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4 フィノスポロスピティ 3

ハロウィン企画 三話目

健全な文章は健全な体から

 大聖堂の家事全般をしているルアンナに声をかけて三階の部屋まで行くとエアロンが部屋にあるピアノの鍵盤蓋を開けた。


「ジェディディア。フィノスポロのテロスティの曲を弾いてくれ」


「………知ってる訳なかろう」


 ジェディディアは一度もフィノスポロスピティには行ったことがない。

 知らないのも無理はない。

 エアロンは息を吐くと椅子に座った。


「今、覚えろ」


「私は音楽は好きだか無駄な事はあまり好きではない」


 腕を組みジェディディアはエアロンをじっと見下ろす。


「お前にも知らない曲があるんだな」


 エアロンは馬鹿にしたように笑った。


「…………」


「こっちにも大っぴらにできない事情がある。弾かないなら帰れ」


 もともとエアロンはあまり優しい事は言わないが、ジェディディアに対してはあたりが強いように感じた。


「お前が弾くのを聴きたい」


「なら覚えろよ」


「…………」


 仕方なさそうにジェディディアが溜め息をついた。


「分かった……」


(何なの? この有能男子)


 ハーミットが目をぱちくりして口を開けていた。

 エアロンが凄い指捌きで二曲を弾いてジェディディアに聴かせると、その後ジェディディアが同じように弾き始める。


「ん、こここれで良いのか? 気持ち悪いな」


「それでいいはずだ」


 何が気持ち悪いのか何がいいのか分からないが準備は出来たらしい。


「なんだお前たち踊りの練習か?」


「そうだよ! 勝手に来たんだから知らないよっ」


 聞いてなかったなんて言わせないと言ったハーミットにジェディディアが黙り「知らないぞ……」とポツッと言った。

 何の事か?

 分からなかったハーミットもこの後直ぐに思い知らされる事になった。



 エアロンのダンス指導が始まり三日目。

 相変わらず男四人は大聖堂でダンスのために集まっていた。


「遅い! 姿勢が汚い!!」


 メルヴィル家は見栄えや世間体をとても気にしていた一族だ。その中で生活していたエアロンはそれはそれは厳しく育てられたらしい。

 鬼がいた。


「だから知らないと言ったんだ」


「鬼……」


 バシッと鞭が飛んできた。


「うわぁ!! 何すんだよ!」


「何か言ったか?」


 鞭を構えて鬼の形相で優雅に立ちエアロンが獲物を捕らえるかのように鋭く見る。


「何でもないです……」


 大体何処から持って来たのか良い音を鳴らして鞭を振るっている。


「違う!! さっきと同じ所だ! 何度も言わないと分からないのか!」


 怖い……

 さすがにレイモンドに悪い事をしてしまったとハーミットは思ってしまった。


「お前何度同じ事を言わせるんだ! ハーミットちょっとこっち来い」


「うぉっ!」


 鞭が飛んできて腕に巻きつくと引っ張られてエアロンの相手にさせられる。


「いいか? こうだと言っているだろ」


「なるほど。相手がいた方がやりやすいな」


「ちょっと俺踊れないんだって!」


 時間は既に2の刻半を過ぎていた。

 何かを忘れている?

 それはエアロンの豹変ぶりとダンスの相手をさせられて頭からすっかり抜けてしまっていた。




(全く……)


 ジュディが大聖堂までハーミットを迎えにきた。

 2の刻にサファイアに顔を出す事になっていたのに今日は時間になってもハーミットが来なかった。

 先日の事もある。

 ジュディだけではサファイアと話をするのに少し不安だった。


(何してるのかしら?)


 大聖堂に着くと、エリュシオンの兄であるエミュリエールに挨拶をしに行った。


「あぁ、ハーミットか。ルアンナが三階の部屋を借りると言われたからそこで何かしている」


 エミュリエールはついてくるでもなく執務室で書物をつづけていた。一人で見て来ても良いと解釈すると退室して言われた場所に向かう。

 北棟階段を昇り三階。


(なに?)


