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16 氷海で唄ったオルニス 10

託された想いはこの先もつながる。

劣等感や落ち込みは変わる機会。

 嘘でもなく本当にお腹はぺこぺこだった。

 沈んでいた気持ちも空腹感が満たされるだけで少しだけ浮き上がる。


「君、よく食べるねぇ」


 目の前に座るエリュシオンも瞬きを沢山してカトラリーを持った手を止めたままサファイアを見ていた。

 小さな体のどこにこんな量が入るのか?

 もうパンは4個目だった。


「なかなか空腹感が無くならなくて」


「体が求めてるからね」


 恐らく一つ目の魔石を作った時点で少しパティシスだったのだろう。結界もずっと使っていた。部屋に使われていたのは魔力が多くないと干渉するのが難しい規格の高いものだ。


(よく破れたよね……)


 少し治っていたところでエミュリエールに結界を破るという暴挙を受けた時に魔力を失うとパティシスの症状が進行してしまった。


「エリュシオン様?」


「ん?」


 カトラリーの先で付け合わせのセリーノン(セロリ)を突いてくし刺した。

 パンを両手で持ったサファイアが俯いている。


「怒っていますか?」


「4個目のパンを持ちながら言われても緊張感に欠けるよね」


 エリュシオンはセリーノンを口に入れて広がる苦味を感じ渋い顔で笑った。


「エリュシオン様はいつもそうやってはぐらかします」


 サファイアの頬が持っているパンの様に膨れる。


「そんな事ないよ?」


 エリュシオンがいつもの作り笑いをした。

 サファイアはため息をつく。

 こういう表情をする時は何を言っても届かない時だ。

 サファイアは不満げに彼を見るとパンをスープに浸して口に入れた。


「…………」


 ここ最近自分は大人といる事が多い。

 ルシオもエミュリエールもエーヴリルも基本的には優しいが厳しいところは厳しい。

 でも、エリュシオンは何というか優しかったり意地悪だったり。

 信頼しているのに時々感じる不安定さに心配をしてしまう事があった。


 つい伸ばした手が掴まれる。


「サファイア様、もうおやめください」


「食べすぎだって」


 アルフォンスに5個目のパンを取ろうとして止められる。エリュシオンは既に食事を終えていた。

 食べられそうでもこれ以上は吐くかも知れないとアルフォンスは言った。確かに、お腹は窮屈な程膨れていた。


 食事の後、今日は湯浴みはせず清拭だけにする様に言われるとサファイアは侍女たちと部屋に向かった。

 その後はまた寝るだけだ。


「エリュシオン様。エミュリエール様が部屋に来るようにと言っておられました」


 呼び出されるだろうとは思っていた。

 エリュシオンは面白くなさそうな顔をして頬杖をつく。


「怒ってた?」


「心配されているのですよ」


 ため息をつくと立ち上がる。


「サファイア様にはわたくしが伝えておきます」


 安心させる様にアルフォンスは微笑んだ。


「不安にさせる様な事は言わないでね」


 アルフォンスは頭を下げると難しい表情して部屋を出て行くエリュシオンを温かく見送った。


 やだな。

 エリュシオンは突き当たりのサファイアの隣にあるエミュリエールの部屋をノックすると中に入る。

 お茶を入れたのかミロの匂いが漂っていた。


「食事は済んだのか?」


 エミュリエールの口調は穏やかだった。


「うん……あの子も沢山食べていたよ」


