43 秘事は睫 20『アキレウスの槍』
暗い夜空、自分の心を表すかの様に雲に覆われ目標を見出す星すら見えない。
吹く風が自分を縛り付けているかのように体が動かなかった。
どうしたらいい?
『ジュディ! 大丈夫です。もう一度やりましょう!』
通信器からはフィリズの声が聞こえてきた。
大丈夫……
簡単に言わないで欲しい。
彼女はいつも見返りも求めずただ純粋に喜んだり応援してくれる。それでも今はフィリズの言葉がジュディには重荷だった。
ジュディが首を振ると緊張と焦りで流れた汗が周りに飛び散る。
ズズズズ……
重いものを引き摺る鈍い音をさせながらキャラパティアラが動き始めていた。
奇矯には魔力を使わない代わりに集中力が必要とされ、外に酸性の粘液が行かないよう障壁で防ぎながら巨体を留めているアレクシスの集中力もそろそろ切れ始めていた。
『動き始めるぞ!』
騎士達から騒めきが起き始めていた。
ジュディの鼓動が早くなった。
(早く……)
そう思うのに伴わない体に苛立ちすら感じた。
思いに気を取られすぎて粘液が飛んできた事に気がつかなかった。
ジュディは『アキレウスの槍』を使う為に障壁を出していない。
しまった……
気づいた時にはもう目の前。
腕で顔を庇いジュディは目を閉じた。
熱いものがかかり音をさせて蒸発する音が聴こえる。
熱くはない。
代わりに酸っぱい匂いがした。
「ジュディ殿、目を開けろ!」
自分のすぐ近くで声がしてジュディは息を呑み目を開けた。
サファを抱え鎖を発動したルシオが自分の前にはだかり障壁で身を守っていた。
国手の彼は鳥に乗れないサファの鳥代わり。
ここまでしなくても良いはずだ。
「どうして……」
「これを見てそんな事言えるほど気丈ではない!」
腕に抱えたサファが目をつぶって苦しそうに顔を歪め涙を流して唄っていた。
ヒュッと息を吸い込む。
痛ましい……
ジュディは見ているだけで目の奥が熱くなった。
「かなり辛いはずだ……それで? 君はどうする?」
ジュディが自分の頬を力強く叩くと眉を釣り上げて大きく息を吸って…………吐いた。
「早く終わらせます」
体が焦燥感から解放され動く。
ジュディが我に帰ると地上で騎士達が拳を挙げている姿が見えた。
「通信器の作動を止める事をすすめる」
今日来た時のように鋭く彼を見た後キャラパティアの真上に移動するジュディの背中にルシオが言葉を投げた。
安堵の声が上がる。
ただルシオとアシェルは緊張した表情をしていた。
恐らくもうすぐ唄が終わる。
詠唱のある魔術は言霊に乗せて術式が構築され、一小節毎にある程度の時間がかかる。
【アキレウスの槍】はそこまで長い詠唱ではないが唄が終わる前に発動に間に合うかどうかはなんとも言えない。
発動時に多重強化が切れたら本末転倒。
キャラパティアの真上についたジュディが詠唱を開始し始めた。
「空の青よりも蒼く
山の麓よりも深く
海の懐よりも大きく」
唱えながら上に伸ばされたジュディの手から一小節毎に術式の光が登っていくと空に魔法陣が形成されていった。
「ジュディ、頑張って……」
綱引き隊に参加しているフィリズが祈るように言った。
『ルシオ、間に合うか?』
心配になり個人会話で話しかける。
恐らく彼に聞いても分からないと分かっていたがアシェルは誰かに意見を求めたかった。
『分かりません、間に合わない可能性も考えておいてください』
間に合って欲しい……そう祈るしかない。
「闘う友がおり
闘う敵がおり
闘う自分がいる」
(もう少しだ。頑張れ!)