 確かに気配はするのに物音が一切しなかった。ノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。

 少しだけ扉を開けるとピアノの音と共に鞭を叩きつける音が漏れた。それに悲鳴。


「…………」


 何が起こっているのか緊張しながらジュディは思い切って扉を開け放った。そこで見たものに驚きその後に怒りが込み上げた。


「ハーミット!!」


「うわぁ! ごめんなさい!」



 驚いて尻餅をついたハーミットを含めた躍り狂う四人の男……


「来ないからと見に来てみれば踊り狂って!」


「ちょっと言い方! 躍り狂ってないよ!」


 特にエアロンは長い鞭を持ち異様だった。彼は眉を上げるとくるくると鞭を丸めピアノの上に置いた。


「…………」


 彼の事は嫌いだ。性格が悪いのに手合わせで勝てた事がない。それに、サファイアへ行った仕打ちが許せなかった。

 死罪ではヌルいとされ平民落ちしたのにこんなところで脳脳と過ごしている。


「死に損ない」


「…………ご挨拶だな」


 エアロンを睨み付けると彼はジュディを見下してせせら笑った。


「!!」


「ちょっと二人とも止めて! エアロンも挑発しないでよ」


 ハーミットがジュディにこうなっている経緯を説明するとレイモンドが教えに来るのは問題がないと言った。


「そいつ覚えるのに後二十日は必要だと思うぞ」


「「二十日?!」」


 普通の人でもそこまで遅くはない。でもレイモンドは毎日寝ると覚えた事を忘れてしまうので時間がかかるだろうとエアロンは言う。


「そんなにかかったらサファイア様が覚える時間がなくなっちゃう」


「そこはあまり問題ではないわ」


 ジュディが言うには、サファイアは大体一度見れば振り付けを覚えられるらしい。


「え? うそ」


「貴方は引き継ぎでサファイア様がダンスの練習をなさっているのを見た事がないでしょう?」


 あぁ、確かに。

 それでも彼が振りを覚えるのを待つのは無謀な気がしてきた。ハーミットは手を口に当ててじっとレイモンドを見る。

 というかさ。


「ジュディがエアロンから教えて貰えばよくない?」


「「…………」」


「あ……」


 さっき不仲さを見せられたばかりだ。馬鹿だなとハーミットは爪を齧り始めた。


「別に俺は誰に教えるでも構わないがそちらが嫌だと言わんばかりだしな」


「…………」


 確かに不仲をと言うよりはジュディが一方的に敵視している様に見え、エアロンはあまり相手にならないという表情をしている。


「エアロン! 挑発しないで」


 お願い。その先輩機嫌悪くなると怖いから……

 どうするかそれはひとまず保留としてハーミットは衣装の準備にとりかかった。



 真っ黒いドレスに飾りは血のような紅。

 髪を黒く染めるのはありなのだろうか?


(取り敢えず描くだけ書いて後で直そ)


