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0 閑話 雷の日のベロペロネ (後編)

長め。


時系列、辻褄が合わない所があれば修正を入れるかもしれません。

 この邸で暮らしてもう一年以上経つ。

 サファイアは窓辺に立ち窃かに息を漏らしていた。

 自分の護衛はジュディとハーミット。本当は自分について欲しい人がいる。その人物からは一年近くずっと断られ続けていた。


「サファイア。君に手紙、兄上から」


 エリュシオンが紙飛行機型の手紙をひらひらと振っていた。彼の兄、エミュリエールも夜にはここに帰ってくるのにわざわざ手紙にしてよこすのは、理由があるのだろう。


「ありがとうございます」


 サファイアは手紙を受け取るとどうせまた同じ返事なのだろうと思っていた。


「君も本当に頑固だよね」


「どうしてもですから」


 エリュシオンは手紙がなくなって腕を組むとサファイアを見てため息をついた。ここ一年ほど同じ事をずっとしている。


「嫌がってるんだからやめればいいでしよ?」


「嫌だとは言われていません」


 彼の事はあまり知らない。

 あの日、話していた声が好きだった。少し関わっただけでは分からない優しさがあった。それと、自分が命を伸ばした責任。

 それに何より感覚が合う。

 どうしてもサファイアは彼を自分付きに迎えたかった。

 祝いの品も、褒美もいらない。それと引き換えにサファイアは彼の契約魔術の解除と居場所の確保を頑なに申し出ていた。


「僕にはちょっと理解出来ないな……」


 自分に対して一度罪を働いている者に対する執着。

 サファイアは前から頑固だとは思っていたが、本当に頑固だった。


「分かるのはジェディディア様くらいです」


「『様』は要らないよサファイア」


 一気に上流貴族になったサファイアにとって『様』をつける相手は少ない。それでも、自分なりの敬意なのだとサファイアは主張していた。


「良い返事が聞かれるまでです」


 むすくれたサファイアが手紙をひらひらと振ると部屋を出て行った。


(勿体ない)


 声を聞けば分かる。

 唄が聴いてみたい。

 ジェディディアと親しくしているのもそういう理由なのだろうとサファイアは思っていた。


(何で分からないのだろう?)


 少し苛立ちながら廊下を歩くと窓から見える向こうの空が厚くて暗い雲をしている。それでも差し込んでいる陽の光がとてもちぐはぐで自分の心を表しているようだった。


(彼がいい)


 それは愛とかそういう問題ではない。束の間でも同じ時間、空間を共に出来る相手という理由だった。

 エリュシオンはこの場所に自分を引き入れた。時が来るまで気に入った相手を所望するのは当たり前の権利だと思う。折れない想いがサファイアにはあった。


 今日はエリュシオンが夜遅くまで何処かに出かける予定になっていた。エミュリエールも今日は久しぶりに補佐官達と食事をする事になっている為、サファイアは使用人達と寝るまで過ごすことになっている。

 別に一人ではない。

 使用人達は親切にしてくれていた。

 それでも一年という月日が経っているのに何かが足りないとサファイアは感じていた。

 それは、自分の感覚の問題。


 サファイアは修学院に行く準備をして1の刻過ぎになるまで実技を受けていつものように自分の転移魔術で帰って来た。

 少し休んだ後は本来ならエリュシオンから魔術を習っていたが今日は予習と自由時間になっている。

 勤勉な方では無い。

 自由時間なら有意義に使わせてもらおう。この邸にはピアノが2台ある。鍵盤を叩いて空想に耽っていると紙飛行機が飛んで来た。


(何だろう?)


 エリュシオンからだった。


『そんなに言うなら直接説得してくれる?』


「…………」


 エリュシオンは以外とこういう主語のない手紙を送ってくる事が多かった。何について書いてあるのかは送り主しか分からないようにするためらしい。

 サファイアが外を見ると朝は遠かった厚い雲に既にこの辺りは覆われており外はかなりの雨が降っている。

 雷が鳴っていないのが救いだった。

 いつ来るのか

 どこに行けばいいのか


(意地悪……)


 大事なことすら書いてない事にサファイアは不満げに口をへの字にする。扉がノックされるとハウススチュワートのアルフォンスが入って来た。


「サファイアお嬢様。エリュシオン様とエミュリエール様から連絡が来まして、外出先の天候がよろしくなくお泊まりになって来るそうです」


(あら……)


