろ! 変態する可能性がある。みんな退け!!』
『もうすぐ倒せそうだぞ? やっちまった方がいくないか?』
アレクシスの声が聞こえる。
そう言っている間にも、攻撃は加えられていく。
指示を出すべきなのに、迷いが生じた。
(クソっ!)
アシェルは眉を寄せて、通信器を握り、膝に叩きつけていた。
『……ルシオ兄、アンセル陛下に伝えて! 早く!』
『分かった』
ルシオ達は、アンセル陛下に会いにきているはず。それなら近くにいるだろう。
その予測は当たり、すぐに、全撤退、避難せよの花火が打ち上げられた。
アサナシアがちょうど、何度目かになる一撃を食らわせた後だった。
『みんな! 急いて離れよ!!』
異変にいち早く気づいたのは、一番近くにいた、アサナシアだった。
『退けー!! 何でもいい、とにかく上に向かって飛べ!!』
怒号の如く、イポヴリキオンテラスが、吼えた。
脳を直接、掴まれているかのような、恐怖が支配する。
耐性の低いものから、気を失い、氷が散乱する海へ落ちていった。
「なんてこった……」
呟いて周りを見たアレクシスの目に、こっちを見ているフィリズの姿が映っていた。
(こりゃあ、まずいな)
動けなくなる前に。
フィリズのところに行って、グリフォンごと掴む。
「えっ?! なに?! アレクシス?」
集中して奇矯を発動すると、【豪腕】の力を使って、彼女を空へ向かって投げた。
(俺は……逃げるのは無理だからな、頼むぞ)
「アレクシス!!」
『バカ! 諦めないで逃げるふりくらいして!』
『いや、もう、力入らないんだわ……』
アレクシスは、ニカッと笑っていた。
そして、グラリ、とバランスを崩し、落ちていく。
彼の、カリストも消えていった。
「アシェル! 今はとにかく!」
「分かってる!!」
悲しむ暇もない。
イポヴリキオンテラスは、まだ、戸愚呂を巻いて、呻き声をあげている。
変態が終わると、ゆっくりと体を起こし始めた。
伝承されている通りの、天まで届きそうな程の巨体。
海から渦が昇ると、それは、厚い雲を支えている、柱のように、太く、主張していた。
「まだだ! もっと、距離をとれ!」
海の水が減っていく……
『何でもいい! 誰でもいい、とにかく高い所に逃げろ』
「津波がくるぞ! 高い所に行け!」
イポヴリキオンテラスの目が光った。
低い、地響きの様な声で、空間が震える。
しばらくそうしていたかと思うと、声が止んだ。
辺りは静寂に包まれ、渦という力を無くした柱が、一気に、海に注がれる。
高い、高い、津波。
タラッサの街は海の中へ沈んでいった。
「参ったな……」
さっきまでの戦闘で、力はもう、殆ど残っていない。
アサナシアでさえ、なす術がない、と思っていた……
諦めるしかない……
誰もがうつむき、士気は海の藻屑と共に沈んでいった。
怪しげに、雲が唸りだす。
ピカッと、強い閃光に目が眩んだ。
「なんだ……?」
「なんか、様子が変だね」
アシェル達が空を見上げる。
この時期に、この地方で雨が降り出した。
「温かい雨?」
エリュシオンが雨を手で受け、空の轟く雲に目を凝らした。
雲の中で、激しく、電気が発生して、爆破を起こしている。
故意に?
音は徐々に大きくなり、耳を塞ぐほど大きくなる。
『水から離れろ! 雷だ! 雷が落ち……』
通信機器の魔石が一斉に砕け飛んだ。
(え? なに?)
眩い閃光で辺りは、真っ白になる。
それは、稲妻の光だった。
人間が受ける、感覚が一気に振り切れ、気を失いそうになる。
「アシェル!」
「大丈夫だ……雷が落ちたのか?」
「そうだよ。特大級のね」
雷を落とした雲が、すーっと晴れ、星空が見えていた。
「あれは……」
「何でここに?」
イポヴリキオンテラスの姿はもう跡形もなく消えていた。
暗くても、月の光に照らされて、はっきりと見える。
「……空中王国『グランドール』」
幻といわれる城の姿が、アシェル達を見据える様に、空に浮かんでいた。