「瞳は紅く……と」


 我ながらとてもよい出来だ。

 ハーミットは自分の描いた絵を掲げてにんまりと笑った。


「ほぉ。中々趣味よく出来上がったな」


 いつの間にか後ろにいたエアロンが絵を覗き込んでいた。


「もうっ、勝手に見ないで!」


 ハーミットがエアロンを振り返ると隠すように絵をくるくると長く丸めた。


「そりゃ掲げてりゃ嫌でも目に入るだろ?」


 既に後ろを向いて何かを始めているエアロンはそれほど興味はなさそうだった。


「ねえ、髪を黒くするのはアリ?」


「ない事は無いが、あまり良いことじゃないと言われてたな……まぁ実際黒くしていたやつもいる」


 確か厳しい家だったとジェディディアが言っていた。それを聞いてからエアロンの一言が感慨深いものに感じた。


「あぁ、エリュシオン様も確か黒くしてたな」


「えぇ?!」


 エリュシオンは自分たちよりも年下なので修学院を卒業する最後のフィノスポロスピティに初めて来た事を覚えているらしい。


「俺が言うのもあれだが。髪は黒く瞳は金色で綺麗だった」


「マジで……」


 それなら黒髪は問題なさそうだ。

 後はこれをエリュシオンに見せて一応許可を貰う事になっている。


「ダンスの方はどうするんだ?」


 結局ジュディからは可も不可も返事が来ていなかった。

 そろそろ行く時間だと思い、ハーミットは立ち上がった。


「今日聞いてみるね」


 一回見てもらうだけなら何もジュディにだって教える必要もない。姿形を変えてエアロンが踊っているのを見せれば手っ取り早いのに。

 非効率だと思いながら各自が譲れないものがある。ハーミットは歩きながらため息をついた。


 2の刻にバウスフィールドの邸についてエリュシオンが帰って来ているかを執事に聞いた。どうやらサファイアと食堂でお茶をしているらしい。

 少し前は二人が一緒にいる事に違和感があったが最近はサファイアの手を引くエリュシオンが普通だと感じるようになった。

 サファイアはよくエリュシオンが意地悪だと言っていたが二人は仲が良さそうに見える。その事が邸で働く使用人達には嬉しい事だとハーミットには見えた。

 この時間帯、夕陽がよく差し込む大きな窓のある食堂で二人はお茶をしている。報告とこれからの予定の確認などをしているらしい。

 食堂に近づくとよく耳に馴染む声が聞こえる。


「一つはジュディに教えてもらったのですが……」


「うーん。さすがにもうそろそろ時間が無いね」


 内容からしてダンスの事だろうとハーミットは思った。


「教えてもらう人が見つかれば覚えるのはそんなにかかりませんよ?」


「そんな訳ないでしょ?」


 サファイアは黙って首を傾げておりエリュシオンが呆れて息を吐いた。


「じゃあそれは置いといて。衣装は?」


「ハーミットがもうすぐ図案が出来ると言っていました。まだ見てはいません」


 ちょうど話が出たところでハーミットは開けてある扉を叩いた。

 足を組んで肘掛に頬杖をついたエリュシオンが冷たくハーミットを一瞥する。


(うわ……)