 二人して帰ってこない日なんて初めてだった。


「分かりました。問題はないです」


 サファイアは口許に笑みを作るとアルフォンスに返事をした。

 明日は修学院も休みの日。

 『問題はない』この時はまだサファイアはそう思っていた。




「おい……お前」


「ごめーん。ちょっと一晩泊めて」


 ヘイワード邸。

 アレクシスが付いて来たエリュシオンを見て腕を組んでいた。


「理由次第だ」


 エリュシオンは兄と同級生であるアレクシスの邸には何度か泊まったことがある。今となってはかなり昔の話だ。


「ゼストースアエラス」


 エリュシオンは午後から降り出した雨で少し濡れてしまった服を温風で乾かしながら外套を外した。


「うちのお姫様が頑固でね」


「前からだろ?」


 腕を組んだままのアレクシスはサファイアに悩ませているエリュシオンを見て愉快そうに笑った。


「あっ酷い!」


 頬膨らましていると少年だった頃の面影が覗き出す。生意気で腹が立つことも多いがアレクシスにはもう一人弟がいる様なものだった。


「サファイアがずっと申請してる事があるの知ってる?」


「あ? あぁ。自分の護衛をエアロンにしたいってやつか?」


 確かにその話を聞いたのはサファイアがバウスフィールドの養女になって数ヶ月後。


「まだ言ってんのか? あいつは」


「だからそろそろどうにかしたいワケ」


 どうにかしたいって……

 確かあれは、いろいろな理由があり却下されたはずだ。その多くは罪を犯した者をイシュタルの使いの護衛には出来ないというアンセル陛下の判断とバウスフィールドの使用人達と本人から多大な反対をされたからだったはずだ。


「アシェル、そろそろ成人するでしょ?」


「…………」


 そうだった。

 サファイアの身元引き受け人はもともとアシェルがなるはずだったらしい。だが、あの時はまだ成人していなかったため、措置としてアンセル陛下が身元引き受け人となった。

 アシェルは今年成人を迎える。

 成人式はもう半月後に迫っていた。

 それは、サファイアの身元引き受け人がアシェルへ譲渡されるという事。


「まぁ、何となくは分かったが。本人が了承してくれなきゃどうにもならないんじゃないか?」


「そうなんだよね、だから僕と兄上は今日ここに泊めて欲しいんだ」


 分からん!!

 何がどうなってここに泊まることになるのか。

 アレクシスは頭を抱えると仕方なしに部屋へ行ってもう少し話が出来そうなエミュリエールが来るのを待つ事にした。


「そういや『クロノス』取れなかったんだな」


「うちのお姫様が『クロノス』なんて取れるわけがないでしょ?」


 修学院の各学科の主席は『クロノス』『コイオス』『クレイオス』の称号を賜る。更に『クレイオス』は歌唱の『アイオイデー』と演奏の『メレテー』の二つの称号に分かれている。

 因みにアレクシスは『クロノス』エリュシオンは『コイオス』を賜った事がある。


「アレクシスみたいにムキムキで大きい男だったら『クロノス』くらい取れるのかもしれないけど、そしたら僕、多分養子にしてなかったわ……」


「…………」


 アレクシスはエリュシオンの養子としてがたいの良い男がいる事を想像して断念した。


「確かに『クロノス』は無理でも『クレイオス』も『コイオス』も取れる実力はあるだろう?」


 大体エリュシオンが選ばせた専攻がおかしいとアレクシスは荷物を床に放り投げる。

 自分の部屋だという事もあり、靴を脱ぎソファに凭れると足も投げ出してアレクシスは寛いでいた。


「そうなんだけどねぇ。少し事情があってさ」


 エリュシオンは部屋の中を見回した後机の首だけ揺れる猫の置物が気になり指で軽く弾いた。

 ふるふると猫の首が揺れる。


「それ、フィリズの土産」


「あはは、さすがだわ」


 邸の使用人が夕飯までのつなぎでお茶と茶菓子を持ってくる。時間はそろそろ3の刻。


(もうそろそろ来るかな?)


