51 エピローグ 2
二章最終回
エリュシオンに連れて行かれたところは一月程前に来たことのある場所だった。
誰かの魔術で転移する事がサファは苦手だったが、エリュシオンの質の良い魔術は全く酔う事はなかった。
「大聖堂ではないのですね」
「養子になるのは人前式だからね」
因みに結婚式は神前式になるため、使われるのは大聖堂なのだとエリュシオンは言う。
サファの手を引いたままのエリュシオンがどこに連れて行くのかも言わずに前を歩いていく。彼の背中をサファは黙って見つめていた。
正確な歳は知らないがエリュシオンは結婚も考えないといけない年齢ではないかと思う。そこを自分という荷物がつくのは邪魔にはならないのだろうか?
エミュリエールもだいぶ整っておいでだったがエリュシオンはかなり見た目が麗しい。そこらのご令嬢達が放っておく訳もない。
「少し時間があるね。ん?」
振り返ったエリュシオンと目が合う。サファを見下ろしてエリュシオンはにこっと首を傾げた。
「なに?」
この人は自分が周りからどう評価されているのかよく分かっているのだなとサファは思う。
「聞きたいことが沢山あった気がするのですが、忘れてしまいました」
「そう? 思い出したら聞いてみるといいよ」
ただ答えるかどうかは分からないとエリュシオンは意味ありげに言った。
法立館の一階は査問会を行うための会場が三つあり、話し合いや入籍式、職業の登録をする場所は二階にある。三階から上は各代言士の仕事部屋となっており法立に関する本や資料を保管する大きな図書室が共同スペースにあるらしい。
「あの。エリュシオン様はともかく、私が立ち入るのはいけないのでは?」
二階に上がりそこで時間まで待つのかと思っているとエリュシオンはそのまま階段を昇り始めた。
「見てみたいかなと思って」
「いえ……」
興味があるかどうかと言われれば少しだけ興味がある。
廊下ですれ違う人が主に自分を見て目で追ってくる。子供がこんな所にいるのは珍しい事なのだろう。すれ違う顔も知らない人達の反応はその事を示していた。
「あの。どこに?」
「まだお祝いの言葉を言ってなかったからと思って」
「お祝いですか?」
手を引かれるままサファはエリュシオンを見上げて首を傾げたが彼は振り返らなかった。ついた先の扉の札を見て「あらら」とエリュシオンが言うと、目的地が違う所になったのか四階にあがりすぐ見える大きな扉を開ける。
(わっ……)
天井近くまである棚にはびっしりと本や綴りが押し込まれ、上のものを取るために高い梯子がかけられていた。
図書室特有の紙とインクに埃っぽさが混ざった匂いが落ち着く。普通の図書室と違うのは話している人はいないのにざわざわと活気が溢れている所だった。
「人がいっぱいいます」
「そうだね彼らの仕事場みたいなものだからねここは」
ここには起きた事件の資料と参考書物を置く場所であり、エリュシオンもよく来ることがあるらしい。この前の『第二の奴隷の報復』と言われる事件もここに収められているのだそうだ。
机で書き物や資料の閲覧で夢中になっている人は二人の事など眼中になさそうだった。
「バウスフィールド卿?」
エリュシオンが振り向くとモーセウスが資料を持ち怪訝そうに見ていた。
「マクレーン殿……」
モーセウスは隣にいるサファを一瞥したのでサファは慌てて会釈をした。
「ここにその子を連れてくるのは感心しない」
「……フェルデンにお祝いを言いに来たんですよ」
フェルデンにお祝い。
どうもそれがここまで来たエリュシオンの目的のようだ。サファはフェルデンについてあまり知らなかったが、この前の査問会が功績になったのであったのならそれはそれで何となく気分が良かった。
「フェルデン殿なら向こうだ」
「それはありがとうございます」
モーセウスが鼻を鳴らしてサファを見るとそのまま目を逸らして図書室を出て行ってしまった。
この前も思ったがいつも誰に対しても太々しそうなエリュシオンもモーセウスが相手では大型獣が小型獣に威嚇されている様に見えてしまうのが不思議だった。
「君、失礼な事考えてるでしょ」
教えてもらった方に歩きつつ不機嫌そうにエリュシオンが声を尖らせておりサファは空いている方の手で口を押さえた。
「父上の……」
(え?)