 少し機嫌が悪そうだった。


「衣装の図案を確認していただきたくて……」


「アルフォンス。サファイアを部屋まで連れて行ってくれる?」


「畏まりました」


 部屋からサファイアが出たのを確認するとエリュシオンは身を起こしてハーミットに手を出した。


「見せて」


 恐る恐る図案を渡したハーミットは緊張で冷や汗が出る。


「悪くないよ。とても似合うと思う」


 その言葉を聞きハーミットは胸を撫で下ろした。

 エリュシオンはテーブルに肘をつけると夕陽でさらに紅くなったお茶を眺め、口許に笑みを浮かべていた。


「あのさ、遅いよ?」


「すみません……」


「まぁ、君たち達は護衛だからあまり言わないでおこうとは思ったけどさ」


 ふうっと息を吐いたエリュシオンは図案を受け取ると後はこっちで作らせると言った。あまりに日が迫っていて少し強引に依頼しないといけなくなったからだ。


「ダンスの方は別にいいけど、出来れば覚えて行かせてあげたいだけ」


「あのぉ、エリュシオン様は……」


「僕があれを踊れる訳ないじゃない」


 エリュシオンはカラカラと笑っていた。


「ですよね……」


「君達もそれぞれ着るものだって準備しないといけないだろうし」


 気づけはフィノスポロスピティまで14日を切っていた。

 エアロン自体を邸に呼び教えて貰えば早いだろう。だが、前にサファイアがエアロンに手紙を出した時に彼が邸を出入りする事を使用人達にも猛反対されている。


「仕方ないなぁ」


 エリュシオンはハーミットについて来いと言うと自分の部屋まで来た。隣の部屋に行きごそごそ何かを探している音がする。


「あったあった」


 エリュシオンが手に持っているのは映像を記録するための魔導具。それをハーミットに手渡すと「内緒だよ」と口の前で指を立てて目配せした。


 サファイアの部屋まで行ったハーミットは手に持つ玉子型の魔導具を見下ろした。

 これはそう言う事だろうと。


「ハーミット? それは何ですか?」


 玉子型の魔導具は可愛らしく見えたのかサファイアの興味を引いたようだ。


「借り物です」


 サファイアは首を傾げてしばらくすると「そうですか」と言った。


「ところで衣装はどうしたの?」


「エリュシオン様から許可をもらったけど日がないからこっちで急いで作らせるって」


「あの。ダンスはもういいですから……あなた方も準備があるでしょう?」


「…………」


 別に自分達は侍女でも執事でもなく護衛。でも主にもういいと言わせてしまった事にジュディは俯いた。


「二日ください」


「でも……」


 心配そうにサファイアがジュディを見上げていた。

 こんな表情をさせてしまった自分に怒りがこみ上げる。ジュディはパチンと両手で自分の頬を叩いた。

 サファイアは驚いてぱちぱちと瞬きをする。


「お願いします。二日だけ待っててください」


「……はい。でも、無理はやめてくださいね」


 まん丸に開けていた目を細めて優しく微笑んだサファイアの声は本当に心に滲みる。

 偽りがない安心がある。

 少しだけ口許に笑みを浮かべるとジュディは「任せてください」と背筋を伸ばした。



 バウスフィールド邸から帰るときグリフォンに飛び乗ろうとしたハーミットを呼び止めた。


「私は明日大聖堂で振りを覚える」


「うん。これ、エリュシオン様が使えって」


 手に持っていた玉子型の魔導具を眺めてハーミットははにかんでいた。



 翌日には戦闘のような二人のダンスが繰り広げられたが無事にジュディも振りを覚える事に成功した。

 さすがにエアロンは鞭を使う事はなかったがそれでも2、3皮肉を言われたジュディは悔しそうな表情を浮かべて踊りを覚えていた。


「どうする? 一応映像記録する?」


「魂が抜けるから嫌だ」


「………ペディちゃん」


 ここぞとばかりにジュディが半目でガキ呼ばわりするとエアロンが不満そうな表情を浮かべる。


「映像なんか記録したらバレるだろ」


「でも、二人で踊っているのを見る方が絶対覚えやすいよね」


「まぁ……」


 既にダンスを覚える事から解放されたレイモンドはソファに座り暇そうに菓子を摘んでいる。


「仮装すればいいんじゃないか?」


 硬めに焼いてある菓子をぱりぱりと音をさせると適当そうに彼は言った。


「レイモンドが頭のいいこと言った……」


「馬鹿なこと言ってないで撮るなら早くやるわよ」


 ジュディが前向きな事を言うと周りの男共が苦笑いを浮かべていた。

 結局、エアロンはレイモンドの服を着て彼と同じ琥珀の髪にするとそこに仮面をつけた。


 渡された魔導具を起動させてサファイアが映像を見ていた。


「レイモンドは上手なのですね」


 レイモンド?

 サファイアは首を傾げた。

 不思議だと思ったがそれ以上は何も聞かない事にした。

 二人が帰り部屋に一人になってからジュディに言われた事を思い出してサファイアは床にシーツを敷く。

 帰ってきたエリュシオンがサファイアの様子を見て動きを止めた。


「あ、おかえりなさい」


「えーと。なに……してるのかな?」


 サファイアは床に敷いたシーツの上で腹這いになっていた。

 にっこりと表情を作ったエリュシオンがとても怖い。


「踊るのに背中の筋肉を鍛えるように言われて」


「……驚くから、ね」


 深くため息を吐くとエリュシオンはソファに座った。


「すみません……」


 しょんぼりと立ち上がったサファイアはエリュシオンの向かいに腰掛けた。


「それでダンスはどうなの?」


 多分今日あたり映像が届けられているはずである。本当にすぐに覚えられるのか興味があった。


「あんなに動き回る物だとは思ってませんでした」


「だよね」


 あんなの踊った日には次の日熱を出してしまいそうだ。

 簡単に覚えられないでしょ?

 エリュシオンは悪戯に笑った。


「振り付けは覚えたので明日服とか靴とか……」


 え……


「今なんて言ったの?」


「服とか靴とか」


「その前だよ」


「覚えたので?」


「覚えたの?」


 サファイアは不思議そうな表情を浮かべると首を傾げ「はい」と言った。


(嘘でしょ……)


 いつもぼんやりとしている姿。

 元々備わっている能力。


「…………」


 何かいけない事言ってしまったかのように不安そうな表情をしたサファイアは黙っていた。


「……取り敢えず、行こうか。食事」


 コクッと頷くとサファイアも立ち上がった。

 今日はもうサファイアのダンスや勉強を教えている者達は帰宅している。

 明日確認する必要があるな。

 食事を終えた後アルフォンスに家庭教師達を集めるように言付けると夕飯後の魔術の勉強をしに部屋へ向かった。


「君は詠唱のある魔術って使わないよね」


「詠唱のある魔術はトラヴギマギアではないんですか?」


 なるほど。

 そう言う理解ね。

 確かに殆ど十節以内で収まる詠唱魔術を使うのであれば何十節もあるトラヴギマギアを使う方が強力で効率もいい。

 サファイアには覚えている魔術に偏りがあり光と闇が特に強くて雷は全くと言っていいほど使えず後は満遍なく使う事ができた。

 恐らく近い未来に討伐に連れて行かれる事を予測してもう暴走が起きる事態にならない為にサファイアの事を研究して魔力を上手く制御出来る様にする目的もこの勉強には含まれている。