 エリュシオンがそう思っていると案の定、エミュリエールが使用人に案内されてやって来た。


「お前ら、勝手にひとんちを待ち合わせ場所にするなよ」


「済まないな、アレクシス。私は話が済んだら大聖堂に戻る」


「別にいいが、エリュシオンの話が分からないから教えてくれ」


 「あぁ……」と言いながらエミュリエールが顎を撫でると、順を追って今回の計画を話し出した。

 要は、バウスフィールドの使用人達を納得させる為と本人同士が話をして決着をつけてもらう為。

 という事らしい。

 しかし……


「どうやって?」


「明日は雷なんだよ」


 エミュリエールが言うには、前は少し怖がっているくらいだったらしい。増長したのは恐らく修学院寮で起こった事件が原因。

 確かにサファイアは雷が大の苦手とアレクシスは記憶していた。それが理由で執務中に何度かエリュシオンが邸のスチュワートから呼ばれていたことを思い出す。因みにエリュシオンがどうしても行けない討伐中の時はエミュリエールが代わりに向かっていたらしい。

 大変なこった。

 その二人が居ないとなると誰がサファイアを宥めに行くのか?


「お前、やつを向わせるのか?」


「うん、でも彼一人じゃ可哀想だしジェディディアも一緒だよ」


 粗治療か。

 アレクシスは運ばれて来た細いクッキーの生地で出来ている菓子を齧るとニカッと笑う。

 毎度面白いことを考えてくれる。

 アレクシスは別に当人同士が良ければ誰に誰が付こうが構わないと思っていた。


「そういう話なら、エミュリエールも賛成という事か」


 どちらかと言えばこっちの方が反対しそうだと思ったが、エミュリエールは一年以上も前からエアロンとは関わりがある。


「彼は変わった。問題はない」


 エミュリエールはそう言うと、お茶の入ったカップに口をつけ穏やかに空色の目を細めて笑っていた。


「しかも彼難ありだけど優秀だしね」


 エリュシオンは菓子をパリンっと綺麗な音をさせて口に入れる。

 甘くて塩っぱい。

 菓子の味が口の中に広がるとエリュシオンは楽しそうに顔を綻ばせた。


 夕食をアレクシスの邸でご馳走になると、エミュリエールはペガサスを召喚して帰ろうとしていた。


「兄上、明日必ず送り出してよ?」


「はは、分かっている」


 エミュリエールは楽しそうだった。

 アレクシスに弟を泊めてもらうお詫びと食事のお礼を言うとエミュリエールはまた大聖堂に帰って行った。


「はい、僕の勝ち」


 エミュリエールが帰った後はアレクシスの兄弟を集めてカードゲームをして過ごしていた。勿論エリュシオンが鬼のように一人勝ちしていたのは言うまでもない。




 雨が止んでいたが今日は一段と空が分厚い雲に覆われている。

 いつ降ってもおかしくはない。

 ここ最近の雨季のせいでエリュシオンとエミュリエールを仕事中に呼び出してしまう事もあった。

 全ては自分の意思ではなく、この邸に長年勤めているアルフォンスの判断。

 悪気があるわけではなく自分を心配しての事だ。何度か呼ばないで欲しいと頼んでみた事もある。だが、彼からはそう言うわけにはいかないと言われてしまった。


 雷が鳴らないといいけど。

 サファイアは開けていたカーテンを閉めて外が見えないようにする。

 使用人小屋にいる頃はもうちょっと平気だったはず。増長させてしまったのは恐らくその時の『雷は良くない事が起きる』という心的外傷。


「少し邸の周りを散歩してきます」


 サファイアは自分の世話を焼きにきたアルフォンスに言うと昼までには戻ると伝えて外に出てきた。

 どうせ怖いなら、誰もいない方がいい。

 そう思ってサファイアはアローペークスの巣に向かった。

 アローペークスは最近子供を産み、それを見るのがサファイアの最近の楽しみだった。

 抱きつくと太陽の匂いがする黄色い毛皮。

 よちよちと歩いていたアローペークスの子供はしばらく見ない間に走り回り兄弟で元気にじゃれあっている。

 その愛らしさにサファイアが思わず目を細めていると、アローペークス達が耳を立てて警戒し始めた。

 視線は空を向いている。

 今にも降りそうな空。


 稲光が見え、すぐに雷鳴が轟いた。

 サファイアはその凄まじい音に耳を塞ぐとその場に蹲っていた。

 大丈夫。

 雷がなくなるまでこのまま我慢すればいい。

 大粒の雨が降り出し、恐怖で身動きが取れなくなったサファイアの服が突然水をかけられたように急激に濡れて体を冷やす。

 恐怖なのか寒いからなのか震えている理由も分からないくらいサファイアは何も聞かないように何も見ないよう、気を失ったように固く縮こまっていた。

