39 秘事は睫 16
目を開けるとチカチカ光が飛んでいて顔をしかめる。
眩しい。
思わず腕で目を隠すとまだ星が目蓋の裏で飛んでいるようだった。
その現象で今日も良く晴れているのだろうと思いサファはベッドから身を起す。
3の刻を過ぎた頃だ。
身支度を整え朝食を食べると、いつものように終わる頃にルシオがやって来た。
「おはようございます、ルシオ様」
「あぁ、おはよう。今日も良い天気だ」
ルシオが窓の外に目を向け空を見上げると、サファもつられて窓に目を向ける。
昨日とはまた違うなんのまじりもない青。
「もうすぐ雨季が終わるな」
「…………」
悲しい青い空。
雨季が終わるまでに事件が解決する事をサファは願っていた。
その雨季がもうすぐ終わる。
食べた食器を片付けようとトレーを持つとルシオがサファの手から取り上げた。
「今日来る面会者は昼過ぎになりそうだ」
「分かりました」
サファが手を揃えてルシオを見上げて頷くと曖昧な伝達の言葉に首を傾げた。
先方は午前中用事があるのだろう。
それでも転移陣があるので大体は時間がいつも決められていた。
曖昧ですねと思ったが別に自分は多忙でもない。開きかけた口を閉じて思っているだけにした。
今日はアムリタも出かける事になっていて執務室に連れて行かれることもない。
暇すぎるこの状況をどう消化するかが今日代言士が来るまでの間、専らのサファの悩みであった。
右腕の腕輪を撫でる。
ジェディディアから預かっているこの腕輪は先日彼の大事なピアノが収まっているとアムリタから教えてもらった。
唄いたい。
それはルシオから止められている事だった。
ルシオが部屋からいなくなり1人になると衝動に駆られ我慢する。
あぁ、去年もそうだったと懐かしむようにサファは目を細めた。
ほんのり口から旋律を零す。
一曲唄っても眩暈は起きなかった。
大丈夫だと思うとサファは次々と気づかれないように小さく唄い始めた。
妙な緊張を感じて気持ちが昂る。
昼までの時間は短く気づけばもう昼食の時間になっていた。
気分がいい。
久しぶりに感じるその気持ちを受けて顔が綻んでいた。
もうすぐ来るのだろうか?
昼食を摂った後サファは出窓で胡座をかきいつものようにキュクノスを抱えると窓を開けた。
重さがなくなったぬるい風が髪を揺らす。
高い空に鳥が自由な飛んでいく姿を見て自分もそうできたらとサファが窓枠にコツンと頭をしな垂れてかかった。
空が青い。
「何故あんなに青いんだろう?」
「空気中の塵が一番青を反射しやすいからだ」
ポツっ呟いたサファの言葉に返事があった。
後ろを見るといつの間にかルシオがいて何かを感じ取るように緊張した顔をしていた。
「ダメだぞ?」
「大丈夫ですよ」
午前中唄って分かったことがある。
「眩暈を起こす唄は多分私が記憶をなくす前から有しているものなのです」
恐らくそうだ。
今まで眩暈を起こさなかったのは孤児になってから作られたもの。
例外は祈念式での魂送り。
あれは前から知っているものであったが眩暈は起きなかった。多分それは必死で記憶を揺さぶるに至らなかったから。
ルシオが止めようと思った時にはもう遅かった。
見ていてくださいとても言うようにサファが企むように笑うと開けた窓から見える空へ向かって唄い始める。
「!!」
遠くまで響くような自由を求める唄声に止めようとした手を挙げたままでルシオが息を飲む。
測定の時とは比べ物にならないほどの深い唄で近くを飛んでいた小鳥が集まってきた。
自由への渇望と憧憬を声に乗せる。
トラヴギマギアではないただの唄のはずなのに何かの効果があるかの様に森の住人達をおびき寄せる。
遠くに飛んでいた一羽の鳥が兄弟を待つ様に止まると後から来たもう一羽が追いついて並ぶ。
あの鳥はなんだろう?
サファは唄いながら日の光をうけて一層瞳を輝かせる。
ここに来ませんか?
