44 氷海で唄ったオルニス 38『トロトロ鳥のスティファド』
目を覚ますと、日が暮れ始めている。
(寝すぎちゃった)
へやを出て、応接間に行くために、本館へむかった。
(ん?)
見慣れないものがあり、サファイアは、足を止めた。
いい匂い。
何だろあれ? 鍋?
ほんの頭もとしか見えない。湯気がたちのぼって、それが、なんとも温かみを感じる。
渡り廊下から逸れて、ふみ寄ってみると、いつもは厨房にいる料理人たちが、総出で大きな鍋を囲い、忙しなく動き回っていた。
なべの下の方で、アルフォンスが、火をおこしていた。彼が、魔術を使っている様子がふしぎだった。
まじまじ、とサファイアが眺めると、アルフォンスがサファイアに気づいて、手を止める。
「起きたのですか? 呼びに行こうと思っていたところです」
「なにをしているのです?」
なにせ、大きな鍋だ。サファイアは上を見上げ、少しだけ首をかしいだ。
アルフォンスが、また、鍋に火を送りはじめる。
「もしかして……」
「ええ、そうですよ」
これ、トロトロ鳥だ。
邸の中では、大きな鍋を置くところはあっても、火にかける場所がなかった。そのため、いつもこうして、外で茹でる、ということだった。
「すごいですね」
「毎年、ここでした茹でして、お配りしているのですよ」
「そうなんだ。ここで……」
今しているのは、した茹で、その状態にしてから、色んなところに配り、煮こまれる。
「アルフォンスは、随分と魔力があるのですね」
「この役わりができるのは、わたくしも誇らしいことです」
彼は、手もとを見ながら、笑みを浮かべていた。
もう少しで、できるらしい。
サファイアは、アルフォンスのとなりに立つ。
エリュシオンに教えてもらったときに、言っていた。
『もっとじんわり。しみ込むように使うんだよ』
なぜ、あの時。トロトロ鳥をたおす時に、思い出せなかったのだろう。
(余裕なんてなかったな)
そう思いながら、手をやわらかく出すと、しずかに、まじないの言葉を、落とした。
「フローガ」
炎の魔術なのに勢いはなく、なべの下の方だけを包んで、温度をたもつ。
中身がコトコト音をたてて、振動がからだに伝わってくる。
「さすがですね、サファイア様は」
「エリュシオン様から教えられました。『魔術はやさしく使えてこそ』だと。まだまだですが」
実際に言われたのではない。彼を見て、思ったことだった。
鍋をつつむ炎のおかげで、まわりまで暖かくなると、料理人たちの顔もゆるっとなった。
「あともう少しですよ」
「日がおちてしまう前に終わると良いのですが」
「この分だと間に合いそうですよ」
「よかった」
サファイアが、ほんわかとした表情で言った。
いつもなら、日が暮れていく今の時間が、なんとなく『淋しい』と、思うのに、そんな気持ちなんて、湧いてこなかった。
「そろそろ火を止めてください」
そう言われて、火を消した。温もりはそのままに、サファイアがひと息吐いていると、アルフォンスが、口をおさえて笑っていた。
「まだ、これからですよ?」
「これから何をするのですか?」
「切り分けるのです」
(切りわける?)
何となく意味はわかるけれど、イメージは浮かばなかった。
「サファイア様は、縄で持ちあげていただけますか?」
「『縄』ですか?」
「障壁は……たしか平気でしたね」
自分の持つペンダントには、その効果が付けられている。エリュシオンが、彼に伝えていたんだろう。
「ピアーセ!」
シュルッと白い縄がとび出ると、なべの中に入って行き、茹でられたトロトロ鳥へ絡みついて、慎重に持ちあげてみた。
こうかな? とアルフォンスの方を向くと、彼は頷いて呪いをとなえた。
「マヒェーリ」
縄でつかんでいたトロトロ鳥が、一瞬にして均一に切り分けられると、縄で支えきれなくなり、ぼちゃぼちゃっ、と鍋のなかに戻っていった。
あつあつ、の茹で汁がとび散り、少しはなれていた料理人たちが、降りかからない様に、更に間をあける。
「かかったら熱いですよね……」
「です」
2人とも障壁のおかげで、湯に降られる事もなく、落ちていく肉のかたまりを、サファイアが口をあけて眺めていた。
「さあ、ここから急ぎますよ」
アルフォンスが、肉塊を縄でいくつかとりだして、料理人にもたせると、夕食のしたくをする人と、のこって仕分ける人、にわかれる事になった。
サファイアとアルフォンスが、縄で肉をとりだして、並べられた鍋に入れていると、アニス達も手伝いにやってきた。
料理にかかわりのない、グエナヴィアやイネズ、ほかの使用人たちも来て、邸のほとんどの人が作業を手つだうと、真っ暗になるころ、ようやく大きな鍋のなかが空になった。
「終わりました」
「とても助かりました。ありがとうございます。サファイア様」
「たくさん届けられますね」
やり終えたことが嬉しくて、つい、笑い、サファイアは手を合わせる。
切り分けたものは、明日、懇意にしているところへ届けられる。との事だった。
トロトロ鳥のスティファド(スープ煮)が出来るまで、サファイアは部屋で着がえて、ガランサスを眺めていると、エミュリエールが、ノックも無しに入ってきた。
「お帰りなさい。エミュリエール様」
