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49 秘事は睫 26

 あれだけ降っていた雨はここしばらく地を濡らさなくなった。地面がこれ以上なく熱を持ち、まるで熱された鉄板に突然乗せられたようだ。


(暑……)


 研究所ではいつも生物を保管するかの様に室内は適温に保たれていた。

 久しぶりの屋外。この時期最も世界に近づくとされる太陽が強い光を発しており体を焼くかの如くどっと汗が吹き出るとサファは顔を赤くした。


「足元に出すのは非常識だぞ!」


 急に飛ばされたルシオが驚きを隠す様にサファを叱っていた。


「あれ、どっから湧いたんだ?」


 声のする方を向けばアレクシスとアシェルがおり手を止めて驚いた表情で自分達を見ていた。

 二人は話をしていた様だ。


「変わった登場の仕方だな」


 「はは」と声を出して笑ったアシェルの目は赤かった。それだけではない。その隣にいるアレクシスは痩せた様に見えた。

 それを見てサファは眉を下げて申し訳なさそうな表情をした。


「そんな顔するな。当たり前の事だ」


 二人ともサファを見て苦笑いしていた。


 ここはちょうど渡り廊下に差し掛かる辺り。

「毎日オルタンシアの花を食べるといい」とユニがスタンリーから言われていたところだ。


 オルタンシアの咲いていた一帯は全て掘り起こされた様な跡があり均されている。

 その上には何が置かれ白い布がかけられていた。

 随分沢山ある。

 覚悟していた臭いは驚くほどしない。するのは土が掘り起こされた匂いだけだった。

 地面に近い分だけ熱が上がってくる。来てすぐだと言うのにサファは暑くてぼんやりしてきた。


「やだ……クリオして来てないの?」


 いつも白か薄い色合いの服を着ているエリュシオンも今日は黒い礼服を着て髪も綺麗に結われていた。

 エリュシオンがやって来るとサファの顔を見て背中に手を当てる。彼とは査問会の日から話をしていなかった。

 外気に触れる部分は相変わらず暑かったが服に何かを施されると体の熱が冷やされて赤くなっていた顔が戻っていった。


「ありがとうございます。エリュシオン様」


「僕のクリオは特別快適だよ」


 クリオとは何かよく分からないが、たぶん服に暑さを感じない様に使うものなのだろうとサファは思った。


「すっかり忘れていた……」


「もうっ、子供の『熱籠』は死ぬんでしょ? 自分が言ってたのに」


 少し気になってはいたがエリュシオンはいつもの通りの様だ。

 エリュシオンはサファを抱えると、白い布で覆われたものの一つの前に立った。


「損傷が酷かったら見せない方がいいかと思っていたけど……これのためだったんでしょ?」


 サファを地面に下ろしエリュシオンが布を捲ってくれた。

 ミリィ。

 首には絞められた後があったが埋められていた中でも綺麗な状態で保たれていた。

 よかった……

 サファは目を閉じる。

 死んでしまったことは残念。でもサファはこの状況でもそう思った。


 遺体にまた布がかけられるとエリュシオンはまた自分を抱えて魂送りの段取りについて話を始めた。

 彼の服にもクリオなるものが使われているのかさらさら、ひやっとして気持ちが良い。

 よく見ると足元には厚い板が置かれている。エリュシオンに聞くと自分がピアノを弾きたいと言った為それ用らしい。

 ジェディディアからピアノを使う事は了承を得たが、ピアノを直接土の上に置くのは駄目だとジェディディアが言ったのだそう。


「君さ。なんとなしにそれつけてるけど、それ国宝級だから」


「…………」


 事実を告げられると持っているのが怖くなりサファは顔を青くした。


「なんでそんなものを私に渡すのですか……」


 失くさなくてよかった……

 サファは腕輪を強く掴むと息を大きく吐いた。


「それは本人に聞いてよ」


 あははとエリュシオンは笑った。

 さっきまで暑そうにしていたニュクスがサファの肩で寛いでいる。


「お? カーバンクルか」


 エリュシオンがニュクスを撫でていると興味を持ったアレクシスが寄って来た。

 ニュクスをじっと見ると彼はニカッと笑う。


「見てみろ、アシェル。お前そっくりだぞ」


 それは。王子殿下に対して不敬なのでは……

 サファがどういう表情をしていいか分からずアレクシスを見ていると気にしない様子でアシェルも寄って来た。


