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27 氷海で唄ったオルニス 21『約束の地、ペルシカリアの花畑』

待つという事。

その場で『いいえ』と言った言葉も時間という要素が加わっていずれ『はい』に変わる事もある。

否定的だった相手も実は考えているから。それは願いと許す理由。

 まるで春まで時を飛び越えた様な錯覚。

 一面の淡い赤。


 サファイアは掴まっていた手を離して足の下の絨毯を少し歩く。


(可愛い)


 屈んでみる。

 顔を近づけて見るとそれが小さなピンクのボンボンの花である事が分かった。

 花の匂いはせず、一つではほんの小さな花が群れる事で幻想的な世界を作り出している。


 不思議な場所。


 サファイアが辺りを見渡して俯いた。


「いるなんて思わなかったからいいんだよ」


 エリュシオンが花の絨毯座り込むと花を二本手折って絡み合わせる。


「これ元々は白い花なんだけどこの時期になると色がつくんだ。僕はそれが好きでね」


 静かに言いながら手元は器用に花で何かを編んでいた。

 サファイアがエリュシオンの手元を後ろから覗いていていると映り込む淡い色が瞳の色を変え、顔にあたる風に切なさが交じる。

 エリュシオンの背中が寂しそうでサファイアは静かに見下ろしていた。


「あまり活発な遊びは出来なかったからこういう遊びばかりしてたな……」


 手元の花が編まれていくと輪になっていく。


「私もここ好きです」


「そう? そう言われると嬉しいかな」


 花を編みながら目を細めるエリュシオンは自分と話していても何処か違う所に行ってしまったように感じた。

 写し絵で見た様な子供の姿。

 この場にいないものを待ち気持ちを花に込める。

 サファイアが黙って背中を見ていると風が吹いて髪が乱れる。


 秋と葉の匂い。


 愛らしい主張のない花が風で揺れると雪虫の様に花びらが中に舞い音もなく降ってきた。


「ほら。出来たよ」


 ピンクのボンボンで出来た可愛らしい首飾り。

 それをエリュシオンがサファイアの首にかけようとすると彼女はふるふると首を振った。


 “私のものではない“


 サファイアがじっと首飾りを見ると大事そうに腕に抱えて目を閉じた。

 心がこもる温かさで自然と言葉が出てくる。

 無意識の行動。


『イリョス! 来て』


 大声ではないのにはっきり聞こえる。


「どうしたの?」


 エリュシオンが驚いてサファイアを見上げた。


 唄う技法には二種類ある。

 今サファイアがイリョスを呼んだのは『ヒスティング』と言われるもので普通に唄う『ピアシング』と違い真上に空気を振動させて声を降らせるもの。

 トラヴィティスが広範囲でトラヴギマギアを使うための技法。

 たぶんサファイアはこれがそういうものである事は知らないだろう。


(これも教えないといけないな)


 サファイアを見てエリュシオンがそう思って立ち上がると叢からアローペークスが一匹出て来てサファイアの前で座った。

 見覚えがある。イリョスだ。

 サファイアがイリョスに腕を回している姿を見て心が青く染まっていくように覚える。

 エリュシオンは後ろを向いてペルシカリアの花が風に揺れる様子を黙って見ていた。


 悲しくて羨ましい。

 それと後悔。


 そんな気持ちを気づかれまいとして風に抛つ。


「…………もう帰ろっか」


 そう言ってエリュシオンが振り返るとサファイアは元の場所にはおらず少し離れた茂みに後ろを向いた頭だけが見えていた。

 彼女を呼ぶと嬉しそうに微笑んで自分を手招きする。

 何かを見つけたらしい。


「そろそろ帰るよ?」


 セーラスはいない。

 覚えてくれている訳がない。よく考えればそれ程短期間の事でセーラスにとっては良くない事だったはずだ。

 今度遠くから見るだけでいい……

 そう納得する事にした。


 まだ、来い来いと手を振るサファイアを眺め少しだけ気持ちの整理がつく。ほんのりと笑顔を浮かべてエリュシオンは彼女の所まで歩いた。


「何してるの? もう帰……」


「…………」


(あ……)