もうルシオが一度背中を撫でてやるとサファの目が一瞬だけ開いた。
強烈な眩暈で瞳を揺らしながらそれでも何かを見ようと視点合わせている。彼女はジュディの様子を見た後また目を閉じていた。
ルシオが首を傾げる。
既に動き始めたキャラパティアが少しづつ球体の中からはみ出ている。
鎖の長さもそろそろ足りない。
殆どアレクシスだけで引っ張っている状況だ。
静まり返った。
トラヴギマギアが終わった……
「ここまでか」
『撤退の準備を』
耳飾りから聞こえるアシェルの声を聞きながらルシオがジュディのすぐ後ろまで移動する。
それはさっきのサファの視線が気になったからだった。
体を揺すると重い目蓋を持ち上げて疲労の濃い表情で少しだけサファが微笑む。
「我勝利と平和を望むもの也」
至って落ち着いてジュディは詠唱を続けていた。
(静か……)
風が吹く音。
森がそよぐ。
それにそぐわないメキメキと木を倒し重い体を引きずる音の不快感でジュディはキャラパティアを冷たく見下ろした。
ジュディはルシオから言われた通り通信器の作動を止めていた。
さっきまでごちゃごちゃと言葉が飛び交っていたのがなくなり集中ができる。
視力が上がり核の細かい穴がまで見えた。
よく見える……
ジュディには唄が止んでいる事など分かりもしなかった。
「この槍に賭けよう」
「開け勝利の扉……」
雲が渦巻き槍が顔を出す。
槍の出現とともに立体魔法陣が消えていき……
辺りが暗くなっていく……
トラヴギマギアの効果が切れる。
(出来た……)
もう駄目だと皆が思ったその時、気を失いそうな眩暈の中でサファがもう一度唄い始めた。
さっきとはまた違う。
空から大聖堂の鐘が響き降りてくるように感じた。
溜め込んでいた魔力を逃さないように急激に球体が出来上がると、凄い勢いで魔法陣が造られ輝く。
眩しい。
ルシオが移動してくれたおかげで空間から出かかっていたキャラパティアも丸々覆われている。
ルシオが目を見張って息を止めた。
早く……
「アキレウスの槍!!」
槍がキャラパティア目掛けて振り落とされた。
狙いは核にある中心の穴。
速いはずなのにジュディにはコマ送りの様にゆっくりに見えた。
槍が落ちていく方を眺めながらジュディは目を細めると五つ星のパスハリツァみたいだと思っていた。
そのパスハリツァが突然破裂する。
ジュディの放った【アキレウスの槍】は驚異的な速度で落ちキャラパティアの粘液を通り抜け見事核に命中、破壊した。
「ジュディ! 凄いです!」
フィリズが手を叩いて喜ぶ。
下から歓声が上がってきた。
いつもなら騒がしくて不快なはずなのにとても嬉しい。
皆を見下ろしてジュディは少し照れ臭そうに顔を赤くし顔を傾けて満面の笑みを見せ拳を挙げていた。
『アイツって笑うんだな』
『笑っているんだから笑うんだろ?』
自分達もあんなに嬉しそうなジュディを初めてみる。
達成感に溢れていた。
「イシュタル、終わったぞ。眠れ、いいな」
一声かけるとルシオがサファの目に手を当ててヒュプノスを唱えた。
唄が止まる。
痛いほど服を握り締めた手が下に落ちると力の抜けた体が姿勢を保っていられず後ろに倒れていく。
背中を支えて体を引き寄せると赤ん坊のように頭が支えきれずぐらついた。
「おっと」
ルシオがもう片方の手で慌てて頭も引き寄せると自分の白いローブで泣いている顔を隠すように包んだ。
「よくやったな、偉いぞ」
サファの背中をあやすように軽く叩くとルシオは優しい表情をした。
『蒸発するぞ!』
通信器からアレクシスの声が聞こえる。
核を壊されたキャラパティアが形を保って居られなくなり蒸発をしながら地上へ潰れていく。
蒸発した気体は人間に有害である。
その場から飛び去ろうとして自分がさっき通信を切るように言ったことを思い出しジュディにも声をかけた。
「ジュディ殿。お見事だ。少し浸りたい気もするが蒸発が始まっている。すぐに去るぞ」
返事の代わりにジュディが頷いてルシオの後をついてきた。
「ルシオ様、イシュタルの使いは?」
「既に眠らせてある。私はすぐに研究所に戻り休ませなければならない」
ジュディが口を噤む様子を感じルシオが振り返る。地上では騒がしい声が聞こえていたが上空は静かだった。
「…………」
ジュディもかなり負担のかかるトラヴギマギアを使っていたと感じていた。
早く休ませたい。
それは自分も同じだ。
「私がアシェル殿下にお伝えします。このままお戻りください」
「……ありがたい」
「貴方が気付かせてくれなければ水に流してしまうところでした。有難うございます」
お互い少し微笑むと、ルシオはサファと自分から耳飾りを外してジュディに渡し振り返って研究所へ向かった。
ジュディは去っていく二人後ろ姿を見て軽く頭を下げた。
(水涸れは平気だろう……)
ただかなり脳に負担のかかっていた時間が長かった。
……障害なんて残らないだろうな?