少し思いを寄せると鳥が急降下して自分の元へ目掛けて飛んでくる。
後ろにいるルシオが前に出て庇う間もなく突然現れたグリフォンを見て卒倒しそうになりすぐ横の壁に手をつくと覆っていた目を恐々開けて忘れていた息を吸った。
「……大きな鳥が飛んできました」
「…………」
サファは頬赤く染めてやや興奮したように言うとルシオがグリフォンに乗る人物を確認して平然を装い「それは鳥ではない」と言ってサファを出窓から下ろして自分の背に隠した。
「面会ならば然るべき所から来い」
「呼んだのはそちらです」
窓の外でグリフォンに乗って鋭く見る人物にルシオが毅然とした態度で言うと相手は目を逸らす様子もなく真っ直ぐにルシオを見る。
呼んだのか……
ルシオが暑さで汗を流すと後から来たもう一人の人物が焦った様子で2人の間に入った。
「姉上! 落ち着いてください」
ルシオの背で隠され様子の見えないサファには声だけしか聞こえなかった。
「すみませんすぐ受付を通ってきます」
鳥の羽ばたく音が聞こえると風が起こってルシオの服が揺れていた。
「あの……」
ルシオが振り返るとサファの顔を覗き込んで大きくため息を吐いた。
「今のは呼んだのか?」
「ただの唄です。ただ来てくれるといいなとは思いましたが」
ふるふると首を横に振るとサファは悪気がなさそうにきょとんとした表情でルシオを見て顔を傾ける。
なるほど、魔力波の揺らぎはなく瞳も瑠璃色のままだ。
記憶がなくなってからの唄は記憶を揺さぶることはない。
サファが言っている事は本当の様だ。
ルシオはそう診療録へ書き込むと「肝が冷えた」と苦笑いしていた。
兄という立場はこういうものなのかな?とルシオを見てサファはエミュリエールをの事を思い出した。
面会は応接間で行われることになっていた。
然るべき受付を済ませて先程鮮烈な登場の仕方をした2人が部屋に案内されてくると驚くようにサファの姿を見る。
(これがエリュシオン様の同級生)
2人とも明るい栗色の真っ直でさらさらした髪をしている。瞳も同じ栗色で女の方が気の強そうな目つきに対して男の方が優しそうな顔つきをしていた。
「先程はすみません、私はフェルデン=ファーディナンド、こちらがジュディ=ファーディナンド。姉です」
「この子の担当をしているルシオ=バックレーだ。君の姉か」
「…………」
相変わらずジュディは何を考えているか分からない表情で穴が開くほどサファを見ていた。
フェルデンはジュディを横目で見ると困った表情をして「すみません」ともう一度言った。
「代言士は?」
「私です」
フェルデンが答えるとルシオは少し安心した。
正直、ジュディという人物にサファを近づけたくないとルシオは思っていた。
国手一家のバックレー家と同じようにファーディナンド家はこのジュディという長女以外代言士一家だったはず。
1stの事案に親が来ないとは……エリュシオンめ。
ルシオは目を細めると2人を値踏みする様に見ていた。
「座ってくれ、話はそれからだ」
面会の時間は半刻。
着席を促されて2人とも椅子に座るとルシオがサファを椅子に乗せ話を始める様に切り出した。
「私はアシェル殿下からイシュタルの使いの代言を依頼されて来ました。その……そちらの子が」
フェルデンがサファを見て伺うと、サファはルシオを見上げて返答を任せる事にした。
「この子がイシュタルの使いだ」
先程から刺さる様な視線でサファ見るジュディは胸元を触っている。
ジュディは自分がフェルデンの護衛として来ている事を理解し発言をするつもりはなかった。
これがイシュタルの使い……
正直想像以上だ。
ジュディは外套で包まれて眠っている姿しか見たことがなく彼女が実際に動いているところを見て美しいとかではなく一番に思ったのはなんて幼いのだろうと思っていた。
このアシェル殿下からの預かり物をいつ渡そうかと思わずイシュタルの使いを見る目に力が入る。
「これが資料です」
フェルデンがルシオに紙を差し出し概要と審議される内容について説明した。
「確認ですが、イシュタルの使いはノイという少年とサファという孤児と同一人物という事で間違いはありませんか?」
「…………」
「……間違いない」
サファはルシオから事前に勝手な発言をしないように言われておりルシオを見上げて顔を伺う。
ルシオが資料に目を通すとそれをサファに渡す様子を見てフェルデンが「えっ?」と小さく声を漏らした。
サファとルシオがフェルデンを見ると彼はコホンと咳払いをして作り笑いをしていた。
