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41 氷海で唄ったオルニス 35

 出来たばかりの細い三日月が瞳に映る。

 寝返りをうとうとして体を捩るが身動きをとる事はかなわなかった。

 この感覚は覚えがある。

 呆れと怒りの感情と共にエミュリエールの姿が浮かんだがどうもその相手は彼ではなさそうだった。


「離してください。エリュシオン様」


 慣れてしまったサンダノンの香りで自分を抱きしめて寝ているのが彼であると分かるとサファイアは声をかけてもう一度腕から抜け出ようとした。

 ようやく座るところまでいくとエリュシオンの腕に力が入り膝の上に頭を擦り寄せてきた。


「…………」


 腰に回された手が冷たい。

 温もりを探す猫の様にひっつく彼を見下ろしてため息をつくとサファイアはエリュシオンの頭を撫でてみた。

 掌を滑らせる髪の冷たい感覚に記憶を呼び起こす。

 確か入浴をしていた最中に不安が押し寄せてエリュシオンの所に行こうとしていた。

 そこでアニスに止められて訳が分からなくなり……


(その後、どうしたんだろう?)


 サファイアは首を傾げた。


「エリュシオン様?」


 眠っている人を起こす事は躊躇ったがトイレに行きたくて声をかける。


「んんっ」


 悩ましげに呻いたエリュシオンはムクッと起き上がるとぼんやりと目を開けた。

 これは。

 もしかしなくとも寝ぼけている。


「どこかに行っちゃ駄目」


 エリュシオンが頬擦りしてキスするとサファイアはこそばゆくて目をつぶった。

 最初は額、そして頬。

 いい加減目が覚めるんじゃないかと思って黙っていたが、ぼやっとした瞳に自分が映り込むと唇で鼻を啄まれた。


「っ!!」


 これにはびっくりしてエリュシオンの髪を掴むと薬の匂いが鼻をつく。

 それに顔を顰めていると肩を押されて倒されるまた抱きつかれてしまった。


(ちょっと!)

「………エリュシオン様!」


 髪が散り、顔にかかる。

 それを手で払いながら声をかけてもやっぱり返事はなく彼は震えていた。


「寒いよ……」

「…………」


 パティシスという症状に似ている。

 また目を閉じて擦り寄るエリュシオンに仕方なく眉を下げるとサファイアは目を閉じた。


(うーん……)


 身動きが取れない。

 もっと切迫したら魔術でも使ってどうにかするしかないかもしれない。

 そう思っていると扉が開く音がした。


「エリュシオン様?」

「助けてください」


 救世主の様に現れたアルフォンスにサファイアが声をかけると彼が物音させずにベッドの脇まで歩いて来た。


「これはまた……」


 声がした為見に来てくれたのだろう。

 口に手を当てたアルフォンスはしばらくそうしていると部屋から出て人形を持って戻ってきた。


「サファイア様。これを体の前に抱えてください」


 言われた通りにどうにか人形をすり込ませるとエリュシオンがその人形に抱きついて奪っていった。


「…………」


 なんか見てはいけないものを見てしまった気がして目を逸らすとサファイアはベッドから抜け出した。


「眩暈やふらつきはございませんか?」


 何となく声を出すのが躊躇われる。

 サファイアはコクッと頷くとアルフォンスが手を取って隣の部屋まで連れてきてくれてサファイアはようやく息を吐いた。


「ありがとうございます。アルフォンス」

「何があったか覚えていますか?」

「あまり……」


 サファイアがふるふると首を振るとアルフォンスが何があったかを教えてくれた。


「エリュシオン様は『殻籠り』を起こしたサファイア様の殻を壊す為に魔力を使われまして」

「殻籠り?」

「えぇ。処理しきれない恐怖を感じると起こる結界です」

「パティシス……」


 サファイアが目を伏せ呟いた。


「えぇ、そうです。それに近い状態かと」


 自分がその状況になればきっと魔力に比例した結界を作ったという事は予測できた。


「本当ならば御当主であるエリュシオン様がなさる事はないのですが、サファイア様が相手となると壊せるのは……」

「………」


 エリュシオンかエミュリエールしかいない。

 でもエミュリエールはだいぶ魔術の使い方が大雑把である。エリュシオンは嫌がったのだろうとサファイアは思った。


 手を焼かせてしまった。


「大丈夫ですよ。薬も飲んでいただきましたから」


 眉を寄せるサファイアを見てアルフォンスは優しくそう言った。


「それより行きたいのでしょう?」

「あ……」


 彼を見上げて頷くとトイレに連れて行ってもらい廊下の右と左を見てサファイアが悩む。


「もし出来たらエリュシオン様のところに戻って差し上げてください」

「よろしいのでしょうか?」

「はい」


 アルフォンスがにっこり笑った。

 次は朝まで持ちそうだ。


「わたくしは隣にいますので何かあったらお呼びください」


 二人がまたエリュシオンの部屋まで戻って来るとアルフォンスがベッドに入るサファイアを見守った後、彼は静かに部屋を出て行った。

 月は細いのにちゃんと明るくてはっきりと照らしてくれる。

 目の前にエリュシオンの背中。

 朝起きたら彼は自分が人形を抱いて寝ているなんて思わないだろう。

 小さく笑い声を零すとサファイアは掛布を引き上げ息を吐き目をつぶった。

 まだ薄暗い頃に一度目を開けたが暖を取る様にまた抱きつかれている事に気づくと彼の手が暖かくなっている事に安心してサファイアは再び眠る事にした。


                ※


 今日から執務が開始になる。

 既に暖かくされている部屋の中で机の上に積み重ねられた書類を眺めてアシェルが腰に手を当てた。


(先に始めるかな)


