15 氷海で唄ったオルニス 9『小さな体に刻まれる刻印』
季節を感じて物語を描く。
せっかくの世界、焦る必要はない。
ゆっくりと。熟成。
夕方になって帰ってきたエミュリエールはアルフォンスの表情を見てため息を吐いた。
「二人ともいるのか?」
「はい。仲良く眠ってらっしゃいます」
「…………」
去年エリュシオンがサファイアをバウスフィールドの養子にすると言った時、自分は快く思っていなかった。
自分のものなのに。
完全に邸に入るまではその気持ちが全くなくなったわけではない。
だが、努力して共にする時間を作りサファイアとの関係を短期間で築いたエリュシオンにエミュリエールは感心した。
悪戯好きで頭の良い弟の根は優しい。
それでなければ自分は出家なんて出来もしなかっただろう。
「仲が良いのはいいんだがな」
「すみません。わたくしが言うべきでした」
アルフォンスの言った言葉にエミュリエールは鼻で笑った。
「エリュシオンは弟だ。私が適任だろう?」
外套を外してアルフォンスに渡すと応接間に向かう事にした。
「すぐ食べられますか?」
「そうだな。すまない」
ここ最近三人で食事をしていない。
サファイアが風邪をひいていたということもあったが彼女が部屋で籠城していたのもある。
「お気になさらないでください」
うちは昔からあまり使用人が多い方ではない。別々に食事をするという事は二度手間になるという事だ。
食事をする応接間は本館の二階にあり各自の部屋は二階の渡り廊下から奥にある別館になる。
食事をした後、部屋に行こうとして渡り廊下を歩いているとキュイキュイと声が聞こえてエミュリエールは立ち止まった。
「また放っておかれてるのか?」
柱から出てきて欄干に乗ったニュクスが訴えるようにエミュリエールを見て鳴き声を上げた。
ため息を吐いてニュクスに手を出すと飛び乗って肩に乗った。
「魔石はやれないが連れてってやろう」
5の月に入り直接外に面する渡り廊下は少し寒さを感じるようになった。この時期は空気が澄み星がよく見える。はっきりと浮かぶ半月が暗闇にあるものを発く。
そんな心境だった。
さらさらとした少し冷たいニュクスの頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
エミュリエールは渡り廊下を歩いて別館に入ると三階に上がった。
廊下に出るとエリュシオンの部屋から出てきたアルフォンスにで交わす。
「エミュリエール様。湯浴みはいかが致しますか?」
「いつもの時間でいい。それより起きたのか?」
アルフォンスは水差しとグラスを乗せたトレーを手に乗せていた。
「はい。今し方。これから食事をお出しするところです」
「世話をかけるな」
「滅相もございません。サファイア様は魔力を随分消費されたのかまだぼんやりされていて」
魔力を消費した?
朝の様子では多少減っている様子はあった。あんな結界を何日も敷いていれば当たり前だ。
「今度は何をしたんだ?」
「…………」
アルフォンスは言いにくそうに視線をずらすとトレーを持ち直した。
「魔石をお作りになったそうです……」
「…………馬鹿なのか?」
エミュリエールは頭が痛むかのように額を摩った。
朝、サファイアから数日前に作ったという魔石を届けて欲しいと受け取った。それと同じものを作るにはあまりにも日が空いていない。
下手すれば水涸れにもなっていただろう。それくらい分かっているはずだ。
「…………」
エミュリエールの言ったことに答えられずアルフォンスは無言を返した。
「エリュシオンに後で部屋に来るよう伝言を頼む。入浴は遅くなるかもしれない」
「畏まりました。あ、エミュリエール様」
自分の部屋に行こうとしたエミュリエールの背中を追いかけて来たアルフォンスは「少しお待ちください」と言うとサファイアの部屋に入りすぐに出てきた。
「おっと」
ニュクスがアルフォンスの腕に飛びつく。
「いつもこんな事をしているのか?」
手に持っていたサファイアの魔石を奪って床でごりごりと音を立てて食べているニュクスを見てエミュリエールは言った。
「いいえ。殆どご自身であげていますよ。ただ最近は色々あったので」
自分があげられなくなる事態を考えて蓄えがあるのは知らなかった。
(一応考えてはいるのか)
ニュクスは魔石を食べ終わると満足したのかまた何処かに行ってしまった。
「ふむ」
口に手を当てる。
飼い主が与えられないと分かってか。
「気を遣っているのか」
「そのようです」
「頭がいいな」
エミュリエールは扉を押して中に入ると、部屋を明るくしてソファに座る。読みかけで置いてあった本を開くとエリュシオンが来るのを待ち読み始めた。
すぐ近くにいるものがもぞもぞと動く。
少し暑い。そして暗い。
目を開けたエリュシオンはもぞもぞ動いているのは目の前で眠っているサファイアだと気づいた。
「サファイア?」
暑い。
サファイアが籠っていた間、寒くて部屋の温度設定をだいぶ上げたような気がする。
声をかけても返事はなく眠ったままずっと落ち着きなく動いている。
(どうしたんだろう?)
部屋は暗く足元から月明かりが差し込む。
昼食を摂ってからずいぶん寝てしまったようだ。
体も温かくなっておりあまり心配する様な事ではなさそうだと黙って見ていると、サファイアは下着の上に来ていた洋服を脱いで放り投げた。
「…………」
人って寝たままこんなことするの?
目の前で起こったことに唖然としたエリュシオンは服を脱ぎ捨ててようやく落ち着いたサファイアを見て声を殺して笑うと柔らかい髪を弄ぶように触った。
ん……
服を脱いだ……?