 サファイアが見ているものが何か気づくとエリュシオンは言葉を止めた。

 イリョスがいてもう一匹。

 片目に傷痕があり毛皮が所々禿げ痩せている年老いたアローペークス。


「セーラス?」


 エリュシオンが声をかける。

 でも、その言葉には気づかず眠っている様に目を閉じたままだった。


「あはは。もうおばあちゃんだね」


 エリュシオンがセーラスの前で膝をつくとようやくセーラスが気付き顔を上げ目を開けた。

 白く曇る目には思い出だけでいいかの様に今は何も映らない。


「この子のです」


 サファイアが花の首飾りをエリュシオンに渡した。


「ありがと」


 受け取った首飾りをセーラスにかけるとエリュシオンはそのまま首に手を回していた。


「……遅くなったけど会いに来たよ」


 少し湿った風に煽られ舞い降りた葉がカラカラと乾いた音をたてて踊る。

 淡い赤色の絨毯の上で黄色い葉が渦を巻いた。


『色が』


 時が動き出す音が聞こえる。


『染まっていく』


 ぞわぞわと全身に感情が吹き上がるとサファイアは耳の後ろが痛くなった。


 セーラスの細い目が笑っている様だ。

 彼女はエリュシオンの腕から逃れると彼を見上げて一声鳴いた。


「え? なに?」


 セーラスはよたよたと歩いていくとペルシカリアの花の上に寝そべった。


「…………」


“待っていた……“


 その姿が急にぼやけて涙が流れると風が泣くなと雫を奪って行く。

 後悔が喜びへと変わる瞬間。


「女性を待たせるなんて失礼ですよ」


 サファイアがそう言ってエリュシオンの手を引っ張った。


「あはは。本当だね」


 その顔にはもう涙はなく、代わりに雲のない青空の様な晴れた笑顔になっていた。



 サファイアが野原の周りをイリョスと歩きながら何か話をしている声が聞こえる。


(来てよかった……)


 エリュシオンはもう一度そう噛み締めるとセーラスの毛皮に触れて楽しかった頃の記憶を思い出す。

 昔の様な柔らかさはなく少し硬くて撫でた手に抜けた毛が張り付く。

 陽が落ちるごとに景色を変えるペルシカリアの花畑。


 小さくて愛おしい。

 そして『思いがけない出会い』


「ごめんね。痛かったよね……」


 そう呟いて傷ついた目に触れるとエリュシオンを見上げたセーラスは優しく微笑む様に目を閉じる。


「会えてよかった……」


 永遠に続かないからこそ思うこの気持ちを今はただ共に感じながら暮れていく夕陽をエリュシオンはセーラスと眺めていた。


 陽が暮れて星が瞬き始める頃。

 サファイアが少し離れた場所で振り返ると若かれし頃のエリュシオンとセーラスが見えた様な気がした。


(よかった……)


 羨ましい。

 その二つの影を見ながらふわっと笑う。


「ねえ見てよセーラス。僕らを見て笑ってるよ」


「馬鹿にしているみたいに言わないでください」


 サファイアが駆け寄ると途中で転んだ。


「ちょっと……」


 立ち上がったエリュシオンがサファイアを助け起こして服の葉っぱを落とす。


「君は世話が焼けるなぁ」


 怒るでもなく呆れるでもない。


「帰ろっか」


「もう良いのですか?」


「うん」


 エリュシオンは晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 セーラスが鳴き声をあげる。


「うん。またね」


 お互いの道を照らすやり取りをしてエリュシオンは転移魔術を展開すると二人は星になって邸へと飛んでいった。




 元いたエリュシオンの部屋まで戻ってくるといつから待っていたのかアルフォンスが待ち構えていた。


「おかえりなさいませ」


「うん。ごめん、遅くなっちゃった」


「大丈夫ですよ。まだ食事の時間ではありません」


 晴れやかな顔をするエリュシオンを見てアルフォンスは珍しくそわそわしていた。

 話が聞きたくて仕方がない様だ。


「セーラスにあって来ました」


「ちょっと! 何で君が言っちゃうの?」


 だって……

 浸っている時間を大事にして欲しかった。

 アルフォンスが温かいお茶を淹れてくれてそれを啜ってほっこりする。


「生きていたのですね」


「うん……」


 さっきまで嬉しそうな表情をしていたエリュシオンが悲しい表情を浮かべる。

 サファイアはエリュシオンの服を引っ張り身を乗り出した。


「何で最後みたいな顔をするんですか?」


「…………」


 聞いてしまったのがいけなかったことの様に沈黙が生まれた。


「もしかして……」


「…………」


「君は本当に感受性が高いね……」


 エリュシオンがサファイアを膝に乗せる。

 セーラスの様子を見て思わなかったわけではない。

 でも本当に?


「アローペークスの寿命は十年くらいなんだよ。たぶん今年の冬は越えられないと思う」


 自分と同じ歳だったエリュシオンがセーラスと会ったのは十年ほど前の話。

 だから可能性を知って会いに行きたいと思った。


「…………嫌」


 あんなに幸せそうだったのに。

 抱えられる腕にしっかりと掴まえられサファイアは身を捩った。


「暴れないで。抗えない事だよ」


「…………」


 ふるふると首を振る。


「いや、首振られても……君だって思ってなかった訳じゃないでしょ?」


「…………」


 首を振ると涙が飛び散った。

 アルフォンスが眉を寄せて自分を見ている。

 困らせていると分かっても、サファイアは無言の抵抗を続けた。


 夕食を食べる気にはならなくて部屋に一人にしてもらうと部屋を出る。


 もっと誰もいないところへ。


 ここにはそう言う時に逃げ込む場所がある。


「サファイアさま。どちらに行かれるのですか?」


「書斎。誰もついてこないで……」


「…………」


 無言で心配そうに見ているアニスを残してサファイアは階段を上がっていく。ここに来たばかりの時に一度逃げ込んだ場所。


 何故だろう?