エリュシオンの口から父親の事が出るのは初めてでサファは驚いたが、言いかけてやっぱりやめたのか言葉はそこで止まった。
エリュシオンとエミュリエールの両親の事。
それは、一月程バウスフィールドで過ごせば口にしてはいけない禁忌の事なのだとサファはすぐに察した。
モーセウスはルシオと同じくらいかそれより上くらい。エリュシオンの父親と関係があってもおかしくはないのかもしれない。
「おや? こんな所にお子様が。ふふ」
「え?! あぁ。今日なんだっけ?」
本棚の前でフェルデンとユリーフが立ち話をしており、自分達に気づいたユリーフが微笑ましそうに見ていた。
「少し時間があったから、お祝いでも言おうかと思ってね」
何のお祝いだろう?
サファはフェルデンをじっと見ていた。
「やあ、今日はとても綺麗だね」
フェルデンの薄い栗色の髪の色が優しくて好きだなと思っていた。
「ありがとうございます」
目を細めて懐かしむように笑うとサファはスカートを広げて丁寧お辞儀をした。
「じゃ僕からも。ファーディナンド代言士、この度は上級代言士への昇進おめでとうございます」
にっこり笑って言うエリュシオンの表情は一点の曇りもない。
つい最近まで見習だったフェルデンは思っていた通り『第二の奴隷の報復』で能力を評価され一気に上級代言士の位を授かり部屋を一つ与えられたのだった。
「俺だけの力じゃないのに……」
「まぁいいじゃないの」
フェルデンは嬉しいが戸惑いばかりだと笑っていた。細々とやっていきたかったらしい。
エリュシオンとフェルデンが話し始めてしまった為、サファはぽつんと立ち下を向いて目を閉じる。
紙がめくれる音、文字を書く音、椅子を引く音。
目の前で話す二人の声の調子がとても穏やかだった。
「友達を思い出したのかい?」
目を開けて顔を上げるとユリーフが見下ろしていた。
サファは少し顔を傾ける。
「お辞儀をした時に懐かしそうな顔をしていたので」
「孤児院の……」
あれは……
友達?それともただの知り合い?
どう答えて良いか分からずサファは黙ってしまった。
「…………」
指で群青の髪を弄っていたユリーフが微笑むとサファの頭を撫で始めた。
「凄いですね……猫を触っているみたいです」
「…………」
ユリーフが撫でていた手を止めると自分の胸に手を置いた。
「心に残るお友達でなければあんな顔はしません」
これからも残しておくといいですよとユリーフが言う。知らぬ間に自分に友達と呼べる相手がいる。サファは少しだけ目を潤ませた。
「ユリーフ先輩が泣かせてる……」
「人聞きが悪いですね。激励していたのですよ。バウスフィールド家の養子なんて大変でしょうから」
「まぁね」
話が終わった二人が泣きそうになっているサファに気づくと特にフェルデンは硝子でも扱うかのように慌てていた。
ユリーフの言葉にサファは間違いなく励まされたのだった。
フェルデンにお祝いの言葉を言い、今度こそ入籍式の為に二階まで戻ってきた。
さっきよりも護衛の数が多いと思っていると聞き慣れた声がした。
「お前、何やってた? もうアンセル陛下ついてるぞ」
「アレクシスおはよう。フェルデンにお祝いを言いに行ってたよ」
「後ででもいいだろう? まったく」
(あれ?)