 大丈夫。

 自分に言い聞かせた言葉。それは、大丈夫ではないと自分でも分かっていた。




 若干訝しげに見るバウスフィールドの使用人達を横目に『お嬢様』の様子を目の前にしたエアロンがを止めていた。


「殼籠りしてるじゃないか」


 後ろにいたジェディディアも同じことを思ったようだ。かなり極限まで追い詰められなければ殻まで出来る事態にはならない。

 まさかこんなに酷い状態だとは思わなかった。

 エアロンは言葉が出ず考えるように俯いた。


「いつもはエリュシオン様かエミュリエール様が宥めてくれるのですが今日はお二人とも遅くまで邸には戻れない為、あなた方がどうにかしてくれると聞いております」


 ジェディディアが腕を組むと俯いているエアロンの後ろ姿を見守っていた。


「知ってたのか? ジェディディア」


「何の事だ?」


「…………」


 やられた。

 ジェディディアは本当に知らなかったかもしれない。

 この謀は恐らくエリュシオン、もしかしたらエミュリエールも絡んでいるかもしれないとエアロンは手を強く握っていた。


「私には無理だな」


 エアロンは肩を竦めているジェディディアの肩を掴み彼を睨みつけていた。


「考えてもみろ。私には彼女の頭を占める事なんてこれっぽっちもないぞ?」


「やってみないと分からないだろう? 『メレテー』」


 お前に言われたくないと言う表情でエアロンを見たジェディディアは仕方なく雨除けをかけるとピアノを出して一曲を通して弾く。


「…………」


 身動きすらしないサファイアにジェディディアは溜め息を吐いた。


「これで分かっだろう? 『アイオイデー』」


 その言葉にアルフォンスが驚いた表情をした。


「貴方はアイオイデーなのですか?」


「…………」


 ジェディディアめ。

 やつは変わり者だが馬鹿ではない。


「昔の事です」


 エアロンは頭を振って滴を払うと髪を掻き上げた。たまに鼻唄を唄うことはあっても聴かせられるものは自分にはもうない、筈……


「子守唄だ」


 ジェディディアが期待をする目でエアロンを見ていた。


「無理だ」


「やってみないと分からないと言ったのはお前だ」


「…………」


(クソッ)


 サファイアの顔は白くなり唇が紫色をして体温がかなり下がっているように見えた。このままでは命の危険すらあるかもしれない。

 ずっと彼女から自分の護衛になれと便りが来ていた。でも、その理由がわからずエアロンはずっと断り続けていた。

 平民の生活も慣れてきて割と気に入りもしている。


(何で今になって……)


 じっと自分を見る視線を感じる。


「今は彼女を邸に連れて帰る事だけ考えればいい。後の事は後だ」


 その通りかもしれない。

 こんな雨に打たれたままで放って帰る訳にもいかないとエアロンは思ってしまった。


「仕方ない……」


 エアロンが溜め息をついて顔を上げるとジェディディアは笑っていた。


「何を?」


「悲しい空」


 浄化。

 癒しや勇しさを使えるトラヴィティスが多い中でエアロンが使えるトラヴギマギアは珍しいものだ。あまり使う場面がないため、騎士時代は剣と魔術を使っていた。


「トラヴギマギアは駄目なんじゃないのか?」


「いや……」


 本当は魔術もトラヴギマギアもとうの昔に使えるようにしてもらっている。だから、支障がない程度で使う事も許可が出ていた。

 エリュシオンが自分の名前をうっかり呼んでしまう事が数回あったからだった。

 口を歪ませ気まずそうにエアロンがジェディディアを見ると「ごめん」と言った。


 雷光で埋め尽くされ

 世界が燃え尽き

 空へ全てが登るとき

 残された悲しみが大地を流す

 我浄化を望む者也

 オリュンポスに焚べられたもの達へ

 今ここに祈りを捧げる


 『浄化の泉』


 簡単そうにエアロンが詠唱を始めた『浄化の泉』は干渉する範囲が広かったはず。まさかそんなものを使うとは思っていなかったジェディディアはピアノに触れる手に痺れが走っていた。


 四つの魔法陣が波紋の様に一帯に広がって綺麗に重なると準備ができたとばかりに暖かい光を放ち始める。


 雨が降っているのに晴れているかのようだ。


 エアロンは少しだけ焼けくそだった。これまでの生活を乱される不快感。それでも目の前にしてしまったら贖えない本心。

 それは、サファイア本人からあの日教えてもらった事。


 ジェディディアが弾くピアノの音が子供のように跳ねている。

 何がそんなに嬉しいのか?

