63 氷海で唄ったオルニス 57『わたしのこたえ』
カツン、カツン。
歩くたびに、足音がひびいた。
その、一音が、鳴るたび。
サファイアは今日のことを思い出していた。
「来たな」
「はい……来てみました」
アシェルに呼び出されたのは、氷の城の、テラスだった。
フッと、鼻で笑う小さな声が聴こえる。
「答えは、用意できたか?」
彼は、景色を眺めているのか、背中を向けており、少し怖いと思った。
ここからは、夕陽がよく見える。
「…………」
沈んでいく夕陽を、ただ、しばらく眺めていると、今日一日の出来事が、また、目の前に浮かんだ。
今日は終わり、だと、遠くで鳥の声が聞こえる。
目を閉じて、その声に耳を傾けていた。
「今日は……とても楽しかったのです」
「そうか」
怖かった、アシェルの背中が、柔らかい雰囲気を醸しだす。
彼は、きっと微笑んでいるのだろう、と思った。
言葉にしてしまっていいのか。
怖かった。
今まで、望んだことのない自分の気持ちを。
迷いながら……
それでも、意を決して、サファイアは目を開けた。
「楽しくて。また……ここに来たい、と思いました」
必死に、想いを言葉にする。
自分が今まで、疎かにしていた作業。
「もっと、色々な事が知りたい……もっと! 色々な事がやってみたい。わたしは……」
口にするのが、怖くて……
サファイアは言葉を詰まらせて、俯いた。
そして。
「……生きたい」
一言。
ポトン……と言の葉を落とすと、波紋が広がった。
「その……言葉が、聞きたかった」
アシェルがようやく、振り返ると、彼は、泣きそうな顔で、笑っていた。
「そうだ。その言葉が、聞きたかった」
歩いてきて、サファイアの肩を、強く、握った。
「だけど、まだ弱い」
顔をあげると、真剣なアシェルの顔がすぐそこにあった。
「もっとだ!」
そう言って、サファイアの肩を強くゆすった。
「お前の、『誰かの為に』というのは、偉いと思う」
理由も分からず、涙があふれ、サファイアは俯いた。
頬を伝って、落ちた涙が足元の氷を溶かす。
「俺たちは、まだ、子供で、親の想いの中で生きている。生きるという事が前提なんだ……」
涙でぼやける視界。
「だから、“死んでもいい“なんていうのは、それだけで、周りを不安にさせ、悲しませることになる」
アシェルがもう一度、サファイアの肩を揺すった。
「もっと! 強く!」
「……ぅ……ぐすっ。はい……」
「もっと! 深く! 願うんだ」
アシェルの手に力が入り、強く、肩を掴んでいた。
悲しい訳でもないのに、溢れて落ちる、涙のわけは。
きっと、今までため込んだ、たくさんの我慢。
「お前自身が『生きたい』と思うことが、周りを安心させ、みんなの為になる」
耳の後ろが痛い。喉には何かが詰まっているみたいで、言葉が出なかった。
「その為だったら、おれは、力を貸してやる」
「……ぅ、……ずずっ」
彼は、喝を入れるように、背中を少し強く叩いて、優しくさする。
「そしたら……お前の世界は、もっと。広くて、鮮やかものになる」
言い聞かせるように。
最後に、安心したように、優しく、そう、言った。
※
ハンカチで顔を押さえた、サファイアの肩を、泣きやむまで、アシェルはしっかりと、支えていた。
「よかった……」
「いつから、私のことをそんな風に見ていたのですか?」
「ファクナスの討伐の時から」
「そんな前から……」
ずっと、思っていた。
サファイアは、いつか、簡単に命を捨ててしまうだろう、と。
まるで、迷子になった弟を見つけられたみたいで、アシェルは目をつぶり、息を吐いた。
「サファイア、見てみろ」
顔を上げたげたサファイアが、息をのむ。
沈んだ夕陽が、わずかの時の間に見せる、柔らかい紫色。
「わたし、この空の色を見ると、エリュシオン様の瞳みたいだって、いつも思うんです」