「ああ、ただいま」
「おしごとは平気でしたか?」
「君の大好きなエアロンが、『ちゃんと』やってくれるからな」
エミュリエールが、外套をソファにかけて、腰をおろし、勝手にお茶をそそいでいた。
「好いている、という事ではないですよ?」
「感覚的になんだろう? わかる気はする」
エアロンが『顔を合わせたくない』と、思っているのも知っているので、大っぴらにしてないけれど、サファイアは定期的に、手紙をとどけてもらっていた。
「エアロンは来ないが、入籍式の奴らは来るようになっている」
「そんな大袈裟にしたら、怒られませんか?」
「怒られたら、君がどうにかすればいい」
もう……
サファイアは、呆れたように息を吐くと、エミュリエールの隣に座る。
「嫌いなのですか? 自分の生まれた日が」
「なんだ、聞きたいのか?」
「そうですね……」
知りたいのではなく、知っておかなくてはいけない。サファイアはそう思った。
「少しだけ?」
「ふむ。父と母が死んだ日、だからだ」
「…………」
簡潔にして、言葉をまともに受けて苦笑う。
まわりくどいのは面倒だったらしい。
その様子に、サファイアは、ほんのり気持ちが楽になった。
アルフォンスが呼びにくると、2人が応接間へと移り、間もなくエリュシオンも帰ってきた。
本当なら、残業だったところ、エミュリエールがアシェルに、「手紙を飛ばした」ということだった。
そのアシェルもアレクシスも、彼の後ろについて来ていた。
「ねえ。なんで2人を呼んだのかな?」
あぁ。これは少し怒ってるかも。
どういう状況か、理解できなかったエリュシオンが、珍しく兄を睨んでいた。
エミュリエールと他の2人が、サファイアへ視線を向ける。と、その時、また扉があいて、見知った顔がまた入ってきた。
エーヴリルとルシオだ。ほんとはハーミットも呼んでみたれど、面子をきいて「とんでもない」と、断ったらしい。
「え……なんなの?」
「ただのお食事会なので、エリュシオン様も座ってくだっさい!」
茫然としたエリュシオンを、無理やりひっぱり、椅子にすわらせると、みんなも次々に席につく。
運ばれてきたのは『トロトロ鳥のスティファド』。
エリュシオンが大好きな食べもの。
「わたしがお願いしたのです」
「今日がなんの日か知ってたの?」
「今日、トロトロ鳥をとりにいく時に、教えてもらいました」
「捕りに……兄上……。じゃあ、なんで、ここに皆んないるの?」
「俺たちは『取りに来い』と、連絡があったから来た」
アシェルがカラカラと笑い、ほかの面々も、いたずらっぽく頷いていた。
「そうですよ。取りに来てもらったのです」
「確信的にだよね?」
「そんな細かい事、どうでもいいじゃないですか。顔色がわるくて、疲れた顔もしていれば、誰だって心配しますよ!」
トンッ!と、エリュシオンの前にスティファドを置いて、彼にカトラリーを持たせる。
「えっと、どういう事?」
「サファイアは、お前が殻を壊したことで、具合が悪そうだったから、責任を感じていたんだろ?」
アレクシスが、カトラリーを持って、早く食べたそうにスティファドを見下ろしている。
「お前にも、『親バカ』という日がくると、思わなかったぞ」
「うるさいな! エーヴリルも笑わないで」
笑い飛ばすルシオの隣では、エーヴリルが口をおさえている。
エリュシオンが、怒っているというより、なんとなく照れているように見え、サファイアが笑い声を零すと、彼が頭を、ぐしゃぐしゃ、と撫でた。
「君も笑ってないで、はやく座って」
サファイアが髪を手でなおし、恨めしく見ると、エリュシオンに引き寄せられ、頬にキスをされ、耳元で『ありがとう』と、彼はいった。
嬉しかった。
誕生日が、彼にとっては、好きではない日。でも、それが少しずつ、待つ日、になれば良いと思う。
椅子にすわり、顔をゆるめているとエミュリエールが「ニヤニヤ」していると言い、頬を膨らませた。
手を叩いて、エリュシオンが合図する。
「じゃ。今季は少しはやいけど、食べよっか」
「そうだな」
「おかわりは、幾らでも、ありますので」
とりわけ、豪華なわけではない。それでも、特別なもの、を食べているかのように、サファイアの目には映っていた。
食事がおわり、身じたくが済んだ後、サファイアは、エリュシオンの部屋に、遊びに来ていた。
彼が、湯浴みをして帰ってくると、自分を見て、腰に手を当てた。
「まだ起きてたの?」
「元気になったかと思って」
サファイアは、昼寝もしていたし、もう怠くもなく、まだ眠る気にならなかった。
「見張らなくても、もう平気だって」
エリュシオンの顔色は良くなっており、嫌いな薬の匂いもしない。
それを確認すると、サファイアは、部屋に帰ることにする。
「ん? 帰るの?」
「確かに、平気、そうなので。それに、抱き枕にされてはトイレにも行けなくなるので、困ります」
「…………」
サファイアの、後ろすがたを目で追い、途中でエリュシオンが引きとめる。
「来年もしてくれる?」
「…………」
はい、とも、いいえ、とも言わず、サファイアは、少し困って眉をよせると、それでも穏やかに口の端をあげた。
読んで頂きありがとうございます。