62 氷海で唄ったオルニス 56『初めてのステージ2』
クーパを待つ、大きくて、明るい歓声。
白に反射して、そこには、光が当たっているのかさえ思えた。
サファイアがステージに現れて、颯爽と、真ん中に向かおうとしたら、途中で盛大につまずいた。
「体の大きさに慣れていない。気をつけろ」
「すまない」
すっころぶ前に、ギュイネスに支えられると、一層大きな歓声が沸き立つ。
彼は、サファイアの返事に、にやりと笑っていた。
「行くぞ」
ギュイネスが差し出すのではなく、手を広げた。
不思議と笑みが零れて、サファイアはその手にハイタッチをする。
拍手と歓声が大きくなった。
パチン、と音が鳴り、両手を広げてステージの真ん中まできて、軽く頭を下げる。
「みんな、今日はありがとう」
まだ、違和感を感じるロウウェルの声。
彼がここで何をいうのかなんて、サファイアには分からなかった。だけど、考えなくても、言いたいこと、は自然と浮かんだ。
「ここに来るまでに、色々な事があった」
客席には、名前を呼んでしまいそうなフィリズと、それを抑えるジュディが見える。
フッと小さく笑った。
「それは、俺だけじゃなくて、ここにいる全員がそうだよな?」
観客から大きな返事が返ってくる。
ハーミットが絡まれているのを、アレクシスが助けているのが見えた。
その隣には、アシェル。彼は、挑戦的に笑っていた。
「おーけー。じゃあ、今日も、みんなの記憶に残るように、行こうか」
ギュイネスが手をあげると、音楽が鳴り出した。
(演奏してくれるんだ)
普通、魔法陣から音楽を流して唄う。演奏してもらうとしても、今まではピアノくらいなもの。
何人もで作りあげる、唄。
(上手くできるかな……)
サファイアは、そんな気持ちで唄いはじめた。
(上手いんだが)
さっきもそうだった。
(恐らく、彼女は1人でしか唄ったことがないのだろうな)
物足りない。
ギュイネスは唄いながら、不満げに眉を寄せた。
一曲目を唄い終わる。
大きな拍手をもらっても、これでいいのか、はサファイアには分からなかった。
「おい」
ギュイネスに肩を叩かれ、びくっりする。
「ダメだ。会話ができていない」
会話?
サファイアは親指を立てて笑ってみると、ギュイネスが指を差した。
(ん?)
その方向には、ジュディ達がいて、フィリズが手を振っていた。
「あんたは、いつも誰と話をしている?」
ジュディの隣には、エリュシオンがいて、自分の頬をつついて、いつも、困らせた時にする表情を浮かべている。
「あの人達です、ね」
「あんたは、もっとたくさん聴けるはずだ。それができたら、もっと楽しくなる」
分からない。
エリュシオンを眺めていると、彼が両手をあげて、指を6本たてた。
(何かの合図?)
不思議そうに、あげられた手を見ていると、指を一本ずつ増やし、指が上げられなくなると、彼は両手を合わせた。
それから、エリュシオンは周りを見渡して、腕を広げていた。
「あんたのバウスフィールド卿は、よく分かってるな」
サファイアがギュイネスを見ると、彼はエリュシオンを見ていた。
周りに色が広がる。
ステージの上には6人いて、4人のバンドの人がいる。ピアノを弾く人は女の人だった。
名前は知らない。だけど、顔すらも今まで一度も見ていなかった。
「ここは、戦場じゃない。だけど、ここにいる奴らは戦友なんだ」
サファイアは、自分の手を広げ、10本の指をながめ、同じように手を合わせた。
そうか……会話は、言葉でなくてもいいんだ。
『分かりました』
サファイアが、ステージの上でエリュシオンに腕を広げた。
すると、彼は親指を立てて、眩しそうな顔をしていた。
『もっと耳を傾けて……そしたら、世界はもっと広がるよ』
目の奥が熱くなる。衝動を抑えて、目を閉じ、息をはいた。
(ありがとうございます。エリュシオン様)
ステージの上から、一人一人、見にきている人たちを見渡した。
ブワっと急に視界がひらけていく。
よく見える。
「地に足がついたな」
「うん」
呟いたアシェルに、エリュシオンが嬉しそうに頷く。
「いきなり、ステージに立つ事になった、なんて連絡が来たから、何事かと思ったんだぞ?」
アレクシスは腕を組み、少しだけ表情を硬くしていた。
「あはは、見たいかなと思ってさ」
