49 氷海で唄ったオルニス 43
ジュディの部屋の前に立ったサファイアが、扉をノックすると、音は鳴りやみ、彼女が顔を出した。
「どうしたのです?」
「あの、音が」
「あぁ、うるさかったですか?」
「いいえ」
サファイアが首を振り、ジュディが手に持っているものを見た。
銀色の細身の剣。
どうやら、ジュディは剣の素振りをしていたらしい。
「ずっと、鳥に乗ったままだったので、少し体を動かしていました」
「綺麗な剣」
「持ってみますか?」
2の月から始まる修学院では、剣術科に入ることが決まっている。
剣を持ったことのないサファイアには、魅力的なことばだった。
「良いのですか?」
「えぇ、どうぞ」
ジュディはサファイアを招き入れ、持っていた剣を渡す。
重い……
(えっと。こうかな?)
「いきなり、ダメですよ!」
サファイアが突然、勢いよく剣を振り上げたから、ジュディはびっくりだ。
「あっとっとっと……」
剣の重みに耐えられず、後ろに下がっていくと、ザクッという音と共に、剣は壁に刺さっていた。
「……すごい切れ味?」
サファイアがその有り様を見て、首を傾げながら言うと、ジュディが口を押さえて、壁の剣を引っこ抜く。
「サファイア様には、少し重かったですね」
「うぅ……すみません」
ジュディは、腰から短剣をとり、サファイアに渡してきた。
「これなら、多少、振りまわしても大丈夫です」
「良いのですか?」
これも、それなりにやっぱり重かったが、持てないほど、ではなかった。
「あの、何から?」
「まずは持ち方ですね。力を入れすぎず、包み込むように握ってください」
「こうですか?」
ジュディが頷くと、サファイアの肘を下げた。
「脇はしめて、でも、上半身に力が入って硬くならないように」
「難しいですね……」
「最初は、そうですよ。そのまま、振り下ろしてください」
言われたことを意識し、短剣を振りかざす。そうしてから、サファイアは勢いよく振り下ろした。
(えいっ! …………あ)
「ひぇっ」
ズボっ
手から外れた短剣は、ジュディの横を通り抜けて、見事、また、壁に命中していた。
「…………すみません」
「……大丈夫ですよ。最初はみんな、こんなものなんですから」
「本当に?」
(ひぇって言った、よね……)
少し、悪い気がした。
2人して、無惨にあいた穴を眺めていると、ジュディが、違う壁にかかっていた絵を、持ってきて隠していた。
「直せますよ?」
「いえ、サファイア様は魔力を使ってはいけません」
そんな、大したことないのに。
でも、確かに、『アイギスの儀』で使うトラヴギマギアを考えれば、少しでも温存した方がいいのは本当のこと。
「まず、体に合う、剣を作ってもらわないといけませんね。私のでも、軽い方なのですが……」
ジュディが剣達をしまっていると、廊下から、はしゃぐ声が聞こえてくる。
「おっとりして、あんなにお優しいのに、カッコいいんですよ!」
「そう、それ、わかる! でも、たまに自分のことを忘れてしまうから守ってあげたくて」
「それ、分かります!」
なんか……
同じような2人の会話に、サファイアとジュディは顔を見合わせた。そう、来ることになっているのは聞いていた。
ジュディが口を開く。
「忘れてましたね」
「え。わたしは、現地で待ち合わせなのかと……」
「いえ、時間になっても来なかったので、置いて行くことにしました」
(かわいそうに……)
扉がひらき、サファイアに勢いよくフィリズが飛びつくと、どさくさにまぎれて、ランダも抱きついていた。
「ごめんなさい。遅れてごめんなさい」
(えーっと……)
ぎゅうぎゅうにされ、どうしようかのんびり考えていると、ジュディがサファイアから2人を剥がしていた。
「やめて、潰れるわ」
いや、そんなわけないって。
苦笑いしたサファイアは、涙を浮かべるジュディの手をとった。
「待ち合わせにも来なかったって、どうしたのですか?」
「私、とても楽しみだったんです」
「うん」
「あまりにも楽しみすぎて……眠れなくて」
なるほど。
本当にフィリズらしくて、サファイアは気が軽くなった。
理由はただの『寝坊』だった。
「そんなに楽しみにしてくれて、嬉しいです」
「うわーん、サファイア様ぁ」
「あぁ、こら!」
折角ひっぺがしたのに、また抱きつき始めたフィリズにジュディが叱る。
「じゃぁ、私も!」
ついでにランダも便乗し始め、サファイアは諦めて天井を見上げていた。
「2人とも! 潰れるからやめて!」
ジュディも……絶対、玉子かなんかだと思ってるよね。
(ま、いっか)
こんなに、慕ってもらうのも悪くない。
気が済むまで、抱きつかせておくと、離してもらえたのは、結構たってから。
フィリズの首には、黄色い魔石のペンダントが、嬉しそうに揺れていた。
※
ルシオとエリュシオンが別室に行くと、エリュシオンは紙束を出した。
「はい、これ」
「ありがたいな。経過が分かると体調も診やすい」
「診てもらうんだから、当たり前だよ」
エリュシオンが前日に、サファイアの経過をまとめた報告書だった。
ぱらぱら、と紙をめくっていたルシオの手が止まる。
「おい。魔石の作製が、4つ、になってるが」
「うん。間違いないよ」
「全く、お前らは何を考えてるんだ」
ルシオはため息をついて、また報告書を見始めた。
「他に変わったことないのか?」
「そうだなぁ。アシェルが、縁談よけの婚約者にしたい、って言ってる」
「陛下が、許すわけがない」
ルシオは、うっかり言ってしまったかの様に顔をあげた。
「確かに、そうみたいだよ? こっちにも、まぁ、事情あるし、兄上にも相談して保留のままにしてる」
「なるほど……この、3つ目の契約魔術。発動したのか?」
エリュシオンが、突っ込んでこない事を、少し変だと思いながら、ルシオは話題を変える事にした。
「そ。多分、記憶を、忘れさせるためだけ、につけられてる。しかも、多分それ、結構な頻度で発動してると思うよ」
「凄いな……」
刻印は小さいのに、その全貌は、全身に埋めこまれている、綻びのない魔法陣。
ルシオは唸っていた。
「僕も。あんな精巧でエグいの、初めてみるよ」
「お前が分からないものがわかる奴なんて、この国にはいないだろうな」
「それが、問題だよね。出るかな、国外……」
王子殿下の側近をしていて、国が保護をしている、サファイア、の養父のエリュシオンは、結構重い身。
答えは、できない、だった。
「これから分かる事もあるだろう? 前にも言ったが」
「うん。分かったよ。ゆっくりね」
「そうだ」
「あ、そうだ。カーバンクルの話、どうなってる?」
紙束を小脇にかかえたルシオが、小さく声をあげる。
「その話があったな。ちょっと、サファイアのところに行こう」
「そう? 分かった」
エリュシオンが扉を開けようとして、動きを止めた。
「ルシオ兄さぁ。うっかり、口を滑らせたでしょ。バレちゃうよ。僕に」
後ろを向いたまま、何となく、言った、ようにも聞こえる言葉は、ルシオの心臓の動きを、一気に早める。
「…………」
「今は、氷上祭のことでいっぱいだし、聞かないから安心して」
無言のまま。サファイアのところまで行くと、何だか隣の部屋が、騒がしかった。
「あれ……もしかして来たのかな?」
サファイアの部屋をあけて、中にいないことを確認して、隣のジュディの部屋をあけた。
「そうです! いいですよっ。いい感じです!」
金属音と目にした光景に、2人は思わず立ちすくんでしまった。
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