「あ…………」


 ニュクスが何かに気づいた様に耳を立ててぴくつかせるとアシェルに飛びついた。

 サファが気づいて駄目だと言おうと思った時にはもう遅かった。


「あぁぁ……」


 アシェルの胸元にある黄色の魔石に齧り付くとそのままごりごりと音を立てて食べ始めてしまった。 


「……餌やってなかったのか?」


 唖然としていたアシェルが魔石を持つと齧られた部分をまじまじと見ていた。ニュクスの歯型がくっきりとついている。

 確かに今日は大好きな補助食をあげるのを忘れていた。

 いつもは催促するのに。


「ニュクス、ほら。こっちあげるから」


 サファが補助食を手に乗せて差し出すと、咥えていった先はエリュシオンの肩の上だった。サファはすぐにおろそうとしたが警戒する声を上げ始めたので手を引いた。


「暑いんでしょ? 別にいいけど、汚さないでよね」


 エリュシオンは生き物は好きでも嫌いでもないらしい。ニュクスが自分の肩に乗る理由がエリュシオンには分かるようだった。


 でも。

 サファは首を傾げた。


「なに?」


「何故エリュシオン様のは齧られないのですか?」


「しまってあるから」


 にっこりとして組んだ腕辺りに確かにペンダントは着けられている。

 エリュシオンは口に手を当ててカラカラと笑っており、この様子を見ていたアレクシスは肩を竦めていた。

 ルシオは養父のエリュシオンに自分を引き渡したので今日の魂送りに参列する為エーヴリルを探しに行ったとアレクシスは言った。


「これ、齧られても効果あるか?」


「ない事は無いですが……」


 アシェルが目の前で黄色の魔石を揺らせていた。

 王子殿下に歯形のつくお守りを持たせておくのも失礼だろう。


「それ、預かってもよいですか?」


 後でお願いしてみよう。

 サファはアシェルから黄色の魔石を受け取るとまた齧られない様にポケットへいれた。


 


 そんな可愛い騒動があってしばらくすると人が少し多くなってきた。本来なら使用人の為に貴族は魂送りには参加しない。

 参列している人は皆黒い服を着ており、その中にはエーヴリルとフィリズ、ジュディやフェルデンその他にも顔を知っている人が何人もいる。

 多くはこの事件に関わった人物。

 黒を着ているのもあるのかジュディもフィリズもだいぶ痩せた様に見えた。


 サファは今回来賓としてアシェル達と共にする事になっていた。


「そろそろピアノ出しておこうか」


 エリュシオンが指示するが腕輪からどうやってピアノを出すのかサファは知らなかった。


「あぁ」


 分からないで硬直しているとエリュシオンが察した様に腕から輪を外した。


「こう持って。魔力を篭めながら振り下ろす。呪いは『クリーボ』」


 サファに腕輪を持たせてエリュシオンは「やってみて?」と言う。そんな簡単に出来ればわざわざ学院に行く必要もないだろうと期待はしていなかった。


「クリーボ」


 腕輪を持った手を振り下ろすと、ドォーンと重量のあるものが木の上に置かれ、振動が地面を伝って周りに何かをした事を知らせた。


「…………」


「…………」


 エリュシオンもできると思ってなかったのか少し驚いた表情をしていたが、口を押さえて笑い出した。


「まさか、本当に出せると思わなかったよ」


 突然こんな事ができてしまう自分も怖かったが、それよりも……


「エリュシオン様……」


「ん?」


「壊れてませんよね? ピアノ……」


 やや血の気の引くサファの顔を見てエリュシオンが笑って涙を流している。

 全く人の気も知らずに失礼だ。

 エリュシオンの反応を見れば大丈夫なのだろうとサファは胸を撫で下ろして半目で彼を見てむすっと口を結んだ。


 人の気配が多くなった。

 サファが視界の端に視線を向けると使用人小屋の前に人が並んでいる。


(ユニ……)


 アンセル国王陛下の計らいで使用人達も今回の魂送りに参列する事が認められた。

 涙を溜めているユニの隣では強い眼差しでサファを見るラセルがいた。

 彼には自分が『イシュタルの使い』であると知られてしまっている。そして、彼らは今日自分たちの仲間を弔ってくれるのは『イシュタルの使い』だと言われているだろう。

 それでなくともラセルには一度エリュシオンの姿も見られている。


(あは……は)