「言われてみれば、確かに」
サファイアが、アシェルへ向き直って手を出した。
「アシェル殿下。“お水“、分けてもらえますか?」
「分けてやるが……直前だな」
前に出された手をとり、冷えているのを感じる。サファイアは首を傾げていた。
アシェルは、自分の外套をはずし、サファイアの体を包んだ。
「直前……だと、そんな暇あるでしょうか?」
「いや、4拍くらいで終わる。ただ……多分ものすごく苦しい。それでもやるか?」
「当たり前です!!」
外套から、覗かせた目は、まだ赤かったけれど、血が通い、目を釣り上げ、強く意志を持っていた。
もう、大丈夫だろう。
「それと、表向きの婚約の事だが」
「それなのですが。殿下のお父上は、お許しになっているのですか?」
「それ、エリュシオンにも言われたな」
そのはずだ。だってエリュシオン様は、2年間の期限つき、だということを、知っている。
サファイアは横を向いて、外套を身によせた。
「親父から、『2年間の期限つきである事をもって了承す』と返事も、もう、もらっている」
「……それなら。お断りする理由も、ないですね」
外套の中でサファイアが小さく笑う。
ついさっき、新しく生まれ変わった彼女を、アシェルは本当に大事にしたいと、思った。
「決まりだな。じゃ後で、それは、その時に返してくれればいい」
外套を脱ごうとしているサファイアの手を掴み、後ろに向かせる。
「でも、寒いですし」
「行け、早くしないとエリュシオンが我慢できずに迎えに来るぞ」
アシェルがニカッと笑っていた。
階段を降りていく音が遠のいていく。
芽吹きには、まだまだ早い。極寒のこの土地で、植え付けられた、瞬く小さな種。
春には、きっと芽吹いているだろう。
「ははは、よかった……はは」
アシェルは壁を拳でたたき、その冷たい壁で額を冷やしていた。
階段を降りている途中で、エリュシオンに出会った。
「エリュシオン様」
「遅いし、暗いし。危ないと思ったんだよ」
そう言って、エリュシオンはサファイアを抱える。
「話、おわった?」
「はい」
エリュシオンはサファイアの顔をじっと見ていた。そして、安心したように、ほほ笑んだ。
「早く支度しなくちゃね」
「はい」
イースデイルの邸についてから、まず食事をして、お風呂で体をきれいにしてもらう。
今回、一緒に来てもらっている、エナとユニに飾り付けてもらっていると、エリュシオンが迎えに来た。
「準備できた?」
「もう出来ます」
真っ白い、色を反射させるようなドレス。サファイアが、白い手袋をつけた手を握りしめる。
「少し緊張します」
「すごく、勇しく見えるね」
エナとユニが口を押さえて笑っている。
「それ、本当に着るの? そのままの方がいいのに」
今日買った、オルニスのマントをユニに着させてもらっていた。
「いいじゃないですか。どうせ、遠くて見えないんですし」
エリュシオンが、肩を竦めると、準備が終わった。
初めての儀式であるため、1人付き添いをつけるようにと言われていた。
サファイアは、迷わず、エリュシオンを選んだ。
もう1人は、付き添いではないけれど、魔力を分けてもらう相手。彼とは、現地で落ち合うことになっている。
「それでは行きましょうか、“雪の妖精”」
エリュシオンが手を出した。
「からかわないでください」
サファイアが頬を膨らませた。
「からかってないよ」
パンのように膨らんだ、サファイアの顔を見てエリュシオンがカラカラとわらった。
本当だよ。
君は、僕の大事な “雪の妖精“
向かうのは、氷の城の、眺望台。
選んだのは、わたし。
(早く、見せたい)
心が、早る。
そして、早く、唄いたい!
魂が、叫んだ。
お読みいただきありがとうございます。
次回『アイギスの儀』
よろしくお願いします。