39 氷海で唄ったオルニス 33
窓ガラスに反射した光が顔に当たり思わず顔を歪めて目を開ける。
目覚めが悪くないのに腑に落ちない。
自分の見る夢はこの国に来てからが多いが、それでもたまに記憶がなくなる前の夢を見る様な気がした。
その時はいつも霞がかかり起きた時には何も覚えていなかった。
いつもの様に自分の横でいつの間にか丸くなっているニュクスを撫でてさらさらとした冷たい手触りを感じ安心を覚える。
「おはよう。ニュクス」
驚きもせず目を開けたニュクスが何も言わず半目で尾を一振りした。
今日は魔石を作る日。
作ると言っても別に大した儀式もなく集中出来る空間があればいいだけ。
ただこの前の様に一つ作れば魔力は半分以下となる為、パティシスという厭世観に悩まされる事になるため多少の迷惑はかけてしまうだろうと気が重くなった。
ため息を一つ吐く。
(ん……?)
顔を上げると視界に昨日は気づかなかった鉢植えが置いてあることに気づいた。
ミゲに似ていてミゲではない。
真っ白くて翼を折りたたむ天使の様な花の形。
微かに感じる薬の様な香り。
エンドテーブルを引き寄せて顔を近づけるとケースから冷たい空気を感じサファイアは目を閉じていた。
「サファイア様? お目覚めでしょうか?」
ここ最近はアニスの他にエナやユニも自分の世話に加わる様になった。
声の主であるユニが入ってくるとお辞儀をして身支度を始める。
「どうしてこれを?」
エナが着替えに出してきた青みのあるゆったりとした作りのワンピースをハンガーに掛けるとサファイアが立ち上がって服の前に立っていた。
「今日はとても集中力を必要とする所要があると伺っております」
服の色や締め付けが邪魔にならない為ではあるがそれだけではないとサファイアが口許に笑みを浮かべた。
「懐かしいね」
手に伝わる優しい感触が思い出をくすぐる様で切ない気持ちを感じる。
いい思い出なんてないと思っていたのに、進んで気づくこれは『寂寥感』
それが柔らかい布で包まれて安堵の吐息となった。
「ありがとう」
「さぁ着替えましょうかお嬢様」
「そうね」
布の上でエナが服を脱がせ灰色のワンピースを着せるとフリルで隠れてる様になっているボタンをとめて襟元のリボンを結んだ。
「そう言えば、あの鉢植えはどうしたの?」
ベッド脇のエンドテーブルに視線を寄せるとエナはうつむき加減で微笑んでいた。
「王子殿下からの贈り物の様ですよ」
「アシェル様から?」
そう言えば昨日馬車から降りてきた時に何かを抱えていた事を思い出す。
(あれか)
「詳しい事はエリュシオン様にお聞きになってみてください」
服を着替え終えて靴を履き鏡の前でクルッと一回まわって確認した。
「おかしくない?」
「お似合いですよ」
鏡台に座って髪を整えてもらい立ち上がるとエナと共に部屋を出て本館に向かった。
渡り廊下で息を大きく吐いて白くなる事を確かめ自分の記憶とすり合わせる。
「今年は冬が遅いね」
「去年と一昨年は寒冬が長かったもの」
こういう感覚はエナとユニじゃないと分からないかもしれない。
ここに二人がいるという事がサファイアはとてもありがたいと思った。
応接間で朝食を取るとエミュリエールがいつもの様に出かけて行く。でも今日はその前にサファイアを見て微笑んだ。
「兄上もその服は思い出すこともあるんだろうね」
サファイアが振り向くとエリュシオンはゆっくりお茶を飲んでアルフォンスから渡された書類を見ていた。
「待っているのですか?」
「ん? んー……半分半分?」
エリュシオンはアルフォンスを呼んでいくつか質問をしていた。それを見てサファイアは食事を続けると食後のお茶にようやく辿り着き何かを考えて目を閉じているエリュシオンに声をかけた。
「あの、ベッドのところにあった鉢植えなのですが」
口にレヴァンダ(ラベンダー)の風味が広がると穏やかな表情を浮かべた。
「ん? あぁ。アシェルが昨日君にって置いていったやつね」
藤色の瞳が覗くとそのまま細くなり彼は頭を少し上に傾けた。
「確か『ガランサス』って言ってたかな。寒い国の雪の中でも花開く『希望』と言われている花らしいよ」
(……ガランサス)
「あの花がですか?」
サファイアが掌を見ているとエリュシオンが真横に来てその手を掴んだ。
「食べた?」
「はい」
手を引かれて渡り廊下を歩いていると、眉を寄せるサファイアを見てエリュシオンがまた話始める。
「冷たかったでしょ」
「え? エリュシオン様も触って見たのですか?」
「うん」
「氷を触っているみたいでした。わっ」
空いている方の掌を眺めサファイアがこてっと首を傾けているとエリュシオンが急に立ち止まり彼にぶつかった。
「…………」
エリュシオンの足が後退り何がいるのか彼の後ろから顔を出すと白いふわふわした小さなものが飛んでいた。
「アロゴミガ(虻)じゃないですか」
独特な羽音と共にアロゴミガがサファイア目掛けて飛んでくるとサファイアの髪にとまった。
「ちょっと勘弁してよ!」
「あの花みたいで可愛いじゃないですか」
人を刺すことはない白い綿のような小さなアロゴミガを触ろうとするとエリュシオンが蔑む表情でサファイアと距離をとった。
触ろうとして伸ばした指はアロゴミガに触れることはなく気配を感じて飛んで行ってしまい、温もりのある瑠璃の瞳を細めて空を見上げる。
「…………」
「怖いんですか?」
「違うよ! 気持ち悪いの。あの目とかブーンって飛んでくる音とか!」