 エアロンはそんな彼につられて笑っていた。


 唄う時には背筋を伸ばし、確実に一音一音。

 体は揺らさないよう。

 昔、母から唄を習っていた時に教えてもらった事だ。


(忘れないものだな……)


 静かに唄い始めるとエアロンは目を閉じていた。

 前には感じられなかった感情。

 不思議なほど唄にのる。

 地面から湧き上がる生が聖となり静かに伸びていった。


 暖かい空気がサファイアの耳まで届くとよく聴くように体の力を抜いて目を開けていた。


『よく見ろ』


 声の主はそう言っていた。

 固めていた繭のような障壁を少しずつ弱めるとサファイアは耳から手を離して体を起こしてみた。首を傾げて唄っている人物を見るとずっと話をしたかった相手だと分かり目を見開く。

 夢でも見ているかのよう。

 エアロンは目を閉じて唄っている。しかも伴奏しているのはジェディディアだった。彼は余程嬉しいのか顔がにやけている。

 地面にはトラヴギマギアである事を示す魔法陣。

 雨は止み雲間から光が落ちる。

 激しくないのに干渉力が高い物であるとサファイアには分かった。


(凄い)


 誰かの唄をこんな風に思うのは初めてだ。

 彼がトラヴィティスだとは思っていたがこんなに心が惹かれる唄が唄えるとはサファイアも思っていなかった。

 自分が同じ唄を唄っても同じ様にはならないだろう。

 サファイアはいつの間にか唄に集中して目を閉じていた。

 もっと聴かせて欲しい。

 閉じた目からは涙が静かに流れていた。


「おい」


 余韻に浸る様に唄が終わってからも目を閉じていたサファイアにエアロンが声をかける。

 目を開けたサファイアの前にはエアロンの手が差し出されていた。


「掴まえてしまいますよ」


「勘弁してくれ。そこにいたらこうするしかなかったんだ」


 エアロンは嫌そうに顔を横に向け微笑んで見上げるサファイアから逃げる様に視線を逸らしたが差し出している手はそのままだった。

 そう。

 彼はこう言う人だ。これが選ぶ理由。

 サファイアはエアロンを見上げるとふにゃっと笑った。周りを見ればアルフォンスと使用人達もいる。

 みんな水を滴らせて寒そうにしているがその表情は心配や安堵が浮かんでいた。

 雨の中必死に自分を探し回ってくれたのだろう。

 悪い事をしてしまった。


「申し訳ありません。心配させてしまって……」


 サファイアは立ち上がり頭を下げて大人しく謝るとアルフォンスは「無事で良かったです」と優しく笑っていた。

 このままではいかない。


「ζεστός θύελλα」


 邸へ戻ろうとしている皆を見てサファイアが呪文を唱えていた。

 人も大地も、ジェディディアのピアノもアローペークス達も全て暖かい風で包み乾かしていく。

 自分よがりな行動で心配させてびしょ濡れにさせてしまったサファイアなりのお詫び。


「相変わらず息をする様に魔術を使うな」


 エアロンは今の空のように吹っ切れた表情をしている。

 サファイアは顔を見て傾げると少しの期待を持って両手を彼に差し出した。


「…………」


 困って無言になっているエアロンの背中をアルフォンスが静かに触れる。


「私共は何故サファイアお嬢様が貴方を迎えたいと言っているかが分かりませんでした」


「それは……」


 当たり前だろう?