その心配をしながら研究所に着くと部屋に向かう途中で見慣れた人物が待っていた。
その人物だけではない。
父親であるアムリタの他に、修学院のソネ=アンダーソン院長、法立館のアンタッチ=グルーヴ館長までいる。
「サファは?」
眼鏡を光らせたエーヴリルが近づいてきてルシオのローブを捲ると、周りから驚く声が上がった。
「どうした?」
「少し説明が立て込む、それに……」
ルシオが周りに少し目を向けた。
大体何で彼らがいるんだ?
部外者のいるここで話するわけにもいかないだろう。
「ルシオ、この二人は私が呼んで来てもらっている」
アムリタが前に出てルシオの前で屈むと眠っているサファを見て眉をひそめていた。
「えっ……」とルシオが声を漏らして茫然としていると腕からサファを持ち上げられる感覚に思わず振り払って後ろに下がった。
エーヴリルとアムリタがその様子を見て顔を見合わせるとアムリタが二人を連れて行く。
エーヴリルとルシオだけが残る。
「大丈夫か? ルシオ」
「あ……あぁ」
自分自身の行動にルシオは驚いているようだった。
騎士が討伐に行った時、緊張と気持ちの昂りが冷めずに過敏となってしまう。
寄宿舎の近くにある薬室勤務のエーヴリルはこの症状をよく見たことがあった。
恐らく今日も多い事だろう。
「慣れないことをするから!」
エーヴリルがため息を吐く。
「はは……参ったな」
ルシオは俯いて自分を馬鹿にするように笑っていた。
「エンスゥシスだ!」
エーヴリルが腰に手を当ててあにを叱るように指を指した。
エンスゥシスは放っておいても治るもので、一日以上持続しない一時的な精神的昂りの事である。
「何でもいいから早く部屋に行くぞ。少し落ち着いたら話があるんだそうだ」
ついて来いと言わんばかりにエーヴリルが歩いて行きルシオも足を動かし始めた。
「なんの?」
「私が知るわけないだろう?!」
いつにも増して不機嫌な態度のエーヴリルの後ろ姿を見て気持ちが落ちついてくる。それと同時に今し方終わった討伐のサファの様子をエーヴリルに話したくて仕方なかった。
「唄が止まった気がしたがあれはそう言うやつだったのか?」
「いや……すぐに二曲目を唄いはじめたんだ」
驚くかと思っていたエーヴリルはその話を聞いても全く驚く様子がない。
づかづかと自分の前を歩いて行った。
「知っていたのか?」
「そんな訳ないだろう!」
部屋に着くとルシオがベッドにサファを寝かせ振り返った。
「彼女が驚くような事をすると思っていないと身が持たないのだとエミュリエールが言っていた」
「なるほど……」
「それで? 水涸れは無さそうだが、何故眠らせてある?」
エーヴリルが眼鏡を光らせて水差しに魔力通すとグラスを一つルシオの前に置く。
「数日前に測定で眩暈を起こした事があったのは知っていたな?」
エーヴリルが頷いて顔を傾けると髪が肩から落ちる様子を見て伸びたなとルシオは思った。
「眩暈を起こすから唄わせない事になっていたんじゃないのか?」
エーヴリルが髪を耳にかける。
ルシオがそれには続きの話があるとエーヴリルに説明をしだすとエーヴリルは黙って兄の話に耳を傾けていた。
「『記憶が無くなる前の唄』は眩暈が起きる。それで? 今日使いたかったトラヴギマギアがたまたまその唄だったと」
ルシオが椅子に座ると妹に注いでもらった冷たい茶を飲み干して一度頷く。
「少し問題が起きて唄が終わるまでに倒せなかったんだ……」
そう、あれは……
サファが間に合わないと思って行った緊急措置。