寄せていた眉を上げエリュシオンを見るとサファイアは口を押さえてエリュシオンの手を引っ張って歩き始めた。
「野営する事くらいあるのにそんなので大丈夫なのですか?」
「そういう時はちゃんと結界張ってある」
(あぁ)
可哀想に。
エリュシオンは髪色も身につける衣服も明るい色を身につけている事が殆どだ。
今までその明るさに寄ってきた虫が、一体どれほど彼の張る結界に弾かれて絶命したのだろうと思うとサファイアはそう思わずにいられなかった。
「君だって真っ白なんだから虫が寄ってくるでしょ」
「そうですね。でも私は虫はあまり嫌いではないので」
「あぁ、そう」
孤児の時に髪を灰色にしていたのは目立ちたくないという理由もあったが強い癖毛に絡まって取れなかったりするからだった。
「それにその為に暗い色にしていましたし」
「なんだ……てっきり隠しているのかと思ってた」
手を引いていくサファイアの後ろ姿を見てエリュシオンがきょとんとする。
「……隠しているというより目立つのが嫌だったんです」
だから結果そうなっただけ。
「そうなんだ」
二人が別館の三階まで来るとその場で立ち止まりサファイアは左右を見ていた。
「何処で作業するつもり?」
「…………」
サファイアが口を開けてエリュシオンを見上げると力の抜けた手から腕を外し腕を組んで彼が見下ろした。
「まさか考えてなかったの?」
「えっと。具体的には?」
相変わらずの様子にエリュシオンがため息をつき手を顔の前に出した。サファイアが首を傾ぐと彼は指を四つ立てた。
「いい? 今すぐ決めてよ?」
(えぇ……)
不安な気持ちで指を見ているとエリュシオンが指を振って知らせる。
「一つ目は君の部屋。いつも過ごしている一番慣れている場所だから。でも人の出入りを制限しても完全には人の気配を断つことは難しい。それと、二番目の僕の部屋も同じようなものかな」
「三つ目は?」
「三つ目は秘密基地。静かさならここは一番だと思う」
静かで邪魔の入らない場所と言えば思い当たる場所があり、サファイアが薬指を掴んで見つめる。
「それでは四つ目は上の書斎ですか?」
「…………」
あ……
エミュリエールがあまり躊躇いなく書斎に来る為同じような調子で聞くと心底嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「すみません。間違えました」
「あそこは僕が出入りしたくないから駄目」
聞きたくないけどいつかは聞かなくてはいけない。言いたくなくても話しておかなくてはいけない。
気まずい。
「…………」
「…………」
「お二人ともどうなされたのですか?」
アルフォンスに微笑ましく見られており、なぜかと思ってエリュシオンを見ると知らぬ間に彼と同じ姿勢を取っていた。
「何処でやるか場所を決めているんだよ」
「どちらになったのです? わたくしにも知らせておいてください。皆に気をつけるよう伝えますので」
エリュシオンが指を三本立て顔を傾けた。
「………三番目です」
四つ目は何だったのか?
結局、教えてもらうことはなく選ぶことにした。
「アルフォンス。秘密基地だよ」
「なるほどそれは良いですね。必要なものはありますか?」
「これといって」
魔石の作製は魔力さえあれば身一つで出来るので準備は楽ちんである。
「このまま行くの?」
サファイアが頷くとエリュシオンは自分の部屋に入って本を二冊持ってきた。
「来るのですか?」
小部屋の中に入り閉めようとノブに手をかけていたところだった。
「え……まさか一人で行くつもりだったの?」
「いえ……」
行く気満々だ。
驚くエリュシオンにそのつもりだったとは何となく言えなかった。
「音」
「なに?」
「気になってしまうので」
「分かってるよ。空気になっていればいいんでしょ?」
ずいっと小部屋に入ってきたエリュシオンが早く魔法陣に入れとサファイアの背中を押した。
(んー……)
天井を見上げてなされるがまま前に進むと二人は魔法陣にのって秘密基地へと移動した。
基地についてエリュシオンが部屋の温度を上げるとソファに座る。
「これ終わったら曲作るんでしょ?」
「その予定です」
「あの花、アシェルの応援らしいよ」
振り返ったサファイアが目を丸くしてぽかんと口を開けた。
エリュシオンが口を指で叩くのを見て咄嗟に両手で口を押さえた。
「曲のイメージを伝えたのですか?」
首を振ったエリュシオンは足を組んで開いた本をのせていた。
「勝手に伝えている訳ないじゃん。アシェルはよく見ているし感もいいからなんとなくだよ」
「そうですか」
それは彼を見ていればよくわかる事。
言葉を息のように吐いたあとサファイアは微かに口の端を上げていた。
棚からこの前置かれていたスコティケーマを取り出すと作業台の上に置き椅子に膝を抱えて座る。
「これを見るとやる気が出ます」
視線を感じる。
その主が何故と言っているのかが伝わった。
「それとあまり見られると気になります」
「分かった。始めて」
「はい」
その会話をした後視線が逸れるのを感じ、サファイアは天井を見上げて静かに目を閉じた。
イメージは同じ。
手で作った皿に溢れないように水差しで注ぐ。
ゆっくり丁寧に。
『カリスティオクリュシュタに行きたい』
一つの願いを胸に。
それは返していくという自分の儀式。
幸福の『ラーユ』
【※読者の皆様へ※】
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天野すすより