42 氷海で唄ったオルニス 36
魔石作りの翌日は自分もエリュシオンも魔力が減っており、だらだらと部屋の中で過ごしていた。
自分はともかく、エリュシオンは明日からまた出仕する事になっている。
「明日大丈夫なのですか?」
「んー……大丈夫じゃなくても取り敢えず行ってみる」
エリュシオンが辛そうに見えサファイアは眉を寄せた。
「もう……そういう顔しないでくれる?」
髪を掻き上げたエリュシオンはそっぽを向いて嫌そうな声を出した。
心配だと言う事すら許さなそうだ。
「…………」
昼食を摂ったばかりのせいか眠くて怠さもあり、サファイアはソファに寝転んだ。
「寝るならベッドにしなよ。落ちるよ?」
「動くのが面倒です」
既にエリュシオンはベッドに座っていた。
朝起きて彼の顔を見て思ったのはとても顔色が悪くて調子が良くないと言う事だった。
(自分の心配をしてくださいよ)
最近よく寝るからか自分の居場所の様に居心地が良い。
サファイアは大きく欠伸をすると目を閉じた。
ため息をつく音の後にベッドに倒れ込む音がする。さすがに自分を抱えてベッドに連れて行くほどの気力がなかった様だ。
そのまま微睡んで起きた時にはもう日が暮れていた。
部屋の灯りはつきアルフォンスがエリュシオンの様子を伺っていた。
「まだ寝ているのですか?」
「一刻前に起きて薬を飲んだ後また眠ると仰いましたね」
多少怠くはあるもののこの前の様に酷くはない。
サファイアは慎重に立ち上がってベッドに手をつきアルフォンスの隣でエリュシオンを覗き込んだ。
少しは顔色が良くなっており安心した。
「エリュシオン様? もうすぐご飯ですよ」
肩に手を添えて軽く揺すると彼の藤色の瞳が覗き開く。
「あぁ、もう夜かぁ」
本当にその通りだ。
サファイアは軽く囀るとエリュシオンの手を掴んでベッドから引き摺り出しテーブルに座らせた。
夕食を摂った後も怠さを理由に二人とも着替えただけでベッドに潜り込むと起きた時にはもう朝になっていた。
部屋にいたアルフォンスはエリュシオンに起きるまで放っておく様に言われたらしい。
昨日の様子を見て彼を憐れんでいると昼になる前にエリュシオンは帰って来て結局その日もはだらだらごろごろと過ごした。
(なんか……)
こんなでいいのかと思って来た翌日。
「キュ!」
部屋の外にニュクスが迎えに来た。
トイレと湯浴み以外部屋から出る気にならず適当にエリュシオンの部屋の本棚から差し支え無さそうな本を読む事にも飽きてサファイアはようやく邸の中を散歩する事にした。
廊下に出るとニュクスが素早く登って肩で落ち着く。
薬草の匂い。
アルフォンスが食事はあげたようだ。
「元気にしてた?」
「キュ」
ニュクスが頬にすり寄る。
艶やかな黒い毛並みを眺めて具合が悪かったとはいえ寂しい思いをさせてしまったとサファイアはニュクスの頭を撫でた。
体の調子はだいぶいい。
『唄作りを始めよう』そう思ったのは予定よりも一日早かった。
「サファイア様? お部屋に戻られるのですか?」
一回りして来たところで歩いているところを後ろから声をかけられた。
「そろそろ腐ってしまいそうで」
振り返ると珍しくユニが一人で荷物を抱えていた。
「持つ?」
声をかけるとユニが首を振り慌てていた。
「ごめん。冗談」
「悪い冗談はやめてください」
メゾフォリアの香りがして笑顔を浮かべるとサファイアは彼女に夕飯は応接間に行くと伝えた。
テーブルの上の冷たさを感じ目の前のガランサスを見上げ少しだけ体を起こした。
希望だと言われる花。
『ガランサス』(スノードロップ)
その不思議な形を瞳に写して視線を彷徨わせて想像を膨らませてみる。
寒い
雪
そして温かい
髪先を指で弄りサファイアが口ずさみ始めた。
(あぁそうだ)
借りているキサラを持ってくると弦を指で弾いた。
「おや? どうしたのです?」
廊下で佇むアニス達にアルフォンスが声をかけると聴こえて来た唄に納得した。
「部屋に戻られたのですね」
「はい。お食事も応接間へいかれるそうです」
「そうですか」
問題なのはエリュシオンの方だ。
今日は途中で帰ってくることはなく今の時間である。最後までやってから帰ってくるだろう。
体調が悪くなると途端にエリュシオンは食べなくなる。既にサファイアの殻を破ってからいつもの半分も食べてはいなかった。
「何を考えているのか当ててみましょうか?」
考えこんでいたアルフォンスにアニスが言うと人差し指を立てた。
「トロトロ鳥のスープを作りたい」
「これでそれ以外の答えなんてないでしょう」
当てられたことを特に気にする様子もないアルフォンスがほつれに気がつき手袋を外した。
「あの……トロトロ鳥というのは?」
声はここにいる誰でもなく話し声が気になって顔を出していたサファイアだった。
「山の上の栄養のある草を食べて育った鳥のことです。エリュシオン様の大好物ですよ」
「その鳥自体もとても栄養があるのですが、煮るとトロトロとしてとても美味しいのですよ」
「トロトロ……美味しそう」
アルフォンスとアニスの説明に呟いたユニをエナがぎょっとした表情でみる。
「ユニ……口を閉じて」
ユニの顔は惚けており今にもよだれが垂れてしまいそうだった。
「なんだ? こんな所で集まって」