「あぁ、呼んでくれて良かった」
(そうだ。サファイア、がんばれ。しっかり立て)
アシェルはステージにいる彼女を見あげた。
サファイアは、バンドの一人一人に手をあげて合図し、ギュイネスと、また、ハイタッチしていた。
そこから、ステージの雰囲気が変わる。
「それじゃ、次の曲、いくぞー!!」
歓声が沸く。
ギュイネスが叫び、バシバシと、痛いくらいに背中を叩いた。
「はは、分かった」
背中に、そう、呟きが聞こえてきたと思ったら、突然、唄が聴こえてギュイネスが振り返った。
そして、笑顔で頷き、サファイアの声に応えるように唄い出す。
演奏も鳴り出した。
(先頭は、あんただ。着いてってやる)
旅人なんだ。
そして、ここは、旅人たちが集まって語らう場所。
大丈夫?、とサファイアが聞けば、心配ごとがあって、とギュイネスが応える。
その周りのバンドマンから、そうそう、と相槌をうたれ、サファイアが苦笑いした。
「見てください! 会話しているみたいです!」
「楽しそう」
そう言っている、フィリズとジュディの声まで聞こえる。
(もっと、聞かせて)
すると、今度は、ピアノから言葉が飛んできた。
“どう、唄う?“ と。
『こうだろ?』と、ギュイネスが口を出してきた。
(……たのしい)
『そうだね』
でも、もっと。
息を吸い込む。
冷たい風にまざる、海の匂いと、潮の味。
サファイアの声が一段と大きくなり、離れた隣のステージまで届くと、観客が吸い寄せられるように増えてきた。
「人が増えてきたな」
『クーパのステージが、だいぶ盛り上がっている。各自気をつけてくれ』
ぎゅうぎゅうと押されるアレクシスを見て、アシェルが通信機で指示を出したほどだった。
この、たのしい気持ちを誰かに聞いて欲しい。
分かちあいたい。
『ついてきてくれる?』
ギュイネスとバンドマン達は、ぞわり、と鳥肌がたった。
まるで、暴れ出した獣だった。
ステージの人も、観客も、その体に必死にしがみついた。
氷上祭。クーパのステージは、この日、過去にない観客数を叩き出したのだった。
(あれが、存在を隠されていた歌姫、か……)
ステージが終わって、ギュイネスが楽屋で項垂れていた。
落ち込んでいるわけでもなく、高揚した後の、心地よい疲労感だった。
「あの、大丈夫ですか?」
「それは、こっちのセリフだ」
「あ、はい。大丈夫です」
「…………」
サファイアは既に“変身“を解かれ、少年の姿にもどっていた。
帰る前に、テントの幕から顔を覗かせている。
「日が暮れたら、儀式だろ。もうそろそろ、準備した方がいい」
「えっと、はい」
「何か、言いたいことがあるのか?」
「あの、わたし……楽しかった」
「そうだろうな」
ギュイネスが鼻で笑う。
「それで、やっぱり。あの唄が好きだと思いました」
「…………アイヴァン殿は、もう、いないんだろ」
「……いえ。わたしが、彼に生を与えてしまったんです」
サファイアは俯き加減で眉を寄せ、ロウウェルをみていた。
「どういう事だ?」
「サファイア。そういう事は、他国の人間に、おいそれと言うもんじゃないよ」
外でチラッと話が聞こえたのか、迎えにきているエリュシオンが話をとめた。
「詳しいことは、お話しできません。でも、私は……彼を、また、唄わせたい。そう、ロウウェル様に伝えてください」
「気にしていたのか」
彼女は、何も言わず、悲しそうに微笑んでいた。
「それでは、ありがとうございました」
そう言って、顔を引っ込め、歩いていく音が聞こえた。
「……それも、こっちのセリフだ」
完全にサファイアの気配がなくなって、息を吐きながら、ギュイネスは呟いた。
日が暮れていく。
白い、カリスティオクリュシュタには、段々とオレンジ色の絵の具をこぼされているようだった。
1日目を終え、片付けをしている人達が見える。
サファイアは、フィノスポロスピティが、終わった時をの事を思い出した。
こういう時は、何となくさみしい。
「きみ、知らないところで、約束こぎつけてこないでよね」
みんなが待つところに向かっているのかと思っていた。
「アシェルに……話があるって呼び出されてるよ」
でも、連れて行かれたのは、違う所だった。
表のクライマックスまで、後2話、と言ったところでしょうか。
お付き合いいただきありがとうございました。