喧しく言うアレクシスはエリュシオンと同じ格好をしている。白に金の鈕の付く高価そうな服だ。
「どうしたの?」
「同じ格好だなと思って」
「あぁ。王族の側近が着る制服だからね」
エリュシオンは襟を引っ張って眺めていた。素材が好きではない為こういう時にしか着ないのらしい。
「こちらにお入りください」
案内役が扉の前に立つように言うとエリュシオンに手を引かれて移動した。
なんだか鼓動が昂る。
「結婚式みたいな感じですね」
「君と結婚なんて冗談じゃないよね」
エリュシオンはカラカラと笑っていた。サファは頬を膨らませてふいっと横を向くと案内役がおかしそうに吹き出して扉を開けた。
「手をどうぞ」
「あ……はい」
エリュシオンの差し出した手にエスコートされ二人は部屋の中へと入っていった。
中に入ると知らないのは国王陛下の隣に座る人物くらいで殆ど知っている人しかいなかった。
国王の隣に座るくらいなので恐らくルクレノア皇后陛下だろう。エリュシオンと同じ薄い金髪に翠緑色の綺麗な女性だった。
でも、何故かこの場にエミュリエールがおりサファは不思議に思っていた。
この前の査問会の会場よりも大きくない部屋なのですぐに二人の前にたどりつく。
そこでエリュシオンは膝をつき頭を下げたのでサファもスカートを広げてなるべく見栄えが良くなるようにお辞儀をした。
「二人とも面を上げよ」
気がつくと足跡が付いている。
サファはこの礼儀作法をハーミットに教えてもらった事を思い出していた。それが、今ここでも役に立っているとはあの時夢にも思ってなかった。
「…………」
サファが柔らかくふわっと笑うとアンセル国王陛下が驚いたように無言になっていた。
「あまりに可愛らしくて、言葉をなくしてしまったのね」
「ふふっ」と上品にルクレノアが扇で口許を隠して夫をからかっていた。
似ている。
「入籍に参りました」
「そんなに畏まらないで結構よ。エリュシオン」
あまり話をしたくないのか、エリュシオンは目を逸らしがちに少し口に笑みを浮かべ頷いただけだった。
「それでは入籍式を致します」
オズヴァルドが台紙をアンセルに渡す。
ルクレノアに揶揄われたのを誤魔化すようにアンセルは一度咳払いをした後台紙を読み上げた。
「エリュシオン=バウスフィールド。其方はサファを養子に迎え今後父親として彼女を庇護する事を誓えるか?」
「誓います」
本当に結婚式のようだ。
孤児院の隣は大聖堂だった。大聖堂で結婚式が行われている所をサファはたまたま見た事があった。
違うのは招待客がいない事くらいである。
「よろしい。それではサファ」
「はい」
「其方はエリュシオンを父親としてバウスフィールド家を助け慕う事を誓うか?」
「誓います」
「よろしい。それでは授与を」
エリュシオンがサファの左の耳朶に手を添えお互い目をつぶる。チクッと軽い痛みが走りサファの睫が震える。
痛みは強くはなくすぐに治っていった。
エリュシオンがサファの睫に触れた後そっと手を離す。
耳朶には森の主であるケリュネイアと薔薇でつくられたバウスフィールド家の紋章が金の装飾品の様につけられている。どの家の子供であるかを示す為に刻まれる印。
「痛い?」
「大丈夫です」
ふるふるとサファは首を振った。
いつの間にかエリュシオンの手には布で包まれたものがある。布を広げるとエリュシオンの瞳と同じ紫色の魔石でできたペンダントが出てきた。
「誰かにあげるのは初めてだよ」
「…………」
ややふざけた様に言いながらエリュシオンはサファの首にペンダントをかける。
「ここにバウスフィールド家の新しい子が誕生した」
「それでは名を授けてください」
周りの緊張が高まる。
サファの名前が何になるのかそれはサファを知るもの達が一番気になる事だった。
エリュシオンが懐から紙を取り出しオズヴァルドに渡すと、彼は紙を広げた後少し微笑んでアンセルに渡した。
紙を渡されたアンセルも同じような表情をしている。
「サファ、其方の名は本日よりサファイア=ロゼフィ=バウスフィールドだ」
「ありがとうございます」
周りの空気に明らかに幸福感が混ざる。
ルクレノア様は名前を聞いて何故か涙ぐんでいた。
バウスフィールドの様な姓であれば中間名をつける必要はない。
意図的に入れたロゼフィとは誰なのか?
