33 氷海で唄ったオルニス 27
食事を終えて店を出た後、今日の用事は終わったらしいのでぶらぶらと街を見て回る事になった。
大きな通りに並ぶ煌びやかな店たち。
「氷上祭の月になると街がそれ一色に染まるんだよ」
白い粉がかかったパン。
午前中には気づかなかった小鳥と雪の結晶を表したキラキラとした街中の飾り。
「何故かわくわくします」
「そんな気持ちも持ってるんだね」
「私は普通の子供ですよ」
イシュタルの使いと呼ばれ貴族になった今も自分はもと孤児で普通の子供。
サファイアは眉を寄せてエリュシオンを見上げた。
「あぁ、うん。そうだった」
ついてくる護衛の二人もエリュシオンと同じように頷いていたがブルノーだけは機会を逃さないよう常にスコティケーマを構えている。
何度か音が鳴る。
その回数だけ気にしてサファイアはため息をついた。
気を取り直して周りを見回しているとちらほらと男性二人の掲示紙が貼られている事に気づく。
「エリュシオン様、あれは?」
「氷上祭の掲示紙だね」
少し行儀は悪いがサファイアが指差すとエリュシオンが目を細めた。
「今年は彼等なんだ?」
「そうですよ。こっちは中々彼等に対抗出来る人物なんていないんで困ってるんです」
対抗?
サファイアは首を傾げて遠くからその掲示紙を見ていた。
明日の茶菓子にする為、冬の菓子パンを購入すると広場までの街路を歩く。途中で気になったものは聞くと教えてくれた。
折角来たけどもう帰るのはなんだか惜しい気がする。
(あ……)
そう思ってきょろきょろと見回すと気になる店を見つけエリュシオンの服を引っ張った。
「エリュシオン様、あの店は何が売ってますか?」
「……興味あるんだ? お化粧」
それなら売っているだろう。
サファイアはふるふると首を振ると前で手を揃えた。
「見てもいいですか?」
「いいけど」
エリュシオンも初めて入る店。
花の香り。
特に奥の方は香水が陳列され香りが強い。
「何をお求めですか?」
寄ってきた店員が顔を見ると一瞬驚いた表情をして直ぐに笑顔を作り直した。
「申し訳ございません」
「いいよ」
思っていたより店員が教育されている。それに気を良くしたようでエリュシオンもにっこりと笑顔を作っていた。
「サファイア。何が見たいの?」
「手の乾燥の……」
サファイアがぽよっとした小さな手を捏ねくって両手を開いた。
「保湿クリームでございますね。こちらですよ」
店員がサファイアの手を見て笑みを零すと商品を並べている場所へ案内してくれた。
多い……
「これ全部ですか?」
「えぇそうです。当店ほど揃っているところはございません」
不安そうに見上げたサファイアに店員は手を組んで自慢そうに言った。
「エリュシオン様? おねだりをしても良いですか?」
「うん?」
商品を眺めていたエリュシオンが振り返るとサファイアの手を見て口に手を当てた。
「欲しいの?」
サファイアは首を振った。
「お邸の人に贈りたくて」
「……そう」
店員がその言葉に顔を綻ばせる。周りも表情を緩めていた。
エリュシオンはそのまま目をつぶると店員に試供を頼んだ。
「どんなのがいいの?」
「ええと。あまり香りが強くなくて、ベタつかないけど保湿の高いものがあれば……」
保湿の高いものとして店員が選んだものが10種。その中から香りが強いものを省くと半分になる。
「この香り好きじゃないな」
「そうですね。トイレにいるみたいです。っいた」
エリュシオンがサファイアを小突き腰に手を当てた。
「君も好きだね……」
「トイレに好きも嫌いもありませんよ。トイレがこの世から無くなったら大変なんですから」
貴族というものは何故こんなに排泄について隠したがるのだろう。どんなに綺麗な人だって行くというのに。
「お願いだから連呼しないで……」
まわりが顔を引き攣らせエリュシオンは手で目を覆い絶句していた。
「何故ですか? ルシオ様もエーヴリル様もそんな事別に言いませんでしたよ?」
「……それは彼等が医術者で体調管理に必要な事だからだよ」
前から思っていた。
人間は皆毎日使っているはずなのに言葉に出すのがいけない事なんてやっぱり納得がいかない。
サファイアは手を握りしめて眉を釣り上げた。
「エリュシオン様だって朝から二回くらい行って……もがっ」
「…………やめようね?」
(なるほど二回ですか)
エリュシオンに口を塞がれてそのまま引っ張られると顔を近づける。
手から花の香り。
急に寒い。