 あれが原因か……

 あの時は雷が鳴り響いていた。

 しかし、知れば知るほどサファイアは不思議だ。

 箱を開けてもまたその中に箱が入っている。そんな感覚だった。


「フィノスポロ寒いから、風邪ひかないでよ?」


「……善処します」


 あの日泣かせてしまってからもサファイアはいつものように穏やかに過ごしている。


「エリュシオン様?」


「ん?」


「今日、アローペークスが初めて触らせてくれたのです」


 自分の小さな両手を見てサファイアはほっこりと微笑み幸せそうだった。


「へぇ」


 サファイアは雨の降らない日は森に足げに通っているらしい。

 昔の事すぎて手触りは覚えていない。


「どんな感触だったの?」


「見た目通り触るとこう柔らかい毛に指が埋もれて」


 目を輝かせて話す彼女を見てエリュシオンは自分でも不思議な程優しい表情をするとサファイアの髪に指を埋もらせて「よかったね」と言った。




 翌日はエリュシオンが家庭教師達を集めて報告を聞く事にしたらしくサファイアは肩にニュクスを乗せ午前中から森に出て歩き回っていた。

 森は静かでいい。

 きらきらと風で舞い降りる黄色の葉が降り注ぐとサファイアはくるっと回った。

 視線の先に人が見える。

 よく見ると三角巾を被り邸で見かける人物だ。何かを探しているようにきょろきょろとした後自分と目が合った。


「サファイア様?!」


 年配の彼女がお辞儀をするとあげてくださいと声をかける。


「何かを探しているのですか?」


「ソーブの実ですよ。サファイア様」


 籠に入れられたソーブと言われる実を見せてもらうとサファイアは手に取って眺めた。


「綺麗……」


「この時期魔除に使うんですよ」


 年配の女性は自分がフィノスポロスピティで使う髪飾り様のソーブの実も採っているのだと言った。


「すみません。名前はなんて言うのですか?」


「イネズと言います」


「イネズ、邪魔ではなかったらついて行ってもいいですか?」


 名前を知らなかった事を少し申し訳なく思いサファイアは遠慮がちに聞いた。


「手伝ってくれるのかい?」


 にこっと微笑んだサファイアはイネズを見て前に邸に来た時に見た事があると思い出した。


「是非」


 その時も同じ服を着ていた。

 サファイアはイネズの後をついて行くと指差された赤い実の枝を切っていった。

 途中でアローペークスが出てくるとサファイアが撫でているのを見てイネズは安心した表情をする。


「なんだか昔のことを思い出すねぇ」


「昔のことですか?」


「坊ちゃん達もこうしてよくソーブの実を採るのを手伝ってくれたもんです」


 歩くたびにする土と枯れ葉の匂い。陽があるうちは森も寒くはない。

 上にあるソーブの実を見るとその実を手に持っていたスキウロス(栗鼠)が木を伝って素早く逃げて行く。


「…………」


 どんな子供だったのか気になったが聞いてはいけない気がしてサファイアは口を噤んだ。


「サファイア様。止まってください」


 言われた通り足を止めるとサファイアは耳を澄ます。唸る声がしてイネズの体越しにアルクダ(熊)がいるのが見えた。

 この森では人間に危害を加えた動物は殺される事になっている。


「出産が間近で興奮しているね」


 イネズが腰袋から玉のような物を取り出すとサファイアに離れるように言った。

 イネズの手を掴みサファイアは首振りにこっと笑うと彼女の前に出てアルクダの目をじっと見つめる。


(お願い)


「πηγαίνω」


 唸り声は止まない。イネズが危ないと思い威嚇玉に手をかけた。


(だめ)


