67 氷海で唄ったオルニス 61『エリュシオンの奇矯』
そんな事は、まだ、知らない頃。
サファイアを看ていたはずのルシオは、ラフェーエルとともに廊下を歩いていた。
「すみません、ルシオ殿」
「人の体調不良は、突然だからな。貴方も大変だろう、気をつけるといい」
ラフェーエルの息子が、昨晩、熱を出したため、診察をしに向かっていた。
「はっ…………くしょん!」
部屋に残ったサファイアが、くしゃみとともに、目を大きく開けた。
まだ残るむず痒さに、鼻を摘み、あたりを見回す。
(誰もいない……)
「ピッピルルルル」
声の主を探して、向けた窓には、雪が降っているのが、目に入った。
「ピィ、ピィ、ルルルル」
(かわいい声。どこだろう?)
立ち上がって、窓を開ける。
刺すような寒さに、ふるっ、と震えて、それでも白くなった林に、目を凝らした。
「ピィ」
(あそこだ!)
雪の積もった枝に、丸くて尾の長い小鳥が、囀って、首を傾げていた。
「……行っちゃう」
枝から枝へ、ぴょんぴょんと、林の奥に跳んでいく。
別に、叶えたい願いがあるわけじゃないのに、サファイアは置いてあった外套を掴んで、急いで肩にかけた。
窓枠に足をかけて、2階から飛びおり、小鳥のいる方へと歩いて行く。
(待って!)
サファイアには、もっと近くで見たい、という好奇心しかなかった。
エリュシオンが戻ってくると、部屋の扉を開けたまま、ルシオが立ち尽くしていた。
「あの子は、また……」
「どうしたの?」
彼の、呟く声が聞こえ、エリュシオンが話しかけた。
(こんな寒かったっけ?)
近づくに連れ、冷気は強くなった。
部屋を覗いてみて、絶句する。
「…………探してくるよ」
「あてはあるのか?」
「こんなこともあろうかと、楽器持ち歩く腕輪に、魔石を、埋め込んでおいたからね」
エリュシオンは、腕をひと撫でした。
「さすがに。用意周到だな」
「もち、これくらいしとかなきゃ。僕も、サファイアを迎えて、ただ過ごしてたわけじゃないからね」
「サファイアの事は任せた。私は、お前のとこの執事に伝えておく」
「上手い事よろしく」
返事の代わりに、手をあげたルシオをみて、エリュシオンは窓に近づいた。
「こんな寒くちゃ、やってられないよ。“ヴロヒユーロス”」
降った雪に、わずかに残る足跡を眺め、林の奥に視線を向けた後、焦点をはずして、自分の魔石の気配を感じとる。
(こっちかな)
何かを見つけたか?
誰かに連れ去られたか?
そんな事を考えていたが、不思議と不安はなかった。
案の定、ちょっと歩いたところにサファイアの姿が見える。
彼女は、上を見上げて突っ立っていた。
「なにしてるの? 勝手に出て行ったらみんな心配するでしょ?」
声をかけると、サファイアは振り返り、表情を柔らかくして、首を傾げた。
昨日、買ったオルニスのマント。
あの日、『雪の妖精』を探して、兄と林を彷徨った記憶がよぎって、エリュシオンは、白く、息を吐き出して微笑んだ。
「何をみていたの? ああ……」
見ていた場所を同じように見上げて、納得した。
「エリュシオン様。あれが、雪の妖精ですか?」
エリュシオンは黙り、サファイアを抱えて頭を撫でた。
「似てるけど……あれは『雪の妖精』じゃないよ。『ユピ・オルニス』。背中に少し黒いところがあるでしょ? 『雪の妖精』は、あれの希少種で体が真っ白なんだ」
「そう……ですか」
触れている手から、がっかりしているのを感じて、エリュシオンは、少し、罪悪感を覚える。
「『雪の妖精』はね、何年かに一度しか生まれないんだ。だから、今いるかも分からない」
「だから、会えたら幸運なんですね……」
「もし、会えたら、何か、願い事をしたいの?」
「ここに来るまで、願い事はなかったんですけど……もしも、会うことができたら、そうですね……少しくらいは、大きくなりたいなって思います」
「あはは。面白いね」
頭を撫でていた手を止め、エリュシオンが外套でサファイアを覆う。
まるで、見られたくない、かのようだった。
「ちょっと。じっとしててね」
彼が、そう言った後、サンダノン(白檀)の香りに寄りかかっていると、肌がヒリヒリとしてきた。
キーンと、耳が鳴る。
魔術じゃない。
今までこんな間近で受けたことがない、高まった集中力。
(奇矯?)