それは考えなくても何となく分かった。
新しい名前『サファイア』は元の名前を文字って安直の様だが受け止めやすく違和感がない。
「良い名だ。大事にすると良い」
入籍式は名の授与をもって式は終了となった。
エミュリエールが何故この場にいたのかサファイアは誰にも聞けないままエリュシオンにまた手を引かれて邸まで戻ってきた。
今日は養子の祝いで内輪だけ呼ぶ小さな食事会を開くらしい。
「時間まで少しあるから今のうちに休んでおいて」
昼食をとり欠伸を手で隠していたサファイアを見てエリュシオンが勝手に侍女に指示を出していた。
サファイアは勝手に屋敷の中を歩く事を許されていなかった。
侍女に部屋まで連れていかれると部屋着に着替えさせられて暫し眠りにつくことにした。
悪さをするからと言う理由ではない……
それは、迷子になるからだった。
【ジュディとフィリズ】
やっとサファイアの養子が決まり望んでいた護衛ができるとフィリズは張り切っていた。だが、その気持ちをよそにお呼びがかかったのはジュディだった。
「どうして!!」
悔しそうにフィリズが壁を叩いてジュディの腕を掴んだ。
「ジュディ! どうしてですか?!」
「…………」
自分よりもフィリズの方がよっぽど忠誠心があるはずである。ジュディも同じことをサファイアに聞いた。
『フィリズでは想いが強すぎて自分に就くのは酷なってしまう』と彼女は言っていた。ジュディにはそれがどういう事なのか何となくしか理解できなかった。
何となくジュディが理解できたものそれは突然いなくなるかもしれないという事だった。
腕を掴むフィリズに何かを言って宥められるのか検討もつかない。
「詳しくは私にもわからない。でも……サファイア様はあなたの事を考えてのことだと言っていた」
「ううう……」
躑躅色の髪を力なく下ろしてフィリズが腕に縋り泣き始めた。ここずっとサファイアのことを嬉しそうに話すフィリズを見て来たジュディは彼女の事が気の毒だった。
「私でごめんなさい」
ジュディが珍しく子供の様に泣いて悔しがるフィリズを抱きしめて慰める。
「私は諦めません……」
「えぇ……」
フィリズは鬱陶しいと思う時もあるがいつも真っ直ぐで純粋だ。もしサファイアが本当にいなくなろうと思っているのならフィリズを自分付きにしないという事に頷けもした。
それは胸に秘めておくことにする。
それが自分を選んだ理由だとジュディは目を細めて慰めているフィリズの力なく揺れる髪先を眺めていた。
日が暮れ始めた2の刻半。
随分と日が暮れるのが早くなってきたようだ。
外に広がる森の葉が夕陽にあたり秋真っ盛りのような赤みを増している。気温は急に下がり外の空気に身震いするほどだった。
「エリュシオン様、エミュリエール様をお連れしました」
ノックがしてハウススチュワートの声がするとエミュリエールが入ってきた。
「ん。さっき振り」
「お前伝えてなかったのか?」
サファイアは午前中に行われた入籍式で不思議そうにエミュリエールを見ていた。
腕を組み気まずそうなエリュシオン見てエミュリエールは息を吐く。
「理由があるなら聞こうか」
「うーん……その話は兄上から直接してもらった方がいいと思って」
エリュシオンは頭に手を置いてペロっと舌を出した。
「そんな風に言わなくても私に頼んでくれればいいだろう?」
以前来た時、エリュシオンに邸に戻って来ればいいとい言われ怒りを覚えて不機嫌になった自分をサファイアはどう思っていたのだろう。
それを考えるとエリュシオンが彼女にこの事を告げるのを躊躇うのも無理はない。
「…………」
笑ったまま無言になったエリュシオンが頬杖をつき年相応の表情で口を尖らしいじけていた。
「何処にいる?」
