43 氷海で唄ったオルニス 37『トロトロ鳥狩り』
翌朝。
朝食を済ませた後、エミュリエールがいつものように部屋を出ていく。
その後に、エリュシオンも仕事の為に立ち上がった。
エリュシオンがいなくなった事を確認し、エミュリエールが戻って来る。いつ来たのかその後ろにハーミットの姿も見えた。
「まだ食べていたのか?」
「もう終わります」
最後のヤウルティを食べて、お茶を数口含む。サファイアは立ち上がり、エミュリエールを見上げて頷いた。
「では、行こうか」
アルフォンスがアニスを呼び、タラッサに行くための外套と帽子を被せられる。
服の下には厚手の下着。
屋内では少し暑いくらいだった。
「本当に。本当に! 気を付けて行ってきてくださいよ」
心配そうな表情を浮かべて、アルフォンスがサファイアの両手をつかむ。
「ただ鳥をつかまえてくるだけだ。そんな心配する事でもないだろう?」
「…………」
そう、簡単に言うエミュリエールの後ろでは、ハーミットが目を泳がせている。
サファイアは少し頭を傾ぐ。
「エミュリエール様もそう言っていますし……」
これで体調が悪い素振りでも見せれば、アルフォンスに止められそう。
でも、幸なことに好調だ。
「頑張ってきますね」
そんな言葉、今まで言った事があっただろうか?
少しの違和感にほくそ笑む。エミュリエールを見ると、彼も驚いたのか眉を上げていた。
邸に入ってすぐの広い場所まで移動して、転移をする為に皆が距離をあける。
「エミュリエール様。サファイア様はお酔いになりやすいので、丁寧にお願い致します」
エミュリエールが転移しようと構えると、アルフォンスが一歩前に出た。
「私は転移に関してはエリュシオンとそんなに変わらないぞ?」
「必ず無事に帰ってきてくださいね」
不安げなアルフォンスの視線。
サファイアは後ろ髪を引かれたが、出来上がった魔法陣の上に足を踏み入れると、彼を見てにこっと笑顔を作った。
ふわっとした浮遊感が少し。それでも空間はゆがむ事はなかった。
大丈夫そう。
サファイアが安心して表情を和らげる。
キーンと耳が詰まる感覚は唾を飲み込むと良くなった。
星が駆ける。
三人は一瞬にして知らない場所へと飛んで行った。
…………
…………
…………さむっ
厚着をしているのにも関わらず、走り抜ける風が体を切りつけていくように、鋭い。
冬は寒いのが普通だと思っていたけどこれは。
寒すぎた。
サファイアが外套を体に巻きつけると、ペガサスを召喚していたエミュリエールが笑って、口から白い息を吐く。
「だから寒い」
「雪は降らないのですか?」
今にも雪が降りそうな空。
空を仰ぐと身体を持ち上げられてペガサスの上に乗せられる。
「ここまで来ると降ることもあるらしい。だが、時期は今よりももっと後になるだろうな」
なんだ……
かおをくもらせて空をみあげていると、うしろにエミュリエールがまたがるのを感じ、まいあがっていた。
「ヴロヒユーロス」
うしろについてきているハーミットが、雨風避けの魔術をとなえている。
寒すぎて死にそう。
すでに、指さきの感覚がなくなっており、手をもむ。うしろにいるエミュリエールを、ふり返って見上げると、彼は顔色ひとつ変えず、自分に視線をかえした。
「あの。寒いです」
「きみは風避けは使えるんだろう?」
「え? あ……はい」
簡単な魔術に関しては一通りエリュシオンから習っていた。
「では、よろしく頼む」
(…………)
エミュリエールが反対もせず、自分をここに連れてきたのは何の為だったのか、少し疑問をよぎらせる。
「まさか、私にさせる為だったのですか?」
「多少はそれもあるな。君は一通りエリュシオンには教わったようだが、そのほとんどは使った事がないだろう?」
「他にも理由があるのですか?」
「寒い。早く使ってくれ」
「………ヴロヒユーロス!」
サファイアが完璧に風避けを使って見せると、エミュリエールがニヤッと笑って、「やるな」と言った。
「少し見てきますね」
ハーミットのグリフォンが前に飛んでいく。
山に向い速度をあげた彼の姿は、瞬く間に小さくなって行った。
「ハーミットは来た事がありそうですね」
「君は食べた事ないように言うが、毎年孤児院でも出しているだろう?」
「そうなのですか?!」
「ははは。君は本当に色々な表情するようになったな」
驚いた。
楽しそうに言うエミュリエールの言葉を背中で受けてサファイアは記憶を辿る。
(食べたことなんてあったっけ? トロトロ……あ!)