 なんせ自分は平民落ちした元貴族。そう思われても仕方のない事だ。

 アルフォンスは首を横に振った。


「唄を聴いて私共は分かりました。さすがアイオイデーを賜った方」


 手を出しているサファイアを邸まで送り届けて欲しいとアルフォンスは言った。


「ちょ……」


 ぐいぐいとアルフォンスが押すので仕方なくエアロンはサファイアを抱き上げるしかなかった。


 柔らかい髪が腕からはみ出て風に揺れている。

 サファイアを抱えたままジェディディアの鳥に乗るわけにもいかないので仕方なく自分の鳥を出して邸へ向かい飛んでいた。

 サファイアは気分が良さそうに鼻唄を唄っている。それは、さっき自分が唄っていた『悲しい空』


「覚えてるのか?」


「良い曲は一度聴けば覚えます」


「…………」


 ジェディディアにもある奇矯。

 『ムネーメ』と言われるあまり知られてない音に関する記憶。一般的には『絶対音感』と言われている。


「あの。アイオイデーって言うのは何ですか?」


「…………」


「修学院で賜る称号」


 黙っているエアロンの代わりにジェディディアが答えた。

 そう言えばそう言うものがあると言っていたような気もする。

 暗い部屋で希望を与えてくれた鼓動の音が聞こえサファイアはエアロンの服をぎゅっと握っていた。


「音術科で主席だった者が賜るものだ」


「そう……ですか」


「…………」


 昔はその事を偉く自慢していたような記憶がありエアロンは無言になった。今は見栄を貼る必要もないし何を自慢していいのかも分からない。


「それは誇りですね……」


 風を気持ち良さそうに受けて目をつぶっているサファイアがなんとはなしに言った言葉。

 母にも言われた言葉だった。


「煽てても何も出ないぞ」


 絆される感じがしてエアロンはつっけんどんに言葉を返した。言った相手は既に自分の腕の中で安心したように眠っている。


「…………」


「ずっと緊張していて疲れたんだろう? 無理もない」


 その様子を見たジェディディアがいたって軽そうに言いエアロンの横を飛んでいた。



 エリュシオンとエミュリエールがサファイアの部屋を覗いて起きているジェディディアを手招きする。


「まとまったの?」


「その話をする前に寝てしまった」


 エアロンはサファイアを抱っこしたままソファで眠っていた。強く握り締めている手を見て離さなかったのはサファイアの方だろうと思ったがエミュリエールの表情が険しくて言わないことにする。


「使用人達は唄を聴いて納得したようだ」


「そう言えばエアロンは『アイオイデー』を賜わっていたな……」


 エミュリエールはエアロンを受け入れる時に彼の経歴を調べその事を知っていた。

 修学院の主席であっても該当者がいないとされる事も少なくはない。最近はシスティーナが賜った後該当者はいないほどアイオイデーの称号を賜るのは他の称号と比べて難しく特別な事。


「へぇ。僕も聴いてみたかったな」


 いつだかジェディディアが言っていた。辛い物を食べているエアロンにもう一度彼の唄を聴きたいと。

 『絶対音感』の奇矯を持つジェディディアが平民落ちした後もつるんでいる理由。

 エミュリエールもトラヴギマギアを使う者として少しだけ嫉妬する。

 エリュシオンが兄の気持ちを察する様に二人が寝ているソファに近づくとサファイアを無理矢理引っぺがしていた。


「……無理矢理やるな」


「だってこのままじゃエアロンが帰れないでしょ?」


 兄上だって怖いし。

 サファイアは眠ったままだがエアロンは目を覚まして驚きで激しく瞬きをしていた。


「ありがとね、エアロン。返事は決めた?」


「まだ……考えさせてください」


「そう」


 少し前進出来た感覚にエリュシオンが満足そうににっこりと笑った。


「半月後、返事を待ってる」


「…………分かりました」


 ジェディディアの鳥に乗り込む二人を見送るとエリュシオンは振り返ってエミュリエールを見た。


「全く兄上は大人気ない!」


「アイオイデーなんて狡い……」


 これはいつでもどこかに行けるサファイアの為の枷。

 あまり時間はない。

 エリュシオンは腰に手を当てて兄を叱りつつこれは自分の為でもあると半月後の彼の返事を心待ちにした。





【瑠璃色のコランダム第三章 本編予告】


終わりがあるから美しい

その言葉が神聖なものの様に語り継がれている


結果? 過程?


変わるものと変わらないもの


選んだのは過程


岩塩が水に浸けられて溶かされていく様に不思議なほど嫌悪感がない

このまま溶けて無くなればいい


それでも蒸発して残るのは結局現実


結果の先に道は続かない


束の間の“楽“

学院という学びの籠



瑠璃色のコランダム第三章『本編』お楽しみに!

一年後位に布石となるといいなと思って書きました。

各学科の称号ですが、ティターンの十二神が参考です。ただ、トラヴギマギアに関してはムーサを参考にしています。


しばらく修正の旅に出ますが、書きたくなったらまたゲリラ投稿するかも知れません。


エアロンが唄っていたシーン。

イメージソングは やなぎなぎさん navis

是非聴きながら読んでみてください。

今日も読んで頂きありがとうございました。

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