前に聞いた時に、あまり言いたくなさそうだった事を思い出す。だけど、サファイアは、エリュシオンにどんな『奇矯』があるのか知りたかった。
見るなと言われてない。
サファイアが顔を上げて、彼によじ登り、エリュシオンの、妖婉な光を持つ瞳を、覗き込んだ。
「目を見たらダメだよ」
「それは、『誘惑』ですか?」
瞬きも忘れてじっと見ていると、エリュシオンがサファイアの目を塞いだ。
(もっと見てみたい)
塞いでいる手を無理やり剥がすと、彼が横を向く。
「もともと綺麗なのに。破壊的ですね……」
「あれ? 君、効いてないの」
「そんな事はないとは思いますけど」
だって、こんなに、見たい、って惹かれている。
「僕、この能力あまり好きじゃなくてね」
エリュシオンは、何かに想いを馳せて、顔を曇らせた。
(そっか……これは、過去に関する事なんだ)
「ピィ、ピルルルル。ピィルルルル」
「わっ」
ぼんやり考えていると、鳥の鳴き声が聴こえて、羽音と共に、サファイアの髪が揺れる。
エリュシオンの手に、ユピ・オルニスが止まっていた。
1匹だけではない。
いつの間にか、周りに何匹も、ユピ・オルニスが可愛らしい声を出して、ちょこまかと動き回っては、頭を傾けていた。
「うわぁ……かわいい」
「かわいいね。君の知り合いに、真っ白い子いない? いたら、連れてきて欲しいんだ」
サファイアに返事したのではなく、エリュシオンは手にのせた、ユピ・オルニスに話しかけていた。
「ピルルルル」
1匹が鳴くと、周りの鳥たちも一斉に囀り、話をしているようだった。
ひとしきり鳴くと、声は止んで、一斉に飛び立っていく。
「さて。いるかな?」
エリュシオンは、まだ、奇矯を使ったままだった。
「奇矯、解かないんですか?」
「うん、まだね。それにしても、ほんと、効いてないんだね」
「そんな事はありませんよ? だって、目を逸らせない感じがしますし」
「そんなもんじゃないんだよ、これ」
口に手を当てて、エリュシオンは吹き出していた。
「『奇矯』って言うのはね、本当たくさん種類があって、まだ、見つけられてないものだってあると言われている。その中でも『誘惑』は、人にだけ効くものから、生き物ならなんでも効くものまであるんだよ」
「エリュシオン様は、生き物ならなんでも、の方ですか?」
「そ。それも、だいぶ効果が強いやつ。今はそれなりに使いこなせてるけど、前にそれで、ある事件が起きた」
心臓が縮み、それを広げるように鼓動が大きくなった。
「…………」
サファイアは、俯いて眉を寄せていた。
「また、そんな顔して。いつかは聞いてもらわないといけない事なんだよ」
「どうしてですか?」
まだ。
まだ、聞きたくない。
エリュシオンの肩に、頬をすり寄せる。
「君は、修学院に入るでしょ? 2年という期間が決まっていても、バウスフィールド家の子供として入るからには、家の事くらい知っておかないと、身を守ることは、出来ない」
「守るため……」
「そう。守るため」
「分かりました」
サファイアが顔を上げて、微笑むと、唇に人差し指を立てた。
「えぇ……?」
「必ず聞くので、今はこの辺で勘弁してください」
「もうっ。またそうやって逸らして」
「庭のミモザの花が咲いたら、その木の下で話をしましょう。私の覚えてる事も、聞いてください」
「教えてくれるの?」
「はい。あまり多くは覚えてないんですが」
記憶を封印している刻印が、思い出すたびに発動している。
(その中で、覚えているものがある?)
「それは……」
ミモザの花が咲くのが待ち遠しい。
目を閉じてると、黄色い世界が、エリュシオンの瞼に映った。
「楽しみだね」
何が飛び出るのか? 怖い気もするけど、それはお互い様だろう。
「でしょう?」
サファイアは口を軽くおさえて、オルニスのように、笑って言った。