「もしかしてスティファドですか?」
「そうだ。みんな大好きなやつだな」
スティファドは、野菜と肉をスープで煮込んでトロトロにした茶色い食べ物で、年に一回孤児院でも出されているものだ。
「まさかあれが……」
「だから毎年冬にはハーミットもレイモンドも捕りに来ている。ただいつもなら年が明けてからだがな。今年は特別だ」
「特別?」
エミュリエールが顔を近づけ、耳元で何かを伝えると、サファイアが目を大きくあけて、勢いよく振り返った。
「本当ですか?!」
「そうだ。祝ってやるときっと喜ぶ」
そう言ったエミュリエールは、兄の顔をして笑っていた。
様子を見に行っていたハーミットが戻ってきて、自分たちに並ぶ。
「いましたよ」
「早かったな」
グンっと、ペガサスの速度があがる。
エミュリエールが振り落とされないようサファイアの体に手を回した。
「あの。エミュリエール様? どういう立ち回りでいくんです?」
「そうだったな」
立ち回り?
サファイアが二人を交互に見ると、エミュリエールと目があった。
「お前はいつも通りだ。私が捕獲する」
「じゃあ、氷漬けはどうするんですか?!」
「氷漬けは……」
捕獲? 氷漬け?
そんな大変なものなの?
口を押さえられる。
にわとりのような大きさを、想像していたサファイアは、実際にトロトロ鳥を見て、声をあげそうになった。
「本当は夜の方が捕まえやすいんだが、まぁ大丈夫だろう」
鋭い嘴と目に、いかつい体。
それよりも、その大きさが半端ない。
「大きすぎませんか?!」
あんなの。一匹捕まえたら何食分になるの?
トロトロ鳥は平民が暮らす家、一軒分の大きさをしていた。
「あれでも普通の大きさだぞ?」
「そういう事を言っているんじゃありませんよ」
エル坊ちゃん……
ファクナスよりも、ずいぶん小さいとは思ったけど、それでも、三人で捕まえるには十分大きかった。
今まで散々自分を隠すような事をしてきたのに、エミュリエールだって、全然普通じゃない……
解せない。
「まぁ、そういうな。氷漬けくらい君には朝飯前だろう」
「パリッパリにしちゃったら、どうするんでるか?!」
「炭にならなきゃ食べられる。行くぞ!」
「えぇ!」
繊細さのかけらもない。
エミュリエールの言葉を合図に、ハーミットが木の影を渡ってトロトロ鳥に近づいた。
「オミクレー!」
辺りにもやがかかり見えにくくなると、すぐにもう一つ魔術を使う。
「アポディナ」
トロトロ鳥の体に光が通る。
それを確認してエミュリエールが前に躍り出た。
「キェーーーー!!」
耳をつん裂く、大きな鳥の声。
バサバサ、と羽をはためかせて、薬と穀物を混ぜた匂いが辺りに充満する。
「アリスィダ!」
エミュリエールが魔術を唱えると、ジャラッとした音とともに、鎖が飛び出て、トロトロ鳥の体に巻きついた。
「キェーーーー! キェーーーーー!」
トロトロ鳥の鳴き声がうるさくて耳を塞ぐ。
つかまえられた鳥は、武器である鋭いくちばしを、エミュリエールに向かって突き出した。
「危ない!」
「アミナフルリオ」
サファイアは咄嗟に叫んでいたが、エミュリエールは、何なく障壁を出して攻撃を防いでいた。
「ほら、早くしろ!」
トロトロ鳥が鳴くたびに身をちぢめる。
サファイアが、そろりと木の影から出てくると、深刻な表情をして立ち止まった。
「感覚的には半分くらいでいいはずだ」
あまり力加減は上手じゃない。
エミュリエールまで氷漬けにしてしまったら、どうしよう。
サファイアは眉を顰めた。
「ははは。これは意外に大変だな」
そんな彼は、嘴でガシガシと障壁を突かれてもなお、余裕を見せている。
サファイアはトロトロ鳥を見上げた。
「エミュリエール様。加減があまりよくわからないので、危なかったら逃げてくださいよー?」
トロトロ鳥の鳴き声。
障壁を突く音で聞こえづらく、サファイアが大きな声でを出した。
「ははは、言われんでも逃げるさ」
「行きますよー?」
「よし、来い!」
サファイアが両手を前でかさねる。目を閉じると、集中して魔力を集め始めた。
半分。
半分……?
