61 氷海で唄ったオルニス 55『はじめてのステージ』
えっと……
サファイアはエリュシオンとギュイネスを交互に見て顔色を伺っていた。
「そんなこと……」
「そんなこと、させられるか!」
エリュシオンが何かを言おうとした時、意識が戻ってきたロウウェルが、苦しそうに話を遮った。
「ほら。君の相方も反対してるじゃん」
「…………」
顔合わせのときと同じ、サファイアに嫌な目を向けた。
「ちょっと失礼」
エリュシオンが耳を押さえ、部屋のすみに移動する。誰かから通信が来ているらしく、そのまま何かを話しはじめた。
「唄えないやつは、黙ってろ。交渉中なんだからな」
「ちょっ、何するんだ! うっ!」
(うわぁ……)
ギュイネスがロウウェルに近づいて、冷え冷えと笑みを浮かべると、そのままみぞおちに鉄拳をかましたのだ。
サファイアが目を見開き、息を飲んだ。
それを見ていたエリュシオンも、一瞬話すのをやめて止まっていた。
「そういう事だから、しばらく待ってて」
エリュシオンは手短に話を終わらせて、サファイアの頭を手をおいた。
「ルノワール殿。子どもの前で、人を殴るのはやめてくれる?」
「すみません。うるさかったもので……」
「あの、ロウウェル様は大丈夫ですか?」
「ちょっと殴ったくらい、大したことない」
ギュイネスが肩を竦める。
彼は、まるで、血を吸いにきた虫をはらった、如く気にしていないようだった。
「思ったより、乱暴なんだね。それで? ステージの事だけど。この子、初めてだし、あまり儀式前に人前に出したくないんだよね」
「それは、“変身“を使おうと思ってます」
エリュシオンは、唇の皮をいじって視線をただよわせている。
「見た目ごと、ロウウェル様になるのですか?」
「そうだね。だけど君、クーパの唄なんて唄えないでしょ?」
あ……
サファイアはエリュシオンから、そろーっと目を逸らした。
「7曲は覚えているらしいですよ」
「いつの間に……」
「昨日、ジオトリフ様から魔道具をいただいて」
「そういう事です」
「全く、親子して手が込んでるんだから。まるで、彼のかわりに唄うことが決まってたみたいじゃん」
「はは、まさか。そんな事はありませんよ」
サファイアの肩に手を置いたエリュシオンは腰に手をあてて、首を振ってにっこり笑うギュイネスに目を細めた。
「まぁ……クーパを楽しみにしている人間がたくさんいて、僕たちもその一員だし、確かに中止なんて言われたらがっかりだけどさ」
エリュシオンは眉を寄せて、サファイアを見下ろした。
「選曲を、してもいいですか? それが私の条件です。それに、うまく唄えるかもわからないですよ?」
「なるべく、要望に沿うようにしよう。上手く、は多分心配いらない」
「唄うの?」
サファイアはエリュシオンの服を掴み、微笑んで、うなずいた。
「どうして、でしょう。わたし、色々な事をしてみたい」
「そう……」
そう言われては、だめ、と言えず、エリュシオンも少し困った顔のまま、優しい目をサファイアに向けた。
「そうとなれば、急いで支度だ。サファイア嬢は軽く打ち合わせを。あと、本番少し前に”変身“かけるから」
「“変身“は、僕がかけるよ。魔術に酔いやすいからね」
エリュシオンは、また、通信機で誰かと話をしている。成り行きで、ステージに立つ事になったのを伝えたのか、驚いた声が飛び出て、聞こえてくる。
少し低い声、きっとハーミットだろう。
「助かった。ありがとう」
「まだ、始まってもいませんよ」
口に手をあてて、サファイアは囀った。
こんな、ワクワクした気持ちでなければ、やります、なんてきっと言わなかっただろう。
アシェルは『理由を見つけてこい』と言った。
「……わたし、頑張ります」
ぐったりと気を失っているロウウェルの姿に、サファイアは少し眉をよせ、胸元で手を、握りしめていた。
唄うのは、さっき唄っていたやつの他にもう一つ、昨日リハーサルの時に二人が唄っていた、2曲。
サファイアが、1番好きだと思った唄だった。
「言ってないんですね」
「なんです?」
「………アイヴァン=メルヴィル。彼がクーパに作った唄だよ。ほんと、君、彼を好きだよね」