絶妙な間でカチッと嵌るように発動したトラヴギマギアは苦しいとか死んでしまうかもと言うことを一切自分とは切り離した上で必要だと思ったから出来たことなのだろう。
ルシオは自分の顔を撫でて頭を振ると半目でサファを見ていた。
思っていたより苦しい。
「このまま研究所に置いておく方がこの子には良いのかもしれない……」
エーヴリルが嘲笑うと椅子に座り足を組んだ。
「絆されてるな」
オルタンシアの解毒薬を作っていたときにエーヴリルはサファの事を「ほっとけない」と言っていた意味がルシオにも分かった。
「話には行けるか?」
「出来ればお前に聞いてきてもらえると助かるんだが」
「国手でもないのに行けないだろう?!」
「その通りだな」
「ヒュプノスはどれくらい?」
「3だ。かけてからまだ半刻にならない」
時計を見るともうすぐ4の刻になる所だった。
窓の外はとっくに日はなく、開けた窓からは魔獣はなかったかのように夏虫が鳴いている声が聞こえる。
酸っぱい臭いがするのが外からなのか自分の服からなのか分からなかった。
「…………」
ルシオは黙って立ち上がるとエーヴリルは「戻るまで見ている」と言った。
ルシオが話をしに部屋から出ていくとエーヴリルは眠っているサファの傍に座り足を組んで頬杖をついた。
魔力は減っているが顔色は悪くない。
ぽよっとした手を握り体温を確かめるとしばらく動きを止めて去年の水涸れのことを思い出していた。
「お前は色んなところに跡を残していくな」
自分はルシオに呼ばれて来たが、父親と共に来たソネ院長とアンタッチ館長はもっと上から指示されなければ来たりしない。
もっと上とは。
恐らく……
(何したんだ、エリュシオン)
これで終わりではない。
昨日、エリュシオンとオルタンシアの花がなぜ紅いのかと言うことについて仮説を立てた。
明日は使用人小屋を調べる事について認可が下りる事になっている。
そうしたら明らかになるだろう。
ここ最近のエリュシオンの執念深さは誰かを思い出させた。
(お前らは案外いい親子になるかもしれないな)
部屋の明かりに引き寄せられて飛び込んできた夏虫にエーヴリルが驚くとサファの髪に落ちて這い始めた。
サファは睫を少し震わせただけでそのまま眠っている。
「髪に虫が這ってるぞ」
花に寄り付く虫はこれからも一匹には留まらないだろう。
ルシオの言うようにここで保護していた方がサファには良いのかもしれない。
エーヴリルは笑ってサファの髪から虫を摘むと外に放り窓を閉めた。
周りが何と言っても結局は本人が決めてしまうだろうとエーヴリルはサファの髪を撫でて整える。
査問会は5日後。
「悔いのないようにやれ」
それが私の願いだ。
髪の手触りが心地よくてエーヴリルは何度も何度も撫でてサファの寝顔をただ優しく見ていた。
結果は後からついてくる。
一生懸命空想を文字にまとめる毎日です。
もうそろそろ二章終わりが見えて来ました。
この討伐でのサファの活躍がどう影響してくるのかがエリュシオンの狙いでした。
ツンデレジュディが意外と可愛くなって来ました。
ルシオがジュディに通信を止める様に言ったのは、より集中させるためでした。
そう言えばちょっと前から「水差しに魔力を通す」と言う文章が出て来ますが水差し自体が魔道具で、魔力を通す事で中身を冷たくしたり温かくしたり出来ます。貴族の間では常用している魔道具になります。
討伐でのサファの二曲目。
イメージはkokiaさんの「天使」3:15ぐらいのサビを突然歌い出した。そんなイメージです。
今日も読んで頂きありがとうございました。