小さな魔術はいつも最小限に、大きなものは最大限に使う事が多い。
『半分』の意味。
それは、まるで自分も靄の中にいるようだった。
(これくらいかな?)
てさぐりで自分の思うところまで魔力をためると、サファイアは目を開けてまじないを唱えた。
(ごめんね……)
「κωκυτοσ!」
空気が一瞬にして凍りつく。
手を向けた方向には、メキメキと作られてていく氷。
物凄い圧と、加速する冷気。
靄までが凍り、白くけむる。
パキパキ、と細かく音を立てていた、と思ったら、急激に前にのびた。
バリバリバリバリーーーッ!
辺りが凍りつく。
少しずつ霞が消えていくと、そこには氷の柱、いや、先のみえない氷の川と、トロトロ鳥の氷像ができあがっていた。
「エミュリエール様!!」
「いや、さすがに……驚いた」
よかった。
危ない、と感じたエミュリエールは、とっさに逃げて、ハーミットの近くで座り込んでいる。
あちこち泥が付いているが、怪我はなさそうだ。
サファイアは、胸に手をあてると、安心して息をついた。
「すみません」
「予定どおり氷漬けできたから、『良し』だな」
「物凄く、『パリッパリ』ですけどね」
ハーミットが、氷漬けをたたいて確認していた。
「持っていった後に溶かすとしよう」
エミュリエールは、立ち上がり泥を払う。
懐から、ハンカチの様なものを出して、トロトロ鳥に向かって放った。
すると、ハンカチが大きく広がって、トロトロ鳥を覆う。小さくなった布は片手で持てるほどの大きさとなった。
「思ったより早く済んだな」
「そうですね」
2人は、立ち尽くしている、サファイアのところまで来て、中身のはいった布を両手にのせた。
「帰るか」
「そうですね」
「はい」
エミュリエールが言うと、ハーミットがそう答え、サファイアも頷いた。
そこからはペガサスは召喚せず、魔法陣をおき邸まで戻ることになった。
うろうろしていたアルフォンスが、帰ってきた3人に、いち早く気づくと、サファイアの肩に手を置いて、無事を確かめていた。
「ただいま戻りました」
「よくぞご無事で」
「あのこれを」
サファイアが包みを差し出すと、アルフォンスがエミュリエールを見て、頷き、すました表情で笑った。
「パリッパリだが、随分大きい」
「え……」
びっくりしてハーミットを見ると、彼は目をそらした。
サファイアが、頬を膨らませて眉をつり上げる。
「普通の大きさなんて、嘘じゃないですか!」
「大きいほど分けられるのだから、いいだろう?」
(もうっ)
でも、それならそれでいい。
サファイアは満足だった。
「さぁ、食事をしたらサファイア様は午睡してくださいね」
気づけばもうそんな時間らしい。
エミュリエールと、ハーミットも加えて昼食を摂ると、サファイアは部屋に連れて行かれベッドに入る。
二人は午後から大聖堂に行くらしい。
大人は大変だ。
太陽の匂いがする掛布を被る。
ぬくぬく、としながら、皆んながトロトロ鳥のスティファドを、食べて笑う様子をまぶたに浮かべる。
幸福感。
サファイアは眠りながら笑い声をあげていた。
最近Twitterを始めたら情報が多くて訳がわからなくなりました。
今日も読んで頂きありがとうございました。