ある事に気づいて飛び起きたエリュシオンはサファイアを起こそうとして伸ばした手を止めた。
上下に分かれる下着姿。掛布を取られサファイアは横を向いて丸くなる。
エリュシオンは目を逸らそうとしたが少し見える刻印に釘付けになった。
(三つあるって言ってた……)
契約魔術によって刻まれるもの。
あるとは聞いていたが実際に見た事はなかった。
下着の腰のあたりから少し覗いているのは自分がつけた自分と同じもの。
自分とは違って左側にあった。
(もう少しだけ)
今でなくてはもう見る事は出来ない。
少し緊張しながら下着を捲った。差し込む月明かりが罪悪感を募らせる。
白くて小さな腰に四つの禁句を示した蜘蛛の巣の様な刻印。三つの中で一番大きくて危険なものに見える。
「…………」
彼女の体に対してあまりに大きい刻印にエリュシオンはため息も出なかった。
一番小さな刻印は臍側にあり見たことのない不思議な形。
星? 花?
サファイアの魔法陣に使われているものと似ている。明らかに異国のもの。
「…………」
何をしているんだろう?
下着を直して小さな体を見て目を細めた。
自分を含めたこの刻印をつけた人物は何を考えていたのか。
ころんと寝返りをうった拍子にサファイアが目を開けて何度か瞬きをした。見ていられなくなったエリュシオンは掛布を彼女にかけると微笑んだ。
ごめん。と言いそうになる。
「泣いているのですか?」
そう静かに言って小さな手がエリュシオンの頬に触れた。
温かくて、柔らかい。
自分を見上げる彼女の瞳には月の光が反射して乳白色をしていた。
「そんなことないよ」
エリュシオンは小さな手を握り甲に頬を擦り寄せ笑顔を作る。
サファイアを見下ろして、月明かりが差し込むベッドが悪いことをしているようで落ち着かなくなるとエリュシオンは床に放り投げた服を拾って彼女に押し付けた。
「僕もさすがに下着姿だと困るよ……」
温度の設定を下げて灯りをつける。
「え?!」
サファイアは掛布の中に潜るともう一度顔を出した。
「すみません、暑くて?」
目を逸らし少し顔を紅くしてサファイアはもう一度潜ると掛布の中でもぞもぞしていた。
その様子が猫みたいだとエリュシオンが腕を組んで見ているとサファイアは服を着てベッドから出てきた。
少しふらつく。
慌てて体を支えたエリュシオンが軽く頭を小突いた。
「ちょっと。危ないじゃん」
「でも私、トイレに行きたくて」
小突かれた頭を押さえてサファイアが上目遣いでエリュシオンを見た。
「…………」
エリュシオンは何かを言いたそうな表情でアルフォンスを呼ぶとエナを連れてきた。
エナはサファイアをトイレに連れて行く様に言われると両手を前で揃えて畏まる。
「サファイア様、お手をお借りします」
なんだか知らない人みたい。
サファイアが不思議そうにエナを見ると部屋を出たところで彼女が小さく吹き出した。
「びっくりしたわ」
「私もそう思った……」
エナに体を支えられながらトイレまで歩く。
真っ直ぐ歩いているつもりなのに体が傾くのがおかしい。安定させるためにサファイアは一度止まって息をついた。
「大丈夫?」
「ふふっ」
体が言う事を聞かない。おかしくて笑いが溢れた。
「あははっ」
エナが何度も瞬きをして怪訝そうにサファイアの顔を覗き込んだ。
トイレに入るとエナは手を前で組んで勢いよく息を吐いた。
「安心した」
「安心した?」
トイレから壁を伝って出てきたサファイアがエナを見て首を傾げる。
「だって、もしかしたら本当に女神様なのかと思ったんだもの」
「何言ってるの?」
具合も悪くなるし、甘えたりもする。トイレだって行くのだとエナは安心したらしい。
一体自分のことをどう思っていたのか?
「そんな訳ないでしょう……」
口を尖らせたサファイアを見てエナが暖かな笑顔を見せた。
前と変わらないその顔にサファイアは安心した。
「でも、男性にトイレなんて言ってはいけないわね。エリュシオン様が困った顔をしていらしたわ……」
エナはため息を吐いて手を前に出すとサファイアの手を取りまた部屋まで支える。
「エリュシオン様は父親よ? それにトイレは恥ずかしいものではないでしょう?」
立ち止まってエナを見上げると彼女は困った様笑っていた。
「そういう訳にはいかないのよ? だってあなたはもう貴族でイシュタルの使いなんだから」
その言葉がどの言葉よりも突き刺さる。
「…………」
エナの方がずっと貴族というものをよく理解しているように感じて言葉が出なかった。
自分よりもずいぶん背が高くなったエナが上の方で笑い声を零す。
優しく握ってくれる手は「大丈夫」と言ってくれていた。
部屋に戻ってくるとエナはサファイアを椅子に座らせてからお辞儀をして部屋を出て行った。
「気持ち悪い?」
暗い表情をしたサファイアはふるふると首を振るとへらっと作り笑いをする。その様子を見た二人が顔を見合わしていた。
「お腹は空いているんです」
前に魔力を消耗した時にとてつもなく空腹感を感じた。あの時と同じ。でもペルカにいた時の空腹感もあまり変わらない。
サファイアは笑いを作ったまま膝に置いた指先をぼんやりと眺めていた。
「今、用意して参りますね」
彼は本当によく気がきく。
気づかないふりをしてアルフォンスはにこっと笑うと水差しを持って部屋を出て行った。
誤字報告頂きました。
ありがとうございます。
兄弟喧嘩あるのかな?
明日は更新お休みです。
今日も読んで頂きありがとうございました。