 この多さも別段ではなくむしろ少ない方だ。

 机につき適当に書類を取るとするっと一枚落ちる。


「おっと」


 床から拾って何となく目に入った書類の内容にアシェルの足が止まった。


「おはようさん」


 アレクシスが入って来てまじまじと紙を眺めるアシェル見て眉を上げた。


「あぁ……おはよう」

「なんだ? 変なやつか?」


 アシェルの肩越しにアレクシスが書類を覗いて鼻で笑った。


「これここじゃないだろ」

「まぁ、国王陛下宛が妥当だよな?」

「エリュシオン目当てか……」


 そのエリュシオンはまだおらず二人は彼が来てからどうするか決める事にした。

 それにしてもいつもの時間を回っているのにエリュシオンの来る気配はない。


「あいつ、サボりか?」

「まぁ、真面目な方じゃないが。さすがにそれはないだろ?」

「さぁ、どうだろうな。ごめん、今日仕事の日だっけ? とか言いそうな気もする」


 アレクシスがそう言い腕を組むと自分の言った言葉に頷いていた。


「そう見えるだけだ」


 軽く流す様に言ったアシェルが執務を始めるため机を迂回するとちょうど窓からケリュネイアをしまうエリュシオンの姿が見えた。


「来たみたいだぞ」

「フン」


 鼻で返事をしたアレクシスが窓には目も暮れず書類を手にして黙々と処理をし始めていた。


「おはよ」


 それから間も無くノックする音が聞こえてエリュシオンが部屋に入ってくるとアレクシスが彼の様子を黙って目で追う。

 無理もない。

 エリュシオンは歩いて来て書類を上からガサッと乱暴に取ると自分の机に置いて座った。

 顔色が悪い。

 両手で頭を抱える様に掻き上げるとエリュシオンは息を一つ吐き羽根ペンを手に取った。


「何かあったのか?」

「………サファイアにさ」


 その出だしを聞いて二人とも「またか」と顔を見合わせた。


「魔石作った後殻に籠られて」

「…………」

「お前、何でエミュリエールにさせなかった?」


 どう見てもそれが原因での魔力消耗。

 アレクシスが険しい表情をしていた。


「だって……兄上バリバリしそうだったし?」

「そりゃ……」

「サファイアは難しいんだよ」


 乱暴に殻を壊すエミュリエールの姿が目に浮かぶ。

 その場にいたエリュシオンの気持が何となく分かった。


「お前今日早く帰れ」


 アシェルが立ち上がりエリュシオンの前にさっきの書類を置くとそれを見たエリュシオンが手にとって軽くため息をついた。


「これ、国王陛下に通してよ……」

「そうだろうな」


 蛇の国章の紙に書かれている内容。

 それは……


「……来ると思った」


 元凶は広報部が作り上げた『カリスティオクリュシュタ』の掲示紙。

『イシュタルの使いに合わせろ』という内容だった。


「僕個人は合わせるつもりはないよ。でも、国としてならそういう訳にも行かない」

「サファイアは今どうなんだ?」

「僕なんかよりずっと元気だよ……」


『なんかより』


 言葉の使い方でエリュシオンが随分減退しているのがわかるとアシェルは彼から書類を取り上げ自分の机に戻した。


「……なに?」

「お前。もう帰っていい」


 ペンを掴んだままエリュシオンがアシェルをじっとり見ると静かに息を吐いた。


「……ごめん」


 言い訳はしない。

 でも、相手がサファイアというだけで作られた殻は相当強固なものであったのだろう。


「魔石は三つか?」

「この後もう一つ……」


 エリュシオンが首を振るとため息混じりに言い二人とも伝染する様に息を吐いた。


「あいつの意向か」

「また……」


 何でエリュシオンがいてそれを許したのか?

 二人が絶句していると彼は「僕は馬鹿だったよ」と言い思わず笑い声を零した。



              ※

 オピオネウス国。


「これ昨日届いたんだってな」

「何を送ってくるかと思っていたらこんなガキだとはな」


 今年は自分達が氷上祭の掲示紙となった。

 本当なら送られてくるのは師と呼ぶ人物のはずだったのに彼は事情があって掲示紙になることはおろか『アイギスの儀』で唄う事も取りやめになったという。

 それに代わって唄うのが年端もいかない少女。


「それはあっちの国の事情というものだ。俺たちが何かを言ったってどうしようもないぞ、ロウウェル」


 テーブルに置かれた掲示紙を忌々しく眺めているロウウェルに言うと彼は鼻を鳴らした。


「ギュイネス……お前恩を忘れたのか?」

「そうじゃない。俺は客観的に言ったまでだ」


 彼から唄を譲り受けたのは3年前の事。

 3年に一度開かれる次のカリスティオクリュシュタでお互い競おうと約束したのはその時だった。

 聞けばアイヴァンは平民落ちしたと言う。

 そしてその原因はこの掲示紙の少女であると噂は届いた。


「アイヴァン殿よりも適任な方はいない」


 それはギュイネスも同感だった。


「会えば分かるさ」

「会えるのか?」


 会うと言うのはただ姿を見かけるだけではない。

 話をして為人を目極める機会があるのかどうかだ。


「父上に頼もうとは思ってる」


 腕組みまだ掲示紙を睨みつけているロウウェルは幼馴染の姿を横目で見る。

 宰相をしている彼の父ならば機会を作ることは出来るかもしれない。


「会えばわかる。か」


 その言葉にギュエルドが頷くとロウウェルはようやく表情を和らげて氷上祭に向けて舞台の話し合いを始めた。

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