 いつも道に迷のにこう言う場所に向かう時には迷う事はない。

 不思議だけど、それは自分の知らない差し迫った時にだけ起きる現象のようなもの。


 この部屋の主がどう過ごしてどのような最後を遂げたのか何も知らない。家のものが好んで立ち入らないエリュシオン達の父親の書斎。

 主を亡くした暗い空間。


 サファイアは前の様に出窓で寝転んで星を眺めぽろぽろと涙を流す。


 自分は知っていた筈だ。


 エリュシオンが涙を流した意味や生きているかもしれないと分かって突然会いたいと言った理由。

 見えなくて聞こえなくて痩せ細ったセーラスの体。


『会えてよかった』の前には『最後に』という言葉が入ることを……


(……………)


 流れる涙はそのままに。

 サファイアは星空を眺めて気持ちが固まっていくのを悲しく待つことにした。




「…………」





 涙が出なくなる。

 どんなに悲しくても散々流すと不思議と止まる。


(そろそろ戻らないと……)


 サファイアは瞬きを一度してころんと寝返りをうった。


「もう気が済んだか?」


「ひゃっ!」


 驚いて声を上げる。

 頼まれたのかそれとも自分を叱りに来たのか。エミュリエールが変わらないいつもの表情でそこに立っていた。


「びっくりしました……」


「また困らせてるのかと思ったが……」


 サファイアが体を起こして頷くとエミュリエールを見上げて少しだけ笑う。


「心配していたぞ」


「エミュリエール様もアローペークスと会えなくなって寂しかったですか?」


 上に目を逸らせて顎を撫でたエミュリエールがやがてサファイアの頭に手を置いた。


「寂しくないと言うわけではないが、前からそう言うものだと教えられていたからな」


 これは昔からあったこの邸に住む人間とアローペークスの物語の一節にすぎない出来事。

 寿命と言う摂理。

 サファイアが腕を伸ばして抱っこを強請る。


「珍しいな。私はエリュシオンじゃないぞ?」


「そんな事くらい分かっていますよ。ボケてるって言われませんか?」


 エミュリエールがサファイアを抱えながら上を見上げると「そう言えば……」と呟く。


「ふふ……」


 その様子を見てサファイアは小さな笑い声をあげた。


「星が綺麗だ」


「そうですね」


 空を見上げずエミュリエールにしな垂れてサファイアは目を閉じる。

 理と言うのであれば譲ろう。

 エリュシオンが安心して想っていられるように。


「エリュシオンは優しいだろう?」


「はい。心配なくらい」


 そう言うとエミュリエールも声を上げて笑っていた。


 部屋に戻って来ると食事が運ばれエリュシオンもやって来た。

 エリュシオンがぱくぱくと食べているサファイアを見てソファにいたエミュリエールを見ると兄も肩を竦めた。


「時間が必要だっただけみたいだ」


「そう。ゆっくり食べて」


 エリュシオンも同じ様にソファに座って頬杖をつき苦笑いを浮かべる。


「明日はハーミットを朝から連れてくから」


「あぁ。聞いている。気をつけて行ってこい」


 明日は買い物をする予定になっている。

 街といっても平民がいる様な区域ではなく貴族街になるので初めて行く場所になるだろう。


「絶対逸れたりしないでよ?」


 エリュシオンを見てサファイアはコクコクと首を振った。


 一つ嬉しいことがあり一つ悲しいことがある。


 毎日はこの繰り返し。

 湯浴みをした後ベッドに入り、今日の一番嬉しかったことを思い浮かべて目を閉じる。


『よかった』


 眠る前に浮かんできた言葉にサファイアは寝返りをうって口の端をあげる。

 その瞬間、それが合図だったかの様にすとんと眠りに落ち規則的な寝息を立てる。

 それは明日に渡るための一人旅をしているかの様だった。

よく“ワールド“と言われるのですが、今回は激しかった気がします。

後、仕事も忙しかった。

分からなかったらごめんなさい。

切り株をみて「大きな帆立の貝柱みたいだね」と言った昔、分かってもらえなくて首を傾げていた記憶があります。

仕事のない朝。しあわせ

今回のBGM

ramdom -E 澤野弘之『マルモのおきて』から



今日も読んで頂きありがとうございました。

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