「すみません、まさか読めるとは思っていなかったので」
「まぁ、そうだろうな。この事に驚くのは無理もない」
実際にルシオ達もそう思っていた。
このくらいの年齢だと貴族でも読み書きがやっと出来るくらいである。
読み書きが出来るのはエーヴリルから聞いていた事だったが実際にその能力の高さに気づいたのはアムリタとの会話でだった。
自分の理不尽さを恨んだりはしないのかとアムリタが聞いた時にサファは自分は恵まれていると言った。
自分はそう言う事には厭わないように教育されている。皆が平等でなくともそれに近い状態になれば嬉しい。
時間は有限であり、何が出来るかを考えているのだとサファは言った。
普通の11歳の少女がそんな達観した言葉など言うはずもない。
それを話していたアムリタは頭を抱えていた。
とんでもないと。
それを聞いた時ルシオはアシェル殿下と似ていると思った。
アシェル殿下が数年前から修学院とは別に家庭教師から叩き込まれているそれをサファはいとも簡単に言葉にする。
驚くを通り越してもはや恐怖を覚えた。
「ん?」
ルシオが思い耽っているとサファが袖を引っ張り何かを言いたそうに見上げていた。
書類の文章を指差してサファが眉を吊り上げるとふるふると首を振った。
「話すのを許す」
また驚く様な事を言うのだろうとルシオが思って息を吐いた。
「ありがとうございます」
いつもながら落ち着く声に感心する。
前に座る2人も初めて話すサファに何を言うのだろうと目を見張っていた。
サファが立ち上がり2人にお辞儀をすると少し怒っている表情で顔を上げる。
「この、ノイと言う少年を有罪にするという点について了承しかねます」
これはエリュシオンの提案だった。
確かにこれが一番手っ取り早く査問会を乗り切る方法だとフェルデンも思っていた。
だがエリュシオンはイシュタルの使いがこの事について意義を申し立てるかもと言っていた。
なるほど……
こちらのペースには簡単に乗ってくれそうではないと改めてサファを見てフェルデンが口を手で覆っていた。
ノイを有罪にするという事はノイの紹介もとにも影響する。そして子供として紹介していればその親も罪に問われる事になる。
その事に美しく何も知らなそうな顔で座るこの小さな少女が気付いている事にフェルデンの頭の毛が逆立っていた。
「それだと君自身が罪に問われる事になるよ?」
「構いません」
少しの間もおかず静かにサファは答える。
音が立ちそうなほどの長い睫毛を上下しサファが瞬きをするとフェルデンを責める様に見つめた。
フェルデンが言葉を詰まらせて黙るとユリーフに言われた言葉を思い出した。
自分達の存在を怖がって話してくれなくなるかもしれないと。
とんでもない。
視線さえ胸に刺さる。
フェルデンは何年も前から死ぬ事を受け入れている様なサファの雰囲気に指が震えていた。
「イシュタル」
サファがここに来て初めて不機嫌さを顕にする様子を見てルシオが落ち着かせるために背中をさするとサファがコクンと小さく頷いた。
「わたしが求めるのはノイという存在に罪をなすりつけるのではなく罪を犯した貴族の排除との使用人達の救済。出来たら今まで気づかなかった事について国王陛下からの謝罪を求めます」
ルシオがサファの頭の上から深い溜め息を吐いた音が聞こえた。
彼は今回の暴走がこの事に対する怒りである事を知っている。少し大袈裟な態度をすれば暴走を起こす事を危惧して発言を我慢させたりはしないだろうとサファは思っていた。
すみません、ルシオ様。
「待ってください! いくら国が保護をしている存在だからってまだ貴族でない君には無理です!」
「イシュタルがではなく君自身が無理なのでは? それにエリュシオンからこの子が既に養子の契約をしているという事は聞いていないのか?」
やれやれ、これは随分青そうな代言士が来たもんだなとルシオが切り込み始めるとフェルデンが狼狽始めていた。
「は? あ、すみません。本当ですか?」
サファがゆっくりと頷いた。
「すみません、それはエリュシオン様が折を見て話すつもりだったのかもしれません」
「でも、だからって国王陛下の謝罪は無いでしょう!」
バン!とデーブルに手をつくフェルデンを無視してルシオは口に手を当てて天井を見上げていた。
「それでオルタンシアの花か……」
呟くとサファがルシオを見上げてにこっと笑う。
「そこで何が起こっているんですか? これは使用人が貴族を怪我させた障害事件ですよ」
こんなものなのかな?