そこに帰ってきたエミュリエールが加わる。
「なるほど。今日は行くにしてももう遅い。明日だな」
アルフォンスから話を聞いたエミュリエールは少し買い物に行く調子でそう言った。
それにしても明日だなんて……
「あの。そんな簡単に手に入るものなのですか?」
大人数で立ち話をする訳にもいかずサファイアの部屋に入ると話を続ける。
エミュリエールとソファに座り彼を見上げた。
「斜め右上の山だ」
「斜め」
「右上?」
サファイアとユニが右上を見上げるとエナが口を押さえていた。
「コホン。アクティナのちょうど右上に当たるラガン山と言う場所です」
「遠いのですか?」
「転移で行くから遠くはないだろうが寒い。ん、まさか君も行くつもりなのか?」
「え……」
みんなから視線を浴び初めてそのつもりだったと気づいた。
「いえ。なりませんよ。サファイア様も魔石を作ったばかりでしょう?」
アルフォンスは前で重ねていた手に力が入っていた。
「最近、遊びに行ってないので……」
「遊びでは……」
明日にはほとんど戻っているだろうし。
困った顔でエミュリエールを見上げると彼も考える様に口に手を当てた。
「私と二人だけでは心許ないな。君の護衛を一人連れて行こう」
「エミュリエール様!! そういう事ではありません」
「ジュディですか?」
「サファイア様もそんな……」
アルフォンスがとうとう言葉をなくしてしまった。
彼が項垂れていると紙飛行機が飛んでくる。それを広げるとアルフォンスは険しい表情となった。
「食事はあちらで済ませて来るそうです」
予定では後5日後にもう一度魔石を作ることになっている。それまでにたまった書類を片付けなくてはならないのだろう。
「心配か?」
「……はい」
俯いたサファイアの頭をエミュリエールが撫でると周りはみんな黙っていた。
「私用に彼女を連れて行く訳にはいかないな」
「そうなのですか?」
エミュリエールがこっくりと頷いた。
「そうだ。一応護衛をするにあたり規定というものが定められている」
ジュディの家は彼女以外は代言士をしている。
規定とはエリュシオンの定めているものであり詳しくはエミュリエールも分からないらしいが規定から外れるような事があれば面倒なことになりかねないと言った。
「私が危険な目に遭わない様に守ってくれるのではないのですか?」
「馬鹿をいうな、エリュシオンが知らない事が規定に当てはまるわけがないだろう」
「…………」
まさにその通りだ。
「ああ……」
アルフォンスはもうお腹の当たりを摩って誰にともなく声を零していた。
「それならハーミットだって同じ事では?」
「彼はまだ移行期間だからな。私の部下になる」
それは少し屁理屈に近い様にも聞こえたが一応筋の通った事になるのだろうとサファイアは納得した。
「明日は……」
「分かっている。だが今年はサファイアもいる。それを理由にすればいい」
理由を付けて止めようとしたアルフォンスはエミュリエールのその言葉には黙り最後に「分かりました」と言った。
話は決まった。
画してエミュリエールとサファイアの二人はハーミットを連れてトロトロ鳥をとりに行くことになったのだった。
※
夕食後。
エミュリエールが寝てしまったサファイアの部屋でアルフォンスにお茶を入れてもらっていた。
「まだ納得してないのか?」
「わたくしは昔を思い出しましたよ」
「ははは」
3階の窓から飛び降りたり、アルクダの背中に飛び乗ったり、白狼に勝負を仕掛けてみたり。
“エル坊ちゃん″には随分と肝を冷やしていた。
「変わらないが変わるんだ」
「それを最近ひしひしと感じます」
二人が話しているとノックが聞こえてエリュシオンが中に入ってきた。
「もう寝てる?」
疲れた表情で入ってきたエリュシオンがソファの横を通り過ぎると薬の匂いが鼻を掠めた。
「お前それ何回飲んでるんだ?」
「あぁ……朝と夕」
「エーヴリルがうるさそうだな」
「もう散々言われたよ」
魔力を回復するための薬はエミュリエールでも顔を顰めるほど苦かった。
自分が薬を飲んだ様な渋い表情をしてサファイアを見下ろしているエリュシオンに声をかける。
「連れていったらいいじゃないか」
「え……」
エリュシオンが体を起こして振り返るとエミュリエールを見て目を逸らした。
「……寝てるし」
「そうか。じゃあ今日は私が借りて行くとしよう」
「え! なんで?」
「寒いからな」
立ち上がってベッドまで来るとエミュリエールがサファイアを抱えた。
「…………」
「そういう顔するなら初めから連れていけ」
そう言うとエミュリエールはエリュシオンにサファイアを渡して部屋から出て行った。
「えーと……なに?」
「よく眠るようにと言うことではないですか?」
ベッドを整えたアルフォンスがカップを片付けているとエリュシオンに移動するように言った。
色々身支度を整えた後ベッドに入るエリュシオンを確認して部屋を後にする。
『変わらないが変わる』
(心強い)
トロトロ鳥の事を言い出したのは自分であり後悔していたが、今までしたくても出来なかった事をする為にエミュリエールが考えた事は喜ぶべき事だ。
(さすがご兄弟です)
胃はもう痛くなくなっており、アルフォンスはカップを片手に本館に戻って行った。