「支度してる。多分もうすぐ来るから……」
待てと言われエミュリエールは部屋のソファに座っていたがしばらく待つも一向に来る気配はない。痺れを切らしたエミュリエールがハウススチュワートを呼び付けると彼は答えにくそうに口を開いた。
「何処かに行ってしまったので探していて……」
「?!」
音を立てて立ち上がったエリュシオンは足早に扉へと向かう。
「落ち着けエリュシオン。彼女は……邸内にいる」
「なんで?」
「彼女は前から少し難しい所があるんだ。心当たりはある」
今日は入籍式もありこれから祝いの会も開かれる。こういった気持ちが乱される事があるとサファイアにはいつも逃げ込むところがあるのをエミュリエールは孤児時代の彼女を見ていて知っていた。
「本の置いてある所は変えてないか?」
「うん……」
この邸には本を納めている場所が三箇所。一つは使用人達があまり近寄りたがらない父の書斎であった場所。
ここの上の階に当たる。
他の二つを探すようにスチュワートに伝えるとエミュリエールは立ち上がった。
「書斎には私が行く」
人が来ない最も静かな場所を彼女は選ぶ。エミュリエールはそう確信して元父の書斎へ向かった。
この数年でいなくなった人間が多いこの邸は使っている部屋が少ない。この辺りは部屋の主がおらず近づく度に燃える廊下の灯りの音がより一層大きく聞こえる気がした。
ここはお誂え向きだろう?
あまり気分の良くない場所に向かっている筈がエミュリエールは自然と足が速くなっていた。
早く伝えたい。
目的地の扉の前で立ち止まるとエミュリエールは音がして耳を覚ました。
唄声。
邪魔をしない様に静かに部屋に入ると奥にある出窓に足を向ける。
薄暗くなっていく外の明かり。小さな体を寝そべらせて鼻唄を唄い手元の細い魔術の糸で一人あやとりをしている姿が見えた。
まだ自分の姿には気付いてないらしい。
エミュリエールはわざと足音が鳴るように近づくとようやくサファイアが唄うことをやめて顔を向けた。
「エミュリエール様……」
「いなくなったと皆が探していた」
「…………」
あの日のように寂しげな表情をするサファイアをあの時のように抱き上げると手に絡ませていた魔術の糸が弾けて光が舞う。
「すみません……」
エミュリエールは静かに首を振りサファイアを抱きしめて頭を撫でていた。
「遅かれ早かれ考えていた。エリュシオンが心配だからな」
コクッとサファイアは頷くと床に下ろしてもらった。
部屋はだいぶ暗くなりサファイアの白金の髪と瑠璃色の瞳が淡い光を放っているかのように見える。
「サファイア=R=バウスフィールドと申します。よろしくお願い致します」
サファイアは堂々とエミュリエールにお辞儀をすると不安げに笑顔を作った。
「エミュリエール=R=バウスフィールドだ。君の叔父になる」
「やっぱり……還俗されたんですね」
肩を落として俯くサファイアの前でエミュリエールが屈み両手で頬を包んだ。
「エリュシオンが心配だからと言っただろう? 気に病むことはない」
ぷりっとした弾力のある頬から跳ね返えされたように手を外していくとエミュリエールは優しくサファイアを見下ろしていた。
「少し大きくなったな」
見た目よりもどちらかといえば中身の成長。背はほんの少し伸びたくらいだった。
「…………」
自分はまだ自身の成長を素直に喜べない。そんな日は来ないだろう。この時はまだそう思っていた。
エミュリエールがサファイアを連れて応接間に戻って来るとエリュシオンと使用人達が安堵して息を吐いていた。
心配される事には慣れない。
「少しずつ慣れていけばいい」
引いていた手を離してサファイアの背中を軽く押すともじもじしながら彼女はエリュシオンの所に行き謝っていた。