それはにっこり笑っているエリュシオンが抑えきれずに醸し出したものだった。
「そんな事言ってないで、早く選ぶよ」
口を塞がれたままゆっくり瞬きする。
「次そんな事言ったら即帰るから」
サファイアはもう一度瞬きをした。
口から手を離してもらうと息を吐いてへらっと笑うのを見てエリュシオンが腰に手を当てて息を吐き出していた。
「…………これか、これかな」
まだ少し不機嫌そうにエリュシオンが二種類の保湿クリームを指さした。
「……こっちがいいです」
一つはミゲの香り。
もう一つはエミュリエールがこの前焚いていた香木と同じだ。
「こちらはメゾフォリアにレヴァンダ(ラベンダー)の香りを混ぜている消臭や殺菌効果もあるものなんですよ」
実際に手につけて確かめてみると馴染みのあるミゲよりも使用人たちに似合うと思った。
甘くない『森の香り』
ニュクスも手に顔を近づけ鼻をヒクヒクさせている。サファイアは手の香りを吸い込んでほんのり微笑んだ。
その瞬間聞こえるスコティケーマの音。
「…………」
「や、今のは手が勝手に」
エリュシオンに冷たい目で見られたブルノーがスコティケーマから手を離して掌を前にした。
「10枚目ですよ」
手を開いて枚数を示すとブルノーもエリュシオンが怖いのかうんうんと頷いた。
「これで本当にいい?」
「はいこれで」
サファイアは手を合わせて頷いた。
支払いをする為、エリュシオンに外に出るように言われて待っていると氷上祭の掲示紙が貼ってありじっと眺める。
「かっこいいでしょう?」
サファイアが首を傾げるとブルノーが顎を掻いて彼等のことを説明してくれた。
蛇の国章。
載せられた二人の男性は隣国オピオネウスの一番のトラヴィティスらしい。
「まぁ、いつもバウスフィールド卿と過ごしているサファイア嬢からしたらそんなにカッコ良くはないかもしれませんが」
それはそれは女性からとても人気のある二人組で、フェガロフォトにもたくさんのファンがいるのだそうだ。
「彼等は前にアイオイデーを賜ったアイヴァン=メルヴィル殿から……うぎゃっ」
「サファイア様聞いてはいけません!」
ジュディがブルノーの首を絞めると潰れたような声が上がった。それからハーミットに彼を引き渡すとジュディは懇々とブルノーに文句を言いはじめた。
随分と溜まっていたようだ。
二人がそっちに気が向いているので後ろを振り向いて周りを眺めているとちょうど向かい側に小さな小物屋が見えた。
その前で何かを見上げて寂しげに微笑んでいる男の人がいる。
サファイアの場所からはちょうど横顔。帽子を目深にかぶり目は見えなかった。
何故だろう気になる。
無意識に足が動くとふらふらとその男の人の隣に並んだ。
「この方達が隣の国一番のトラヴィティスなのですか……」
寂しげな雰囲気が一瞬にして凍りつき、化け物を見たかのように男の人は走って行った。
よほど慌てていたのか向こうの方で何かをひっくり返す音が響いた。
子供にお金を払うところは見せないもの。
エリュシオンが支払いを済ませて店から出て来るとハーミットに捕まえられたブルノーがジュディに説教していた。
「何してるの?」
「彼がアイヴァンの事を話そうとしていたのです」
「…………」
「その掲示紙の説明をしていたんですよ」
なるほど。
唄を作った事を言おうとしていたのだとエリュシオンは予想がついた。
「それで? お嬢様から目を離しちゃ駄目じゃん」
「あ!」
二人とも今サファイアがどこかに行っている事に気づいた。急いで探しに行こうとする二人をエリュシオンが止めると彼は親指を差した。
「ほら、あそこ」
サファイアは向かいの小物屋の前で立っていた。
隣にいる人物を見てエリュシオンが興味深そうに眺めているとサファイアが何かを言ったのか、逃げて行った。
「どうしたの?」
人が走って行った方向を眺めて立ち尽くしていたサファイアに声をかけるとふるふると首を振る。
「とても懐かしそうに見ていたので。でも逃げられてしまいました」
「食べられると思ったのかな」
そう言うとサファイアは頬を膨らませてエリュシオンを叩いた。
「人は食べられません!」
「あはは」
いつも返答が少しだけずれている。それが、サファイアの個性なのだとエリュシオンは笑った。
「ここ、入ってみる?」
サファイアが頷くと護衛とブルノーを呼んで店の中に入った。ハーミットが冷や汗をかいている。
「あれ」
支払いのカウンターで優雅にお茶を楽しむ見たことのある人物。
「ジェディディア様?」
「ほぅ? 本当に来たな」
ん?