サファは急に興味が逸れる様な感覚で少し眠気を感じ始めた。
普段から頭がきれる人が周りにいたことが多くなんだか物足りない。
「エリュシオン様は調べたいと言っていませんでしたか?」
フェルデンが目を見開くのを見てサファは安心して指先を引っ掛ける様に手を置いた。
確かにエリュシオンは使用人の館を調べる権限をくれと言ってきていた。それは明日にでも恐らく認可されるだろう。
フェルデンは俯いて重く口を開いた。
「明日……認可される」
「それなら話はそれからです。期待してもいいですか?」
「…………」
フェルデンは答えなかった。
「弟は期待に沿うに値する決定的なものが貴方にないと言っています」
弟の様子に見兼ねたジュディが突然沈黙を破って威圧するように言った。
「決定的なものですか……」
サファはとろんとした表情でフェルデンを見ると目をつぶる。
確かにこんな子供の言う事なんてを聞くなんて自尊心を傷つけるだろう。彼はだいぶ譲歩して話を聞いてくれた。
自分に見せられるものは唄か魔術かくらい。
何をしたら納得が行くか……
ルシオを見上げると怖い表情をしている。どちらも許可が降りなそうだった。
「私達が思わず跪くような、無いんですか?」
子供風情が生意気だとジュディの目は語っていた。
「この子はまだ子供だ、それにまだ体調も万全では無い。あまり無理を言わないでくれ。少し失礼だ」
サファが困って顳顬を触っているとルシオがサファの顔を覗き込んでジュディに強く言った。
「失礼なのはそちらもです」
「姉上! 落ち着いてください。俺は大丈夫ですから」
苛立つようにルシオが席を立ちサファを椅子から下ろした。
「これじゃ話にならない! 失礼する。行こうイシュタル」
確かにルシオが怒るのも無理もないがフェルデンも少し不憫だとサファは思っていた。
ルシオがサファの手を掴み引っ張っていく途中でフェルデンと目が合う。
どことなくぎこちない笑顔をサファに向けると、フェルデンが書類を持ってまとめ始めていた。
俯いてもサファからはその表情が見える。
ジュディがあぁ言うのも分かる気がした。
この国手館ではバックレー館長の次に偉いルシオが自分の担当をしている。
それは即ち同等の担当が来るところ、恐らくエリュシオンがフェルデンに強引に頼み白羽の矢を立てたのだろう。
自分から見てもこの事件を担当したいとは思わない。
サファは足を踏ん張ると腕を引っ張りルシオに止まれと合図した。
「どうした?」
魔術も唄も止められているが魔力を動かす事は止められていない。
チラッとルシオを見上げると手を離してもらいサファは眼鏡をとってテーブルの上に置いた。
必要なのは確か……
自信に満ちた表情、真っ直ぐで胸を張った姿勢、歩く速度と心臓を掴むような低い声、それに恐怖感を抱かせるための魔力の膨張。
彼は頑張ってきてくれたんだ。そしたら自分も期待に沿えるよう少しだけ頑張ってみよう。
サファはそう思い一歩を踏み出した。