お祝いにはアシェルを始め10人程招待していた。
予想外だったのはアシェルの妹のラミエルが強引についてきた事だった。
ラミエルが騒げば母親のルクレノア陛下も当然ながら行きたいと言い出したらしいがアンセル陛下が止めてくれたらしい。
理由は分からない。
アシェルはアンセル陛下はサファイアに会う事を少し拒んでいるように見えると言っていた。
ラミエルはサファイアが負傷して眠っている姿しか見た事がなかったが今日の入籍式の振る舞いなのか見た目なのか甚くサファイアを気に入ったらしい。「お姉さま」と慕い何個もある実が一房となっている果物を祝いの品として持って来ていた。
「これは?」
こういう祝いの席で皆で分け合って食べる果物らしい。
「一つ一つ味が違うのです。さぁお姉さま食べてくださいませ」
そんな……
何の味がするのか怖い。
「エカトプードか。ほらっサファイアさっさと一つ食べてみろ」
人の気も知らないで。
サファイアは半目でアレクシスを見ると覚悟した様に実を一つ摘み恐る恐る口に入れた。
「!!」
「おお?!」
顔を赤くして表情をギュッと縮めるとサファイアは口を押さえて涙を溜める。
酸っぱい!
「あはは。当たりだ!」
少し酒が入って陽気になっているエリュシオンが陽気な声を上げる。
エカトプードは色々な味があるが変な味になる事が少ない。
それを当てた者が『当り』なのだそう。
周りが楽しそうに笑っているともう一人遅れて誰かがやって来たようだ。
「ジェディディア様!」
サファイアが到着した彼の姿を見つけると駆け寄つて腕輪を返す姿が見える。
「ちょうどいい、何か聴かせてくれ」
「…………」
到着した途端当たり前の様にジェディディアはエカトプードを口に放り込む。久しぶりに手元に戻ってきたピアノを早速取り出すと口をもぐもぐいわせながらジェディディアはやる気満々に椅子に座った。
「あ、いいね。唄って唄って」
「ちょっと待て! 分かっているなサファイア」
ルシオが言うのは記憶の揺さぶりがない唄を選べという意味。
サファイアはコクンと頷くと前に出て深々と頭を下げた。
綺麗事を言うのは嫌い。
自分が何を思っているのかはまだ上手く言葉には出来ない。
その代わりに出来る事は、唄う事。
ジェディディアの伴奏でサファイアが唄う姿をエミュリエールとエリュシオンが並んで見ていた。
「一件落着か?」
グラスを片手にやって来たアレクシスがニカッと笑いながら二人を嬉しそうに眺めた。
「さあね」
「分からないだろう?」
バウスフィールド家にエミュリエールが帰って来たが今まで通り大聖堂勤めをする事が条件だった。
今はそれでも来年はどうなっているかは分からない。
「しかし青い薔薇なんて少々誹謗じみてないか?」
青い薔薇は存在しない。
しかし時代は進みいつしか咲かせる事が出来そうなところまで来ている。
エリュシオンが人差し指を立てて眉を吊り上げる。
「兄上、古いよ」
時代が進み意味が変わる様に自分達も変わっていかなくてはいけない。
『願いは叶う』
「……成る程」
エミュリエールは腕を組みサファイアを見ると目を細めて複雑そうにそれでいて嬉しそうに笑っていた。
これで、サファが貴族になるまでのお話が終了となります。
三章は本編 長くなりますのでよろしくお願いします。
次回は雷の日のベロペロネ(後編)
三章の冒頭を少しだけ予告として書くつもりです。
暫くは修正の旅に出てから本格的に三章を始めたいと思っています。
タイトル回収お疲れ様でした。
エピローグ1 イメージング nZk Saving Us
エピローグ2 サファイアが窓辺であやとりをしながら唄っていたのはLia 一番の宝物
是非聴いてみてください。