51 氷海で唄ったオルニス 45
飛び始めて、半刻もすると、空気はさらに冷たくなって、慣れてないサファイアは、カチカチ、と歯を鳴らせた。
(すごい、寒い)
「もう。だから言ったじゃん。現地ついたら。クリオ、し直すからね?」
寒くても、我慢ができると思って、甘くみていた。
サファイアが震えている様子をみて、エリュシオンが自分の外套で包む。
温かい。
ちからが抜けて、口から白く息がもれる。
寒いのは、嫌みたいで、エリュシオンは、結構たかい温度設定してにしているようだった。
「こんなに寒いんですね……」
「雪降るんだから、当たり前でしょう?」
風よけを使っているのに……空気自体が冷たすぎて、効果なんてなかった。
タラッサに近くなると、鳥がちらほら見え始めて、だんだんと多くなり、地上では、馬車が行く先を目指して、並んでいるのが見える。
きっと、タラッサに向かうんだろう。
サファイアは、というと、研究所を出発する時に、目立たないように、男の子の服を着て、茶色の髪と瞳にして、眼鏡もかけていた。
「ほら、あそこだよ」
「ふぁぁぁ!」
エリュシオンが指を差した。
そこには、タラッサとオピオネウス国の間に広がる、3年に一度作られる、氷った海。
『カリスティオクリュシュタ』
サファイアは興奮して声をあげた。
それに、気分を良くしたのか、エリュシオンがジュディ達に待っているように伝えて、方向を変え、会場の上をゆっくり一回りする。
「すごい!」
「上からだけ、だけどね」
人、人、人、人がいっぱい。それと、テントのような物がたくさん見える。
中でも、目を惹きつけるのは、真ん中にそびえ立つ、氷で出来た『大きな城』。なかに、入ることができるのか、その前には行列がみえていた。
はやく、行ってみたい。
サファイアが身を乗り出した。
「あれは、なんですか?!」
「ほら、あぶないよ? あれは、ステージ」
寒くて仕方なかったのに、サファイアは高揚して顔を赤くし、目を輝かせていた。
何個もあるステージは、その数だけ飾り付けられて、それだけでも楽しくて、まるで、白い画用紙に描かれている絵のようだった。
「ステージは一つだけじゃないんですね」
「唄い手だけじゃなくて、演奏する人も来るからね。お客さんが、事前に調べて、自分が見たいステージを選ぶんだ」
ゆっくりと、上空をまわり、白い息が流れ、前髪がゆれる。人のざわめき。音楽や唄が、風にのって聴こえてきた。
「唄が聴こえます」
「リハーサルしているんだろうね。あそこかな」
ケリュネイアを止まらせて、エリュシオンが指を差した。
唄っているのは、2人の男の人。リハーサルなのに、周りには人集りができている。
サファイアはその2人組みを、見たことがあった。
「あの人たちは……」
「掲示紙のふたりだね」
初めて聴くのに、すっと、耳に入ってくる心地よさに、サファイアが目をつぶる。
「わたし、あの人たちの唄、すごく好きです」
「へぇ、君でも、そう、思うんだね。彼らは、オピオネウスで1番の唄い手だよ」
気がつけば、彼らの唄を聴き、上空で、何匹も鳥が止まっていた。
エリュシオンが何かに気づいて、そろそろとケリュネイアを動かしはじめた。
グリフォンが多い中、同じ鳥でも一際目立つ紅い鳥。
「あか……むごっ……」
話しかけようとすると、エリュシオンに口を押さえられる。彼は、指を口にあてて、サファイアに目くばせをした。
お目当ては、その紅い鳥に乗っている人物らしく、真後ろまで行くと、エリュシオンは勢いよく、その人の背中を叩いた。
「ひっさしぶり。レンヴラント」
「うわぁっ! なんだよ! 驚かすな、エリュシオン!」
「きゃ!」
たいそう、びっくりしている。
しかも、彼は1人ではなく、女性の人と同乗していて、彼女も口を手で押さえていた。
(ちょっと、かわいそう……)
サファイアが黙って2人を見ていると、レンヴラントが、まじまじと見て、鼻でわらった。
笑われた……
「それが、例の養子にしたやつか。なんだ、ちっこいな」
彼の前に乗っていた女性が、スパーン、と頭を勢いよく叩いた。
(あぁぁ……いたそう)
「ごめんなさい。この人、口が悪くて……」
「いえ、ほんとの事ですし」
サファイアは首をふって、微笑んでいたが、後ろのエリュシオンはそうではなかった。
「そっちこそ、それが、例の奥さんでしょ?」
「すみません、挨拶が遅れました。レティセラと言います」
仕返しのように嘲笑ったエリュシオンを、レンヴラントが不機嫌そうな表情でみる。
「やめてくださいよ。わたしが孤児だったのは本当の事ですし」
「そうですよ。わたしが、平民のような身分だったのも本当のことよ?」
なんか、とてもいい人、だと思った。
「あなたは、名前はなんて言うの?」
「あの、わたしは……」
サファイアは振り返り、エリュシオンにコソッと聞いてみた。
「あの、エリュシオン様。この方たちは?」
「王様の宰相の息子。僕の同級生」
という事は、オズヴァルド様の息子さんということか。
「レンヴラントはそこそこモテるのに、ずっと結婚しなくてね。やっと相手をみつけて、夏に結婚したのが彼女ってわけ」
聞けば、結婚式はひそかに行われたらしく、エリュシオンも行ってないという事だった。
「夏、あったでしょ? 事件」
夏の事件といえば『奴隷の報復』しかない。
「アレですか」
「そう。アレ」
自分が引き起こした事件で、盛大に祝って貰えなかったなんて、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
「それで、わたしは自己紹介してもいいんですか?」
「まぁ、分かってるんだろうし、別にいいけど」
サファイアは頷くと、また、前に向きなおった。
「わたしは、サファイア=R=バウスフィールドと言います。すみません、夏の事件で、お2人は盛大な結婚式を挙げられなかったのですね」
「そんな。あれは、私が、そう、希望したので、いいのよ」
安心して、サファイアがふわっと笑うと、レティセラも笑い返してくれた。
「よく出来た奥さんだねぇ。何か、祝いの品でもあれば……あ」
エリュシオンが何かを思いつき、サファイアを見下ろした。
えっと。これは、そういう事でいいのかな?
「お祝いに唄いましょうか?」
サファイアは首をかしげてエリュシオンに聞いた。
「さっすが!」
「へぇ、唄ってくれるのか?」
「嬉しい、ぜひ、聴かせて」
レンヴラントとレティセラが期待した目でサファイアを見る。
エリュシオンが嬉しそうに抱きつく様が、ちょっとだけ、フィリズみたいだ。
ちらっと、向こうのフィリズを見ると、彼女は首を傾けて、にこっと、笑っていた。
「そんな期待しないでくださいね。よく、式で唄われる曲ですから」
サファイアが手首から輪をはずし、振ると、キサラ(ギター)が出てきた。
「それ使うの? 伴奏しなくていい?」
「下の迷惑になってはいけませんし」
「ふーん。でもどうせならさ」
エリュシオンはサファイアの耳に顔を近づけて、コソっと耳打ちをした。
『周りをうまく使えばいいよ』と。
「何唄うの?」
「ええっと……『星空への階段』です」
「おっけー。言っておくけど、君はトラヴギマギアはダメだからね」
エリュシオンが、音を流すための魔法陣を出す。
「分かってますよ」
そう言うと、サファイアはキサラを抱えて、ケリュネイアの上に立ち、ぴょん、っと魔法陣にとびのった。