 声が出ない様に笑みを作って心で笑う。ラセルは拳を握り目を逸らす様に顔を横に向かせた。

 顔が見えなくてよかった。


 修学院に通う貴族とさえ顔を合わしてはいけない彼らとは今後話す事はないだろう。

 無事であった事さえ確認できれば十分だ。


 反対側を向けば近衛に囲まれた中央にアンセル国王陛下がいる。隣に立つ人物にも見覚えがあった。査問長をしていた人だ。


「この前より調子がよさそうですね」


 歩いて寄ってきた彼は屈んでサファの頭に手を埋めて優しい笑顔を浮かべた。


「お気遣い感謝します。よろしくお願いします」


 控えめにお辞儀をしたサファを見てうんうんと頷いている。


「オズヴァルド」


 オズヴァルドを呼んだアンセル国王陛下はピアノを指しながら何かを言っている。何かを言われたオズヴァルドはかなり困った様に首を振っている。


(なんだろう?)


「どうしたんだ? おやじさまは」


「さあ?」


 アレクシスに聞かれたアシェルも肩を竦めて首を傾げていた。

 アンセル国王陛下はアシェルと同じく夜闇の髪に薄紅の瞳をしている。

 そう言えばアシェルは自分と同じ色のペンダントをつけている。あれは彼が作ったものだと国王陛下を見て思った。

 オズヴァルドが何度も首を横に振り続けて拒否していたが、最後には諦めた様に項垂れた。


「ん、終わったみたいだぞ?」


 言い負かされたオズヴァルドがサファの方に歩いてくると困った顔をしていた。


「陛下が君のピアノのペダルを踏むと言っていまして……」


(えぇ………)