 別に兄弟仲は悪くない。何となく気まずいのはエミュリエールがサファイアを叱りつけて泣かせたからだ。

 エミュリエールの座っているソファの向かいに座るとエリュシオンは視線を逸らした。


「何か言いたい事はないのか?」


 エミュリエールが読んでいた本を閉じると横に置いた。


「あるのは兄上なんじゃないの?」


 不貞腐れた様にエリュシオンが言うとエミュリエールは鼻で笑った。

 余裕があるその様子が劣等感を覚える。

 自分がどんなに頑張っても7歳と言う歳の差は埋まらない。

 そして、自分がサファイアを養子にする前は兄が孤児院で何年も保護していた。自分よりも彼女の事を知っているのは当たり前の事だ。


「そんな顔をするな。お前はよくやっている」


 エミュリエールはお茶を一口含むとカップを置いた。


「…………」


 慰めにもならない言葉に口を噤んだ。


「お前のことだから、優劣を感じているんだろう?」


 自分はサファイアが籠っていて手出しできずにいた。確かにそうだった。

 目を合わせられない。自分を見られるのが嫌だった。

 エミュリエールが入れてくれたお茶に映る自分を手で塞いでエリュシオンはカップを持ったまま膝の上に置く。


「別に責めているわけじゃない」


「じゃあどうして?」


 込み上げる。

 叱ってくれた方がまだマシだ。エリュシオンはこの状況が息苦しかった。


「うちが変わっているのはサファイアも薄々感じている」


 そりゃあそうだろう。

 だから、サファイアは知ろうとしない。

 エリュシオンは手に持ったお茶には口をつけずにテーブルに置いた。

 とても飲む気にはなれなかった。


「熱を出す前の日に話そうとしたんだよ……でも凄い嫌がられて」


 エミュリエールはそれを聞きため息を吐いた。


「あのな。お前も変わった環境で育ってきている」


「何がいいたいの?!」


 口調を強くしたエリュシオンは初めてエミュリエールの顔を見て睨みつけた。


「怒るな。ちゃんと聞け」


「…………」


 役者不足と言われるのが怖かった。

 言われる言葉に拒絶する様にエリュシオンはまた視線を落とした。


「お前はまずサファイアを可愛がれるかどうかからだったんだ」


 エミュリエールは手を組むとそう言い出した。


「可愛がってるよ!」


「聞けと言っているだろう」


 エミュリエールは鼻で笑ってもう一度お茶を一口飲んだ。

 ルシオもそうだった。

 まるで相手にされない子供の様で不愉快だ。

 エリュシオンは苛立ちを見せつける様に指で膝を叩き始めた。


「お前はちゃんと可愛がる事ができている。安心したよ。そしたら今度はその次だろう?」


 叩いていた指を止める。何を言われているかが分からなくてエリュシオンは首を傾げた。


「次って?」


「サファイアは確かに少し生い立ちが変わっているし置かれている立場も特殊だ。だがな」


 エミュリエールはサファイアと大聖堂で過ごしていた短い期間を思い出して眉を下げて悲しそうに笑った。


「やっぱり普通の子供なんだ……」


 その表情を見てエリュシオンは悔しく思った。

 サファイアを叱った意味。

 優しくするだけが教育ではない。そう思っていたのにうまく立ち回れなかった自分。


「私は今も前も同じようにそう思っている。今回はサファイアが気に入らないと思う事をお前は言ってしまったのかもしれないが、何日も部屋に閉じこもって出てこないのは普通の子供としてどうだ?」


