59 氷海で唄ったオルニス 53『フェンリル2』
すごい、すごい!
ケリュネイアとも、グリフォンとも、全く違う。
はやく流れる景色に、受ける風の圧に、目を少し開けるのがやっとだ。
一回りだというのに、地上はすぐに遠くなった。
『久しぶりだ。気分がいいぞ』
「わたしも! すごく気分がいいです!」
『うるさいぞ』
風でぼわぼわと鳴る音のせいで、つい、声が大きくなった。
空が近い。
感じたことのない、疾走感。
自由だった。
「あはは」
サファイアはあまりの気分の良さに、大口をあけて笑っていた。
「楽しんでいるところ悪いけど」
「ギュイネス様? わぁっ、真っ白!」
彼の乗るフェンリルも、とても魅力的に、サファイアの瞳には映っていた。
「あんたさ、呑気すぎ。どうして飛べてる?」
「えっと……」
『こやつめ。腹になにを据えているか分からん。適当に誤魔化しておけ』
「ギュイネス様を知っているの?」
『ばかもの!』
「あんた……まさか、声が聞こえるのか?」
そう、聞かれて目を泳がせる。
「えっと……はい」
『ばかものーー!!』
「はぅっ。すいません」
「…………はぁ。セーラス、サファイア嬢は国境が越えられない魔術がかかっている。気をつけてくれ」
言ってないのに。
どくん、と心臓が飛び上がり、手に力が入った。それは、セーラスにも伝わったのか、少し飛ぶスピードを緩めてくれる。
「セーラスはなんて言ってる?」
『まったく……小童が、ワシに指図するな!』
「……分かった、と言っています」
ギュイネスが、また、ため息をつき、サファイア達のとなりに、ピタッと寄り添った。
「嘘つき」
『お前は、嘘つきだな』
「あはは」
2人して同じこと言うから、おかしい。
「とにかく、一回りしたらもどるからな」
「はい」
振り向いて返事をしたサファイアは、とても、楽しそうに、ギュイネスには見えた。
セーラスがスピードを緩めてくれたお陰で、景色がよく見える。
「あっ、ゆき!」
チラチラ、と降りはじめた雪の中を進むと、急に踊り狂ったようにうねり、まるで生き物のように見えた。
下で、クーパの音楽が流れている。
昨日よりも、色鮮やかになった、白い、画用紙。
たのしくて、うれしくて。
雪を顔でうけながら、体を揺らし、サファイアは、自然に口から唄がとび出ていた。
「本人前にして、ふつう、唄わないだろ……」
ギュイネスは呆れた表情をしていた。
雪も、太陽に照らされて、キラキラと唄っているみたい。
珍しい、晴天に降る雪
『風花』
今だけの空のステージのようだった。
(ここは俺のところだ)
気持ちよさそうに風を受け、目を閉じて唄うサファイアを見て、ギュイネスも唄に割り込むと、彼は挑戦的に笑っていた。
男性のために作られた唄、なのに、彼女は低音までちゃんと唄えていた。
(……うまいな)
ギュイネスは、そう、思わざるをえなかった。
2人が唄いながらゆっくり回ってくるとエリュシオン達が見えてサファイアはきらめく笑顔で大きく手を振った。
「あははは。おーい!」
エリュシオンはジュディを見て肩をすくめている。
「みてよ。あれ」
「大丈夫そうですね」
2人に合流して、少しだけ小言を言われると、サファイアは飛び立った場所まで戻ってきた。
「あー楽しかった」
「楽しかった、じゃないよ。もう」
「エリュシオン様達が、ナンパされて見てないからですよ」
「しつこかったんだよ」
よく見れば、ハーミットは、まだ絡まれて困っていた。
「押し付けてきたんですか」
「ほんと、虫よけもいいとこだよね」
かわいそうに。
サファイアはフィリズに耳打ちすると、彼女が何かを言って、ハーミットに絡む輩を散らしていた。
「ギュイネス様、ありがとうございます」
「いや、セーラスは俺の祖父がずっと乗っていたから」
『小童がえらそうに』
もう。
「セーラスも、ありがとうございました」
『ワシは、もう思い残すことはない』
「………死ぬの?」
『バカを言うな、死ぬのはお前よりも後だ。やめろ! 飛びつくな』
鼻に飛びついたサファイアに憎まれ口を叩いていながら、セーラスは振り落とすことはしなかった。
「そっか、また、会えるといいね」
『ああ』
そう言ってサファイアはセーラスを見てふにゃりと笑った。
「あの、フェンリル。セーラスっていう名前だったんだ」
「はい」
エリュシオンの手つかみ、彼を見上げて無垢な笑顔を返した。
次はどんな楽しいことがあるだろう?