「πηγαίνω!!」


 立ち入っているのはこちらだ。

 立ち去れなど、自分が言う立場でもないのに。

 サファイアは罪悪感を感じつつ腹の底から怒鳴った。

 風が立つと茂みをかき分ける音が聞こえアルクダはいなくなっていた。


「…………」


「助かったよ。ありがとうねぇ」


「あ。いた。何かあったの?」


 一人立ち尽くすサファイアにイネズが声をかけているところでエリュシオンが迎えに来た。

 エリュシオンにはもうそろそろ不在になる件をサファイアに伝えようと思っていたのだ。

 サファイアの肩に乗っていたニュクスが何かを知らせるようにエリュシオンに飛びついてくる。


「…………」


 様子がおかしい。

 エリュシオンがサファイアの顔を覗き込むと虚な瞳が少し黄色く変色していた。


「揺さぶったね……」


 意識もあり眩暈も起きてはいない。

 エリュシオンはサファイアを抱き上げると邸に向かって歩き出した。途中でルシオに手紙を飛ばす。

 立ち止まっていた方が労力も無いのにじっとしている事ができなかった。

 直ぐに届いたルシオから手紙には『転移で酔うからそのまま来い』と書いてあった。

 もとよりそのつもり。


「ルスターク」


 エリュシオンは足下に魔法陣を出すと生体研究所に向けて体を飛ばした。

 薬室から繋がっている転移陣のある研究室に飛ぶと既にルシオが待ち構えていた。


「状況は?」


「使用人と森でソーブの実を採っていたみたい。アルクダと遭遇して何処かの言葉を二回発しただけらしい」


「言霊か……意識はありそうだな。眼振もない」


 ぼんやりと目を開いたサファイアが顔を触っているルシオの手を嫌そうに払う。


「すぐ……治ります」


 息を吐くように言うとサファイアはまた目を閉じた。

 ルシオは肩を竦めエリュシオンに首を振る。


「本人が言うならそのはずだ」


「そうなの?」


 エリュシオンの質問にルシオが頷いた。


「彼女は私達が思っているより自分の事をよく知っている」


 ルシオはそのまま横にして休ませるだけでいいだろうと言った。邸に戻り部屋で休ませると夕食になる頃には普段と変わらない様子でエリュシオン達も胸を撫で下ろしていた。


「すみません心配させてしまいましたか?」


「そう……だね」


 口に入れた物を咀嚼しながらエリュシオンは澄ました表情で目を閉じた。


「もうすぐ不在にするのに取り止めなきゃいけないかと思ったよ」


「その、瞳が黄色く変色するっていうのはどういう事なんだ?」


 夕食にはエミュリエールもおり帰ってきて状況を聞いて心配したらしい。


「魔術を使うと昔の事を思い出しそうになるんです。ルシオ様の話ではそうなると契約魔術が反発するらしくて」


「なるほど。それが瞳が黄色くなったり、眩暈が起きたりすると……」


「ただの一言だよ?」


「多分症状は記憶に根強く残るものから強いのだと思います」


「それで? なんて言ったの?」


「………『立ち去れ』です」


「…………」


「…………」


 無言になりエリュシオンはため息を吐いていた。

 その一言でアルクダを追い払ったことにもだが、その言葉がサファイアに何故根強く残るものなのか分からなかった。


「兄上」


 分からないと言うのは怖い。

 自分が不在中に同じような事が起きてしまった時にはエミュリエールを頼るよかないだろう。


「分かってる」


 エミュリエールも同じ事を考えていたのか言われた返事にエリュシオンは少しだけ表情を柔らかくすると、食後にサファイアを部屋に呼んだ。


「さっきも言ったけどフィノスポロの5日前から7日間王族の公務について行くからね」


「分かりました」


「兄上の言う事ちゃんと聞いて」


「はい」


「何かあったら兄上に相談して」


「…………」


 サファイアは少し不満げな表情をしていた。


「なに?」


「あの。私はそんなに心配でしょうか?」


 心配じゃなかったらこんなに言うわけがない。

 エリュシオンはサファイアの頭を撫でて手を止めると優しく微笑んだ。


「信用してる」


「はい」


 サファイアはエリュシオンを見上げると嬉しそうに目を細めて笑っていた。



 エリュシオンが出立する日になるとフィノスポロスピティの準備は万全となり後はその日を迎えるだけとなる。

 「いい子にしてね」と言って出かけたエリュシオンを見送りサファイアは少し淋しい気持ちになった。


 そして迎えるフィノスポロスピティ当日。

 髪を黒く染めて真っ黒の衣装に身を包むとサファイアは耳羽のついた仮面をつけた。

 髪に瞳と同じ紅いソーブの実が散りばめられる。

 招待状は持った。


「行って参ります」


「行ってらっしゃいませ」


「μεταφορά」


 使用人達に見送られながらサファイアは床に魔法陣を出すと護衛の二人を連れて修学院に向けて飛び立った。

突然貴族になったと言うのにサファイアはその生活が慣れないものではなくしっくりと来るのです。それはそういうことです。

色々な事がありようやくフィノスポロを迎える事ができました。長くなったこのハロウィン企画も次で終わる事ができそう?です。

フィノスポロが終わった後、閑話を入れるかどうしようか迷ってます。

直しもしたいし……

やりたい事はいっぱいあります。

では、次回もよろしくお願いします。

今日も読んで頂きありがとうございました。 

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