サファイアが首を傾げる。
「なんでいるの?!」
大きな声を出したのは今まで大人しくついてきたハーミットだった。
「なんでと言われてもな。店主が怪我をしたらしくて勝手に連れてこられた」
「えぇ……」
ここは。
その様子を見ていたサファイアは店に置かれた小鳥の人形を手に乗せじっと眺めた。
見た事がある。
…………
「孤児院に関係のある場所ですか?」
エリュシオンを見上げるとにっこりと笑った。
「ペルカの子供達が作ってるんだ」
掌に乗せた小鳥の頭をエリュシオンが指で押さえるとこてんと倒れた。
静かな店。可愛い小物。
サファイアは不思議そうに店内を歩き回って品物をみていた。
「ちょっと貸して」
エリュシオンがブルノーの首からスコティケーマを取り静かに待った。
特にこの小鳥の小物は展示の仕方が凝っていて店の中に雪の国の天井まである白い木が飾られそこに何羽もの白くて丸い小鳥がとまっている。
そして雪が積もった木の根元にも小鳥達が楽しそうに紅い実を啄んでいた。
紅いのはソーブの実。
もう死ぬ子はいなくなっただろうか?
小鳥の数だけ思う感情とあの時にいた子供達の顔か思い浮かんだ。
それとエリュシオン達が色々考えてくれた事。
悲しい。淋しい。
不安や戸惑い。
その中でも大きいのは喜び。
小鳥達がとまる木が飾ってある台に手をついて感情が入り混じってどんな表情をしていいのか分からなくなるとそこでスコティケーマの切られる音がした。
「…………」
「どうしよう……」
「どうしたのですか?」
撮ったのがブルノーではなくエリュシオンだった事に気づくとスコティケーマを持ったまま呟く彼に眉を寄せる。
「一番いい絵が撮れたかも」
その返事を聞いてサファイアはきょとんとした。
「それ、使わせてもらってもいいですか?」
「そこは相談だよ」
ブルノーにスコティケーマを返し人差し指を立て言うとエリュシオンはもう一度木を見上げているサファイアの隣に立った。
「……今日来てよかったです」
「そう?」
両手にまた小鳥を乗せてサファイアが幸せそうに微笑んだ。
「それ、一つ買ってあげるよ」
「エリュシオン様が作ったのに?」
「貢献ってものだよ」
『来てよかった』
最高の褒め言葉。
殆どの事が思い通りになる。その中で、思い通りにならない事がある。
腹立たしい。
でもそれはなんて活力を湧かせるのだろうとエリュシオンは思った。
昔、他人の考えている事を言葉にすると60%も伝わらないと聞いた事があります。それはこういう事なのだとおもいます。
60%それが本当かは分かりませんがメラビアンの法則というのがあってそれだと文字というのは7%。めっちゃ少な……
そんなこんなで今日も読んで頂きありがとうございました。