サファイア達は出店が立ち並ぶところに向かい、まずは腹ごしらえをすることになった。
お腹も減って、たくさん食べると、色々なところを見てまわる。
装飾品から楽器、本。それと写し絵。
「あ。これ、エリュシオン様ですね。かわいい」
「かわいいとか、やめて」
「可愛いのを可愛くないというのは難しいです」
見つけたのは、エリュシオンの子どもの頃の写し絵だった。
女の子みたい。
「そんなのより、あっち! ほら、キサラあるよ」
その店には、大人用から子ども用のキサラが売っていた。
目を引くのは、真っ白な木で作られたキサラ。
「綺麗ですね」
「お? 坊っちゃん。それは付与のある、自慢の一品だよ」
店番をしているおじさんが手を揉んでいた。
「ふーん。どんな効果があるの?」
エリュシオンも興味が出たのか、白いキサラを手に取って弦を弾いた。
音も悪くない。
そんな事よりも驚いたのは、弾いた弦から飛び出した星だった。
「エリュシオン様。私も」
エリュシオンからキサラを渡されるとサファイアも弦を弾く。
弦からあふれて、ぱらぱら、と星がこぼれた。
「たのしいっ」
「これにする? どうせ買おうと思っていたし」
「えぇ?! 普通のでいいですよ!」
「いいじゃない。そんな高くないし」
エリュシオンは、値札をつかんで、確かめていた。
つくづく、バウスフィールドという貴族はお金持ちなんだろうと思う。
「よく見てください。80万フィートなんて、高いですから!」
サファイアは青ざめて、エリュシオンの服を引っ張り、首をふった。
「ふーん……じゃ、後でまた考えよっか」
そう言ったのに……
後で、なんて、サファイアにはなかった。エリュシオンが、こっそり、フィリズに買うように伝えたからだった。
その後も、色々と買おうとするエリュシオンを止めながら、店を見て回る。
「いいじゃない。似合うんだから。これは譲れないよ!」
結局、止めきれずに買ったものは、『雪の妖精』をイメージして作られた外套で、腕を上げると鳥の羽のようになっているものだった。
(あれ?)
見覚えのある、人形を見かけて、サファイアは立ち止まった。
「おざなり君……」
「あぁ、ここにあったんだ。それで、君はなんでいるの?」
店番をしていたのは、ブルノーだった。
「ここで、のんびり店番をしながら、情報収集ですよ。あなた方も来るだろうし、と思って」
売り上げは、まずまずのようで、子ども連れの客が、話している間にも、2度、買いに来ていた。
相変わらず、頭を掻いていて、ジュディが冷たい視線を向けていたけれど、何となく髪はしっとりしている。
「まぁ、まじめにやってくれているみたいだから、いいけど。フケ、落とさないでね」
「ところで、いいのですか? そろそろステージ始まりますよ」
「あぁ。そうだった」
会場にいくつもあるステージでは、午前は楽器の演奏。そして、午後のこれからは、唄の時間になる。
「そう言えば、クーパのロウウェル氏が通ったんですけどね。なんか、すごく具合悪そうでしたね」
サファイアとエリュシオンは顔を見合わす。
ステージでなにを見るか?
2人は事前に調べて、見るやつを決めていて、その中には、もちろんクーパも含まれている。
「大丈夫でしょうか? 確かに、昨日はずいぶん具合わるそうでしたね」
「さあ? いちおう、彼らはプロだからねぇ。周りがどうにかするんじゃない?」
「そうですね」
いざという時には、魔術だってある。
サファイアは、それほど心配せず、みんなでステージのある区域へと、足をすすめた。