「…………」


 会話の要点が見えて問題だったところが露わになる。

 機嫌をとることでも優しくする事でもない。

 時には嫌われる事も覚悟をして叱る事も必要だろう。


 “躾“と言うものだ。


「因みに。これは私の願い見たいなものなんだ」


「願い?」


 エリュシオンが不思議そうに尋ねた。


「サファイアが討伐に連れて行かれた時、アシェル殿下に言われた事だ」


『こいつはお前が思っているよりずっと人と話すことが好きだし、唄うのも好きだぞ?』


 それはエリュシオンが指示した訳ではない言葉だ。


「アシェルはよく見えているからね」


 エミュリエールが入れてもらったお茶を手に取る。

 中に映るのは笑っている自分だった。


「私はサファイアを隠す事に一生懸命だった。でもそれが彼女を危険に晒す事になった」


 サファイアが誘拐された事件はもう一年が経とうとしている。

 兄も兄なりに折り合いをつけて自分達へサファイアを託したのだとエリュシオンは改めて思った。


 事件の場はタラッサ。

 今度はそこへ『カリスティオクリュシュタ』に参加する為に行く。


「うちの名前を使って隠れなくてもいい所へ連れて行ってやれ」


「うん……手伝ってくれる?」


 エリュシオンが手に持っていたお茶に口をつけると、もう冷めてしまっているのに喉が熱くなる。


「珍しいな」


 エミュリエールが目を丸くして動きを止めた後、嬉しそうに笑った。


「もうっ。みんなそんな顔するんだから」


「ははは」


「僕だって兄上達を敬う気持ちくらいあるよ」


 エリュシオンが口を尖らせわざとらしく不貞腐れる素振りをする。

 ここ最近で兄と呼ぶ年上の存在は有り難いと思うようになった。


「それにはエーヴリルは含まれるのか?」


「当たり前だよ」


「怒りそうだな」


 二人は笑い合うと姿勢を崩して力を抜いた。


「イースデイル卿の所に滞在するのか?」


「うん。その予定。そろそろ返事来ると思う」


「思い出すな」


 サファイアが水涸れで運んだのはイースデイルの邸だった。彼はサファイアをとても興味深そうに見ていた。

 その時のお礼も兼ねてサファイアを紹介する予定だ。


「連れまわされないように気をつけるといい」


「そんな人だっけ?」


「知らないが」


 お茶を啜っていたエリュシオンが吹き出した。


「あはは。兄上、それは酷い」


「随分と好奇心がありそうだったからな」


「あー……同感。気をつけるよ」


 お茶を全部飲むとエリュシオンはカップを置いて立ち上がった。


「ありがとね」


 穏やかに笑う姿が自分を見ているようでエミュリエールも同じように笑っていた。

 エリュシオンが扉を開けて止まった。


「あ……」


「どうした?」


 指をさした方を見ると心細そうに部屋の前で待つサファイアがいた。


「待っているように言われなかった?」


「……言われました」


 サファイアは手をもじもじさせると俯いた。

 エリュシオンがため息を吐くとサファイアを抱っこする。あまり時間は経ってないのか温かくて胸を撫で下ろした。


「…………」


 サファイアが強張った表情でエミュリエールを見ていた。


「サファイア。兄上は叱ったけど怒ってはいないよ」


 不思議そうにサファイアは首を傾げる。


「そうだな。叱ったが怒ってはいない」


 眉を寄せて考えあぐねるような表情をしているサファイアの頭をエミュリエールが撫でるといつもの優しい顔をしていた。


「……そうですか」


 そう言ったサファイアの表情はまだ理解が出来ていないようだった。


 エリュシオンは部屋まで帰ってくるとサファイアをベッドに寝かす。


「僕はこれからお風呂に行ってくるから。次出てきたら部屋に戻ってもらうからね」


 コクコクと頷いたサファイアを見て湯浴みに行くと行った時と同じ体制のままで彼女は待っていた。

 一度アルフォンスが来たのかいつもの香木が焚いてある。


「君も本当に頑固だね。寝てればよかったのに」


 布団に入って寝そべって頭を支える。


「……怒られてしまいましたか?」


「そうだね」


「…………」


 額にこつっと手を乗せてエリュシオンが笑う。

 安定している。

 食事の時と違うエリュシオンの様子にサファイアは表情を和らげた。


「甘やかしてるって言われたかな」


 サファイアは少し嬉しそうだった。


「厳しくして欲しいの?」


「そうではないのですけど」


 ふるふると首を振る。


「けど?」


「いけない事は叱って欲しいです。他の人は少し嫌なのです」


 エリュシオンはサファイアの目を塞いだ。


「お二人は似ていますね」


「そう? 僕は兄上みたいに優しくないよ」


 扉を開けたエリュシオンの姿が一瞬エミュリエールに見えた。


「エミュリエール様の方が厳しいです」


「それが大人と言うものだよ」


「エリュシオン様も大人ではないですか……」


 エリュシオンは塞いだ手を退かすと天井を見上げた。


「んー……僕はまだお兄さんてとこかな」


 隣を見るとサファイアがさっきのような難しい顔をしていた。


「あはは。ほら、寝よ」


 エリュシオンは掛布を持ち上げると目をつぶる。「おやすみなさい」と声がしてすぐ寝息が聞こえてきた。

 相変わらず寝付きがいい。


「おやすみ」


 エリュシオンももう一度目を閉じると今度は本当に眠っていた。



 翌日。


「今日も一緒に寝るのか?」


 三人で夕食を摂った後、サファイアがエリュシオンについてくのを見てエミュリエールが声をかけた。


(部屋で寝るように言うべきなのかな)


 昨日、躾がと言われたばかりだ。


「サファイアはもう元気なんだろう? 別に眠れると言うなら構わないが」


 エリュシオンが自分の部屋で寝るように言おうとするとエミュリエールが少し気味悪く笑ってそう言った。

 構わない。

 少し引っかかりつつもそれならいいかとベッドに入ったその夜中、エミュリエールの言った言葉がよく分かった。


 腕が飛んできて、足で蹴られる。

 驚いてエリュシオンは目を覚ました。


「寝相悪すぎるでしょ……」


 とても寝られたものじゃない。

 エリュシオンは隣の部屋に行くとベッドに潜ったが慣れないベッドで寝不足だったのは言うまでもない。

誤字報告ありがとうございます。


投稿しないと言ったのですが、書き上がったので……

兄弟喧嘩はありませんでした。

エミュリエールから見ればエリュシオンてまだ子供。喧嘩の相手にはならなそうです。

そして、ルシオから見れば、エミュリエール、エーヴリル、アレクシスは若造だと思うのでしょう。


次の話を書くのに少し時間がかかりそう。

出来上がったら更新します。


今日も読んで頂きありがとうございました。

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