「私がやる予定だったけど駄目です?」


「そう言ったのですが……」


 エリュシオンがやるつもりだったという事も知らなかった。

 先日の査問会の時も思ったがとてもオズヴァルドは優しい人なのだろうとサファは思った。

 それに何だか可愛いかった。


「構いません」


 たぶんピアノを弾く補助のことの他に何かしたい事があるのだろう。

 そう、例えば。何か話……とか。

 どちらにせよ国王陛下のお誘いであれば無碍に断る事もできない。

 サファが他人事の様に返事を返すとオズヴァルドがアンセル国王陛下のもとに伝えに行った。


 オズヴァルドと話している国王陛下が途中でチラッとこっちを見る。

 サファはエリュシオンの後ろに隠れるように寄り目を逸らすと彼が黙って自分を見下ろしているのを感じた。

 手に触れるエリュシオンの服が冷たくて気持ちいい。ぺとりと頬をくっつけると弔いに使う香の匂いがした。


「僕、暑いの苦手だから他の人より随分クリオの温度を下げてるんだよね」


 さっきと変わらずエリュシオンの肩で寛いでいるニュクスを見上げた。

 あぁ。

 だからさっき『暑いんでしょ』と言ったのか。ようやくニュクスがエリュシオンの肩で寛いでいる理由がサファは分かった。



 本当に全員を掘り出してくれた騎士団とアシェル達には感謝している。

 魂送りは葬儀や祈念式と同じで弔うもの。

 全員が配置につくと儀式は始まった。


 アンセル国王陛下により『バシレウスアウレー』が使われると遺体の布が全部外された。

 呻きや嗚咽は使用人達から聞こえたが、ここにきた参列者達は殆どが状況を知っている。

 皆、悼んでいる表情をしていた。

 一人一人が焼香を持ち遺体一つ一つに配って行く。煙が立ち昇り天へ上がっていける様にと祈りを込めた。


「さぁ、置いてください」


 見るとラドヴィッジ先輩が優しく焼香持つユニとラセルをミリィのところまで案内していた。

 本当ありがたい。


 辺りが煙で少し霞がかる。

 サファはサンダノンの香りが気持ちを落ち着かせていた。

 予想はしていた。

 でもいざ、目の前にこれだけの遺体を見せつけられて押さえていた気持ちが溢れそうになる。


 目が赤くなってしまうかもしれない。

 サファが大きく息を吸うと目の前が暗くなった。誰かが目を押さえている。


「父上……」


 隣にいたアシェルの声が聞こえると自分の目を覆っているのがアンセル国王陛下であるとサファは分かった。


「怒りを覚えるのも無理はない。申し訳がたたない……この罪深い出来事は必ず私が解決し君の思いを引き継ごう。今はこれで怒りを鎮めてはくれないか?」


 思っていたよりずっと温かみのある穏やかな声が気持ちを落ち着かせる。

 自分と同じ唄うものの声。


「……はい」


「ありがとう」


 手が外されていく。

 アンセルはサファの様子を見て安心したように穏やかな表情をした。


 オズヴァルドから杯を渡される。

 どうやら飲めという事らしい。

 サファは杯を受け取り口をつけると冷たくて甘酸っぱい果実水で喉を潤わせていった。


「ありがとうございます」


 正直、喉がカラカラだったので一気に飲み干す。空の杯をオズヴァルドに返すと彼は微笑んでいた。


「では、少し借りていく」


 サファを静かに抱き上げるとアンセルは落ち着いた足取りでピアノへ向かっていき椅子に座った。


「4分の一拍子でいいのかい?」


 後ろを向いたままサファは頷いた。


「何故、この役を?」


「君が存分に唄うためには私でないと駄目だと思ったからだ」


 よく分かってらっしゃる。

 恐らくこの前の討伐の報告を聞いたのだろう。

 サファはサンダノンの空気を吸い込み、ピアノ弾き始めた。


 知らないと言うのは罪。



『途方の末』


行きたくないと思う自分がいた

行きたくない理由はただの自分よがりな思い


この世界に興味はない

本当に?

もっと見てあげて欲しい

あの日いなくなってからも見守ってくれた人達の事を


何も知らなかった自分がいた

知らないのに生きたくないと思う自分がいた


この世界に興味はない

本当に?

もっと見てあげて欲しい

私だけではない この国に住む人達の強さをもっと


生きたいのに生きられなかった人がいる

助けたかったのに助けられなくて無念さを感じる人

地獄を感じながらも誰かの身を案ずる強さ


この国の小さな理不尽の檻の中に閉じ込められ

人を思いやる心を忘れない尊さ


それが私を強くしてくれた


出会えて良かった 私にもできる

私も返していこう

小さくても私にはできる事がある

助けてくれる人がいる

信じて……

いつか来るその時まで

貴方に恥じない様に 

貴方に誇れる様に

自分が後悔しない様に


もう、行こう 

貴方の幸せを祈りながら

振り返らずに心の灯りだけを持って前を向く



 唄の終盤に差し掛かった時にアンセルの『バシレウスアウレー』を突き破ろうとしたサファのトラヴギマギアがまるで蓮の花の様に幾つもの花弁を作っていたことは空間の中にいたものには知る由もない。


「本当にすまない」


 アンセルが自分の脇腹を撫でるとサファはびくっと体を飛び上がらせる。

 何に対して言われたことなのかを理解するとサファは無言で目に涙を溜めていた。


 参列者が心配そうに見守る中アンセル国王陛下からエリュシオンにサファが引き渡される。


「エリュシオン。君がこの子の保護者になると言う事は聞いている。だが、それではこの子を守るのにまだ不十分だ」


 生体研究所に残る事。

 孤児院に戻る事。

 そして、エリュシオンの養子になる事がサファに与えられた選択肢だった。

 サファが選んだのはやはりエリュシオンの養子になる事だった。


 アンセル国王陛下が言った事に対しエリュシオンも少し戸惑っている様だ。


「この子は魔力だけではない強い引力を持っている。だから私は安定した生活できる様自分が身元引き受け人になる事にした」


「マジか……」


 隣でアレクシスが呟く声がした。

 エリュシオンの懐で顔を隠していたサファは魔力を消費した疲労感でぼんやりとそのやりとりを聞いていた。


 終わった……


 雨季がすっかり終わって夏虫の聞き做しも弱まる頃、魂送りの唄声と共に事件は幕を閉じたのだった。

秘事は睫

終わったぁ!


エリュシオンのつけていたペンダントが齧られなかったのはそういう魔術をかけているからです。

あと、ピアノが壊れないのも強化の魔術がかけられてあるからでした。

少し外力が加わっても壊れません。

ちょっと話です。

オズヴァルドはオズヴァルド=D=ウォードと言いアラフォー男性になります。


サファが弾き語りした『途方の末』のイメージはtime to say goodbye またしてもkokiaさんの歌です。

是非聴いてみてください。


次はエピローグ兼後日話となります。


今日も読んで頂きありがとうございました。

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