その事を聞いて、なぜ、この唄が良かった、のか納得ができた。
もうすぐ、ステージがはじまる。
エリュシオンが首を傾げていたサファイアの背中に手を添える。
「そろそろ、“変身“かけるよ」
「お願いします」
「…………」
ギュイネスはそんな2人の姿を見て、何か言いたそうだった。
「メタフォーシス」
呪文を唱えると、サファイアの背中に魔法陣が浮かんで体が光り、まず大きく引き伸ばされた。
それから、しばらく光ったまま、エリュシオンが、作り上げるロウウェルの姿をイメージする。
魔術をかけられる不快感は、相変わらずない。
「エングラフィ」
イメージしたものを定着させると、光がなくなって、サファイアの姿はロウウェルになっていた。
「すごい。さすが、コイオスを賜った方は違いますね」
「わたし……っ!!」
声を出してびっくりして、サファイアが手で口を塞いだ。
「すごい、声まで見事に再現している」
「当たり前でしょ? 彼の代わりとして唄うんだから」
「そうですね。ロウウェル様の声じゃないと、姿を変えた意味ないですし」
エリュシオンと、ギュイネスが話しているサファイアを見て黙りこんだ。
「どうしたんですか? 2人とも」
「いや、なんか……」
「……気味がわるいね」
「失礼ですね!」
サファイアが頬をふくらませて、エリュシオンにつかみかかると、あからさまに躱した。
「やめてよ。怖い」
「もうっ」
「でも、唄う癖までは変えられないだろうから、多少、違和感を感じる人はいるだろうな」
エリュシオンと顔を見合わせて、サファイアはにこっと笑う。彼は、まだ違和感があるのか変な表情をしていたけど、ギュイネスにむき直った。
「あー……大丈夫だと思うよ」
「……奇矯ですか。父上がそんな事いっていたな」
「サファイア? 言ったの?」
やばい。
昨日、アサナシアに言ってしまった事を、エリュシオンに伝えておくのを、サファイアはすっかり忘れていた。
「…………」
エリュシオンから目を逸らす。
「サファイア!」
「ほらっ、もう本番ですし! 行きましょう。ギュイネス様」
ギュイネスの腕をひっぱり逃げるようにテントの幕を開けて走り出した。
「待て、そっちじゃない!」
腕をつかまれて逆に連れていかれる。後ろを見るとエリュシオンが叫んでいるのが見えた。
「僕は、ハーミット達と見てるからね。終わったら、話、聞かせてもらうから!」
あれよ、という間に遠くなったエリュシオンは、笑顔だった。
それも、怖いやつ……
「お2人、袖に行ってください」
係の人に誘導されて階段を登る。
「うつむくな。唄で納得して貰えばいい」
「……はい」
「あんたはロウウェルで、クーパだ。話さなくてもいいから堂々としてくれ。それと、ヒスティングもダメだ」
「ヒスティング?」
サファイアが首を傾げると、ギュイネスが口を開けたまま止まっていた。
「…………ヒスティングも知らないのか?」
「唄を誰かに習った事はないので」
ギュイネスは考えるように腕を組み目を閉じると、思いついて目を開ける。
「いいか? 降らせるのがヒスティングだ。さっき、セーラスに乗っていた時のがピアッシング」
「ああ。なるほど」
「それと」
「まだ、あるんですか……?」
サファイアが、面倒くさそうに、目を細めた。
「別に大したことじゃない。本気で唄ってかまわない、サポートは俺が全力でしてやる」
「分かりました」
前の人の唄が終わり、拍手を浴び、手を振っていた。
観客の熱気が伝わってくると同時に、感じはじめる緊張。
震える手をギュイネスに強く掴まれた。
「大丈夫だ、あんたは上手いよ」
その言葉に励まされ、息を整えて、スッと集中し出した。
『それでは、皆さんのお待ちかね。クーパのお2人です』
歓声が上がる。
(私は、ロウウェル)
『暴走』を起こしたときみたいに、体が浮くような感じ。
サファイアは、前を歩いていくギュイネスの後ろについて、ステージに飛び出していった。
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